35回目を迎えた東京オートサロン
更新日:2024.09.09
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年に一度のカスタムカーの祭典でもある東京オートサロンは、今年も盛り上がっていた。3日間で32万人を超える来場者。1日あたり10万人オーバーの数字は、東京モーターショーを軽く超えている。
text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.171 2017年2月号]
text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.171 2017年2月号]
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35回目を迎えた東京オートサロン
近年では街のチューニング・ショップやレース屋さんが技術とセンスを注いでカスタマイズしたクルマを披露したり、各種パーツ・メーカーが商品を並べてアピールするだけでなく、自動車メーカーやインポーターが堂々とブースを開き、新型車やコンセプトカーのお披露目だとかレースの参戦体制の発表の場として活用するイベントへと成長している。
今年の出展者数は458社、展示車両は850台。出展が2000社を超える北米のSEMAショーよりは少ないが、あちらは基本、一般の人は入場できない自動車ビジネスのためのトレード・ショー。来場者数は14万人に満たない。クルマ好きのための祭典としては、オートサロンは世界一のレベルにあるといえるだろう。
今年の出展者数は458社、展示車両は850台。出展が2000社を超える北米のSEMAショーよりは少ないが、あちらは基本、一般の人は入場できない自動車ビジネスのためのトレード・ショー。来場者数は14万人に満たない。クルマ好きのための祭典としては、オートサロンは世界一のレベルにあるといえるだろう。
それにしても──。前身の〝東京エキサイティングカーショー〟の頃はもっと空気がギラギラしていた、という記憶がある。
1983年の初回、コゾー時代に仲間と見に行ったときなど、明らかにアウトローな雰囲気だった。シルエットフォーミュラを筆頭とする派手めなハコ(乗用車ベースの競技車両)やグランチャンといったワルにも人気のレーシングカーも並んではいたが、主役はどう見ても最高速トライアルに挑むような真剣勝負系から単なるド車高短までの、見慣れたクルマが見慣れぬ仕様となった〝改造車〟だった。
不良の匂いといかがわしさにも似た空気が妙に心地好く、けれどメーカーが堂々と参加するなんてとても考えられないようなイベントだった。
1983年の初回、コゾー時代に仲間と見に行ったときなど、明らかにアウトローな雰囲気だった。シルエットフォーミュラを筆頭とする派手めなハコ(乗用車ベースの競技車両)やグランチャンといったワルにも人気のレーシングカーも並んではいたが、主役はどう見ても最高速トライアルに挑むような真剣勝負系から単なるド車高短までの、見慣れたクルマが見慣れぬ仕様となった〝改造車〟だった。
不良の匂いといかがわしさにも似た空気が妙に心地好く、けれどメーカーが堂々と参加するなんてとても考えられないようなイベントだった。
今のように健全な雰囲気になったのはいつ頃からか。
'87年に東京オートサロンと改名されて以降も年々盛り上がりを増し、展示のジャンルも広がり、次第に会場の雰囲気も変化して、いつしかメーカーやインポーターも無視することのできない大きなお祭りになっていた。
最新鋭のレーシングカーや初めて見る新型車もあればスピード追求型のチューニングカーやカジュアルなアウトローもあり、スーパーカーからミニバンまであらゆる種類のクルマが並ぶ。カスタマイズというものが完全に市民権を得、日本特有の自動車文化として定着している感覚がある。主催者の絶え間ない努力のおかげだと思う。
残るはカメコ(カメラ小僧)との闘いだけだ。僕も男だから綺麗なおねえさんは好きだけど、ブースにいる女の子を撮ることしか頭にない彼らが分厚い壁を作るから、見たいクルマが見られないのだ。スタンガンでも持って歩きたい気分である。
'87年に東京オートサロンと改名されて以降も年々盛り上がりを増し、展示のジャンルも広がり、次第に会場の雰囲気も変化して、いつしかメーカーやインポーターも無視することのできない大きなお祭りになっていた。
最新鋭のレーシングカーや初めて見る新型車もあればスピード追求型のチューニングカーやカジュアルなアウトローもあり、スーパーカーからミニバンまであらゆる種類のクルマが並ぶ。カスタマイズというものが完全に市民権を得、日本特有の自動車文化として定着している感覚がある。主催者の絶え間ない努力のおかげだと思う。
残るはカメコ(カメラ小僧)との闘いだけだ。僕も男だから綺麗なおねえさんは好きだけど、ブースにいる女の子を撮ることしか頭にない彼らが分厚い壁を作るから、見たいクルマが見られないのだ。スタンガンでも持って歩きたい気分である。
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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。