F1文化の伝承者~高安丈太郎

アヘッド F1

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インターネットの発達により自宅にいながらにして多くの情報にアクセスできる現代。調べ物をしたいときはキーボードを叩けば画面に答えがズラリと並ぶ。しかし多くの人が気付いているように、それらの情報は玉石混交だ。ひと目でおかしいと感じるものから真実らしい記事までが入り乱れた、いわゆる〝カオス状態〟である。

text:横田和彦 photo: 長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.174 2017年6月号]
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F1文化の伝承者~高安丈太郎

F1文化の伝承者~高安丈太郎

高安 丈太郎
幼少のころより F1 Car を中心としたクルマ模型制作に没頭。1982年に欧州で人気の1/43ホワイトメタルモデルの存在を知り、’84年よりフィニッシャー活動を開始。自動車雑誌編集部員を経て2004年に独立。2010年 RacerLink編集長、2012年よりRacerLink Japan 編集長を兼務。三栄書房発行F1マシン・ワンメイク本「GP Car Story」特別編集部員も務めている。
「薄くて広い情報ばかりなので、真実が埋もれて見つからなくなる」と高安丈太郎さんは語る。

彼は知る人ぞ知る、F1模型の第一人者。といっても単にプラモデルを作るのが好きなどというレベルではない。「SFP(スケール・フォーミュラ・プロフェッショナル)マガジン」というF1模型専門誌を自費出版するほどなのだ。今年60歳を迎えるという高安さん、一体そのモチベーションはどこから来るのだろうか。

高安さんがF1に興味を持ったのは小学2年生のころ。図書室の掃除当番だった高安少年の目にF1の世界を紹介した一冊の本が映った。

「エンジンが露出している姿にヤラれた。こんなクルマがあるの!? って。男の子ってそういうメカニズムに惹かれるじゃないですか」

掃除をサボって葉巻型のF1が出ている本を読みふけった。そこには〝不吉なのでカーナンバーに13はない〟など初めて出会う西洋の文化もあった。しかし時代は東京オリンピックが終わったばかりの60年代半ばのこと。世の中にF1の存在を知る人はほとんどいなかったという。

「クルマ好きな人にF1が好きだと言っても、逆にF1ってなに?  と聞かれる始末。一から説明するのが面倒で、結局誰にも言わなかったです」

まだ日本にはモータリゼーションが芽生える前のこと。情報が少ない中、高安少年は駄菓子屋で売っていたプラモデルを作ったり、小学6年生のときにバザーで『カーグラフィック』1年分を格安で購入し、すみずみまで読むなどして情報を入手。ますますF1の魅力に引き込まれていった。
世の中の空気が変わってきたのは70年代中盤から。'76年に富士スピードウェイで「F1世界選手権イン・ジャパン」が開催されると、第一次F1ブームが訪れた。

「富士のF1はテレビで見ました。その頃はお金もクルマもなかったから。でもまだF1の情報は少なかったですね」

世間ではスーパーカーブームだったが、その頃の自動車マニアにはF1は別世界と捉えられていたという。

「世間ではスーパーカーがブームだったけど、僕は箱車のレースにはぜんぜん燃えなかった」

だが模型では進展があった。70年代後半にタミヤから1/20のF1モデルが続々と発売されたのだ。

「待ってました! って感じでたくさん作りましたよ。リアタイヤのサイドウォールが正確に再現されていたのが嬉しかったなぁ」

しかしそれも長続きしなかった。原因は'77年の「F1日本グランプリ」で起きた観客を巻き込んだ死亡事故の発生である。世間はモータースポーツを危険視したのだ。その後10年間は日本のF1ファンにとって暗黒の時代となってしまう。
そんな中、高安さんは'75年頃に海外のホワイトメタルキットと出会っていた。ホワイトメタルとはスズや鉛などの合金のこと。融点が低いので溶けやすく、型に流し込んで整形するのが比較的容易な素材である。そのため小ロット生産に向いていて、ヨーロッパなどでは小さなメーカーやマニアが独自にキットを作り売っていたのだ。

プラモデルに比べると部品の合いが悪かったり、表面仕上げに手間がかかるなどハードルが高い。しかし超マイナーモデルもキット化されるという魅力もあった。原型を作る人もマニアだったので、レースごとに変わる部分まで再現してあったのだ。

そのリアルさに惹かれて高安さんはホワイトメタルキットを数多く作った。すると販売店から「見本を作ってくれないか」と頼まれるようになった。

タダで作らせてもらえるならと喜んで作ると、それが売れるようになったという。趣味と実益の両立だ。ここで高安さんはF1モデラーとしての地位を確立していくと同時に、徹底的にリアリティを追求し始める。
▶︎信じられないかもしれないが、このフェラーリの模型は全長10cmに満たない。なのにこれだけ拡大しても鑑賞に耐えるというのはもの凄いこと。現物を見ると鳥肌が立つ。これは高安さん監修の元、プロモデラーが製作したもので、販売するなら30〜40万円になるという。


そして'83年にホンダがエンジンコンストラクターとして再びF1に参戦し、'87年に中嶋 悟が日本人初のフル参戦ドライバーになったことで第2次F1ブームが巻き起こった。しかし高安さんは世の中のフィーバーを横目に、淡々とマイペースでF1を追い続けた。

高安さんいわく、その頃のレース雑誌は予選や決勝での写真が入り混じって掲載されていた状態。恐らく誰もこだわっていなかったのであろう。高安さんはそれが不満で、'85年頃にオートスポーツ編集部に「そのものズバリの写真を見せてくれ」と直談判しにいったという。

そこでプロカメラマンを紹介してもらい、撮影した写真を直に見せてもらったことで、ある車両が特定のグランプリに出走したときの完璧な状態を再現した作品を作り上げることができたそうだ。
▶︎これは細かい情報が掲載されていることで有名な雑誌の1ページ(1982年発売)。「ここにジル・ビルヌーブが乗っていたフェラーリ126C2に小さなカーボンファイバー製のカーナード翼がついていたことがある、と書かれている。でもそれがどんな形なのか正確な写真が見つからないので探し続けている」(高安さん)という。このような未確認情報がほかにも4つほどあるそうだ。


F1ブームのおかげで多くの模型が登場したが、高安さんは必ずしも満足していなかった。その最大の理由は「その瞬間に走っていた仕様じゃないから」

F1マシンはレースごとに、さらに言えば予選と決勝、ドライバーの違いでも細部の仕様が変わる。まったく同じ状態はありえないと言っていい。ところが多くの模型はそのマシンの最大公約数的な作られ方をしているので、高安さんの目から見るとどうしても不満が出てしまうのだ。

ところが近年、レースごとの細かい仕様の違いまで再現した模型が出始めた。それをインターネットが発達し情報が流通してきたからだと高安さんは分析する。

良い時代になりましたねと言うと実はそうでもないんだという返事。

「今のインターネット上には薄くて広い情報が無限にある。普通に見ていても本当の情報にはまず行きつかない。真実が埋もれてしまうんだ」と冒頭の言葉に戻る。

「でも一方で、当時の人たちの記憶や具体的な記述を元に事実を掘り下げていくと、本当の画像や資料に出会えることがある。その時は最高に嬉しい」

そんな薄い情報の海に埋もれてしまいそうな真実を見つけ出し、自分が好きなマシンだけでも正確に模型にして後世に残したい。そのトレジャーハンターのような熱い想いがSFPマガジンを出版したモチベーションなのだ。

また、正確なモノを残したいと思う根底にはこんな危惧もある。

「今の70年代のF1のファンは後から来た人がほとんどで当時を知らない。そこで彼らは情報をウェブで入手する。また雑誌などもネットや今あるものを取材するから、当時と仕様が変わっていることに気付かない」

たとえばレストアされた70年代のF1に今時のパーツが使われていたり、別の年式の部品を流用していることに気付かず、そのまま記事や模型にしてしまうことがあるそうだ。それを見つけてしまうと高安さんの気持ちは急激に冷めてしまうのだ。

さらに言えば雑誌も読者も情報源が同じなので、ちょっとやそっとの記事ではだれも驚かなくなった。マニアを唸らせるにはそれ以上の情報が必要になる。それを自分がやらなければ誰がやるんだという義務感もあるのだ。

真実を確認するために実際にヨーロッパまで足を運ぶこともあるという高安さん。

「文献に残っていながら画像で確認できていない事柄がまだ4つほどある。これからも探していきますが、もし分からなくても調べたところまでをまとめておきたい。そしていつかそれを見た人が継いでくれれば良いと思っているんですよ」

時間軸の中にバラバラに折り重なって、あるいは散り散りに存在している過去の情報を正確にまとめる時期がきたのだ。それはやがて歴史となり文化となる。高安さんは子どもの頃からの憧れを胸に秘めたまま、それを実行している。彼は人類が築いてきたF1文化を伝承する者の一人なのだ。
▶︎SPF創刊号は世界999冊限定。特集は高安さんが一番好きだというフェラーリ312T(1976)。製作の参考になる新たな資料やアドバイスを掲載し、特別付録は再現に必要なデカール。全ページ英文で価格もユーロ表示。「これで世界戦略を狙っている」と高安さんは笑うが、実は儲けるつもりはなく、世界中のマニアの手元に届けば良いと考えている。「オランダ人が見つけて買ってくれたのは嬉しかった」と言う。

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text:横田和彦/Kazuhiko Yokota
1968年生まれ。16歳で原付免許を取得。その後中型、限定解除へと進み50ccからリッターオーバーまで数多くのバイクやサイドカーを乗り継ぐ。現在はさまざまな2輪媒体で執筆するフリーライターとして活動中。大のスポーツライディング好きで、KTM390CUPなどの草レース参戦も楽しんでいる。
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