Rolling 40's Vol.105 ハーレーという難問

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アラフォー世代の乗り物観から始まったこのコラムも、いつの間にかアラフィフに潮目は変わり、今や50代からの世界を意識しないといけない時期になってしまった。そんな意識があってか、最近時々、ハーレーが気になることがある。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.174 2017年6月号]
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Vol.105 ハーレーという難問

Vol.105 ハーレーという難問

正確に言うと、いい歳になったからハーレーに乗りたいということではなく、ハーレーに乗っている同年代への関心が強まったということだ。

ハーレーと長い付き合いをしている知人たちの笑顔を見ていると、彼らが私とは全く違う「生い立ち」や「経緯」でハーレーに辿り着いていると感じることがある。

中高年の嫉妬深さなのか、同年代の笑顔というものは気になるものだ。10年くらい前までは気にもならなかった世界ではあるが、異世界を受け入れられる年頃になったということなのだろう。

80年代バイクブーム真っただ中の'84年に中型自動二輪免許を取って以来、30年以上に渡り、国内外のありとあらゆるタイプのバイクに乗ってきた。オンロードもオフロードもアマチュアなりに楽しみ尽くし、ある程度の酸いも甘いも語れる自信はある。

だがハーレーに限っては、ロードグライドと呼ばれるかなり大きなタイプからパパサンというコンパクトなスポーツ系に至るまで、乗った経験こそ幾度とあるが、それらはメカニカル的な考察として乗り回しただけであり、愛着の手触りやその世界観が分かっているとは言い難い。

CSディスカバリーチャンネルで「バイクビルダー対決」というバラエティ番組がある。アメリカの有名ハーレーカスタムビルダーが、過激なストーリー作りで、それぞれに作ったカスタムバイクを対決させるという番組だ。

ネットで調べると、実際に番組に登場するのは、アメリカ国内は当然、世界的にも有名なカスタムショップやビルダー達である。

本場アメリカで人気のあるハーレー番組なので、その世界観が王道であるという大前提で話を進めると、この島国のバイク乗りにとって、その世界観は若干の「違和感」があった。

いくらそれが本場中の本場の「味」であると断言されても、やはり日本では絶対に消化しきれない部分があるような気がする。

同じ外車でも、ドゥカティやBMW、KTMなどは日本のバイク乗りでも消化し切れる可能性があると思う。それらのマシンを所有した経験のある仲間や私自身の経験からも、それらのバイクが持っている世界観が日本のバイク乗りを大きく戸惑わせることはないと理解している。

だがハーレーに関してのみ、私は自分の経験からでは決して消化しきれない難問じみた何かを感じてしまう。

ただし、その難問が好きか嫌いかと問われれば、理解はしていないが嫌いではないはずだと答える。前述のTV番組も録画してシリーズ全てを何度も観ているくらいだ。

大陸文化だのという陳腐な言葉で納得するのは簡単であるが、それではあまりに考察レベルが低過ぎる。身銭で乗らなければ分からないという意見もあるが、数年前のハーレーブームに乗じた小銭持ちの中高年の「末路」を知っている故に、金を使えば世界観を理解できるという意見にも疑問がある。

私のそんな疑問に対して、「ハーレーはバイクではなく革ジャンの一種なのだ」という見識を示してくれたモータージャーナリストがいた。この言葉は、多くの日本人の「性癖」の説明としてはかなり的を得ていると思ったが、それがハーレーの本質であるかと言えば疑問である。

私はバイクに関して、疑問に思ったり納得いかないときには、必ず自分のバイク原風景に頼るようにしている。理由はその風景だけは嘘をつかないし、時間に左右されることがないからだ。

つまりハーレーの世界観を理解するのには必要なのは、アメリカ人たちが子供の頃、どんな思いでバイクを見ていたかなのである。それを飛び越えて自分の狭い視野で理解しようとするから限界があるし、日本的な曲解に陥るリスクもある。

逆算的な考察になるが、SNS動画などを観ていると、実際のアメリカ人たちは、日本人以上に日本のバイクが大好きだ。一部の映画などの影響で誤解されがちだが、アメリカ人全員がハーレーの世界観に心酔し、アメリカ文化イコール、ハーレーと考えているわけではない。

「飛ばすからダメなんだよ」

日本車でのレースをやめた後にハーレー乗りになってしまった友人が、ハーレーの話になったときに私によくそう言う。言い訳できないものがある。それが私の16歳のバイク原風景でもあり、それが原動力になり続けている部分も多々ある。

ハーレーというのは、あのだだっ広い国の道で育まれた設計思想で、飛ばさずにただ普通に走っている状態が一番楽しいように設計されているのだという。

大人になってから知りだす新しい原風景があっても良いはずである。ハーレーと言う難問。それらはしばらくは理解できないと思う反面、同時に解き明かしたい魅力のある難問でもある。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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