21世紀の右京を知っているか

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レーシングドライバーで「右京」と聞けば、思い浮かべるのは元F1ドライバーの片山右京だろう。笹原右京は1996年生まれだから、本家右京がティレル・ヤマハに乗っていた年だ。片山右京の熱烈なファンである母親は、お腹の子が男だと知ると同時に右京と命名した。

text:世良耕太 [aheadアーカイブス vol.130 2013年9月号]
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21世紀の右京を知っているか

21世紀の右京を知っているか

といって、将来は絶対F1ドライバーにするんだ、と英才教育を施したわけではない。父親はラリーやダートトライアルの選手でもあったので、クルマの楽しさを知ってもらいたいという思いはあったようだ。

右京は3歳頃から足蹴りや足こぎのクルマを与えられるままに乗った。父は自動車整備工場を営むが、所在地は群馬県沼田市である。冬の夜は氷点下にまで冷え込むのが日常だ。

工場の裏手にスロープがあるのを幸い、そこに水を撒く。すると翌朝には凍っている。滑りやすくなったのをいいことに、幼い右京は足こぎのクルマでドリフトをし、遊んだ。ペットボトルをパイロン替わりにして腕を磨いたこともある。「あのときクルマのコントロールを覚えたことが、今でも武器になっています」と17歳になった右京は振り返る。

おもちゃの乗り物に満足できなくなった右京は、カートに手を伸ばした。とても新車は買えないので、中古の出物を待った。当初は自転車の乗り方を教える親子よろしく、後ろで大人がロープを握っていたが、ステップアップする楽しみを覚えるのに時間はかからなかった。父がメカニック、母がマネージャーだった。

「両親はレースの成績は気にしていませんでした。それより準備や後片付けを自分でしないと怒られました」

'09年、13歳になった右京は世界で腕試しをする機会を手に入れた。「純粋に自分の力が通用するかどうか確かめたかった」との思いで走り、世界大会でいきなり優勝した。

'10年以降は戦いの舞台をヨーロッパに移す。'11年はひとりで日本とヨーロッパを行き来した。「現地に着くまでが第1レースでした。ちゃんと着くのかな、みたいな」

'11年も圧倒的な強さでチャンピオンを獲得。'10年に在籍したチームの好意に飛びつき、'12年からはオーストリアで寮生活を送りながら高校に通い、レース活動に打ち込む。今季はフォーミュラ・ルノー2・0ALPSシリーズにステップアップした。クラッチ付きの乗り物は初めてだが、シーズン半ばにしてすでに、「スタートは得意」と言い切る。

「目標を常にイメージして、達成してきました。それしかできないし、それに懸けるしかありません」

右京がイメージしているターゲットは、'16年のF1参戦だ。

笹原右京プロフィール

1996年生まれ、群馬県沼田市出身。6歳でカートを始め、8歳より国内レースで各種タイトルを獲得。2009年、13歳でレーシングカートの最高峰レース「ROTAX世界大会」に出場、日本人初のワールドチャンピオンに輝く。

2010年からは欧州選手権に参戦、翌年にはROTAX世界大会で2度目のワールドチャンピオンを獲得した。現在17歳。「20歳までにF1レーサーになる」ことを目標に、2012年からはオーストリアを拠点にレース活動に取り組んでいる。

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text : 世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/
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