おしゃべりなクルマたち Vol.64 今を考えるフランス人、先を考える日本人

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毎週木曜日はウォーキングの日、秋口からこう決めて、友達と海沿いの道を歩いている。スタートは浜辺の横にある無料パーキング。私はクルマで行き、近くに住む彼女は自転車でやって来る。

text:松本 葉 イラスト:武政 諒 [aheadアーカイブス vol.133 2013年12月号]
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Vol.64 今を考えるフランス人、先を考える日本人

Vol.64 今を考えるフランス人、先を考える日本人

広い駐車場はいつも混み合っているから私は最初に見つけた空きスペースにパンダを滑り込ませるのだが、後からやって来る友達は入り口でくるっと全体を見回すと一直線に私のクルマに近づいてくる。これがいつも不思議であった。黒の我がパンダは当地では大衆車、この駐車場にもご同輩は山ほどいる。なのになんで?

しゃがんで運動靴の紐を結ぶ彼女に尋ねると顔も上げずにこう言った。「ひとり反対むいてるクルマって目立つから」。うーん。言われてみればほとんどのクルマは頭から突っ込んである。お尻から駐めた、彼女が言うところの“反対むいてるクルマ”は確かに少ない。「アタシも一度、聞きたかったんだけど」、体を起こした彼女が言う。

「なんでこういうメンドーなこと、するの?」  この駐車場は通路が狭く、カタチがいびつだから、頭から入れるとあとが難儀だ。バックで入れるには何度か切り返しが必要だが、面倒というほどではない。「出るときがスムーズだから」、私が答えると彼女が言ったものだった。「出る時のことなんか、よく考えつくねえ」

友達はフランス人だが、知り合って十数年、玄関から入らず、庭からあがってくる仲だ。私にとってはこの世で姉の次にダラダラできる相手。今となっては互いの違いは個の差として受け止めるが、それでも、だったらこの“個”の違いはどこから生まれるのか、こう考えさせられる出来事にぶつかることがやっぱりあって、今回の一件もこのひとつ。

先のことをどうして考えるのか、彼女は言ったが、私にすれば出る時は“先”の範疇に入らない。まして考える範疇になどまったく入らない。それでも彼女は言うのだ。「駐める時は今、駐めることしかアタシは考えないけど」

そういえば駐車スペースからクルマを出すとき、そばに空きを待つヒトがいると、私は気が焦る。だからとにかくスペースを空けることをまず考えるのだが、彼女は慌てる私にこう言ったものだった。「アタシと喋りながらよく周りが見えるねえ」

エバッて言うが私は先を考えるタイプでも、まして気の付く人間でもない。一度でも会ったニホン人ならすぐわかるようで、一度、駐在員の奥さんとウォーキングをしたら「ヨーさんは手ぶらでいらっしゃると思って」とおしぼりと水筒を渡されて赤面した。

それでもーー。それでもちょっとだけ先のことを想うことや周りを見渡すことが私の体に染み付いている。今だけを考えることや一点だけを見つめることが出来ない性が染み付いていいて、染み付いたのはやっぱりニホンだ、とこう思う。

世界は広いねえ。人類はひとつってありゃ、ウソだねえ。私たちはこう言いながら木曜日のウォーキングを続けている。

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text : 松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

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