SPECIAL ISSUE 意外なイタリア

アヘッド イタリア

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とある人から、日本の自動車整備工場に納めている整備機器のほとんどがイタリア製だと聞いて、意外に思った。でもそう言われてみると、スーパーGTなどのレースの現場タイヤ交換の際に使われているインパクトレンチはほぼすべてがイタリアのパオリというメーカーのもの。楽天的、お調子者、情熱的、おしゃれ、刹那的、ちょっといい加減……。そんなステレオタイプなイタリアのイメージのその向こうに、私たちの知らない意外で奥深いイタリアの姿が隠されているのかもしれない。

text:松本 葉、嶋田智之、伊丹孝裕 photo: 嶋田智之、leonardodangelo.com [aheadアーカイブス vol.174 2017年6月号]
Chapter
凡人の団結より天才を戴く国
イタリア人の仕事の流儀
ドゥカティのトラスフレーム

凡人の団結より天才を戴く国

南仏にある我が家からイタリア国境、ヴェンティミリアまでおよそ60キロ。しばしばクルマの鼻先をこの街に向ける。到着すると最初にバールに入るのだが、よくこんな光景に出会う。カプチーノを頼んだ客が言う。

「あまり熱くしないで、でも緩いのはだめだ。スキューマ(ミルクの泡)はたて過ぎないでくれ。カカオも頼むよ。パラパラとミルクの上に散らすように振って、コーヒーの部分にかけるのはやめてくれ。黒砂糖はあるかい?」

一杯のカプチーノは私には一杯のカプチーノに過ぎないが、この客にとっては今という二度と戻ってこない時間に味わうこだわりの一杯なのだろうか。こうして出てくるカプチーノはどんなものかといつも興味津々で盗み見るが、私が注文したそれと格段の差があるようには思えない。しかし客は満足げに言うのである。

「グラーツェ。これぞ私が飲みたかったカプチーノだ」
マンジャーレ(食べる)、カンターレ(歌う)、アマーレ(愛する)を楽しみ、刹那的に生きているように語られることが多いイタリア人だが、彼らはものすごくこだわりの強い人々。物事へのこだわりはオタク性と言い換えることが出来ると思う。もしオタク度を赤で示すリトマス試験紙があったら真っ赤に染まるのは日本よりイタリア、こんなふうに感じている。

イタリア人自身もこの気質に自覚的なところがあって、それを〝自分たちのDNA〟みたいな言い方でまとめるが、私はこの気質には後天的な要素も強いと見ている。

親や学校や社会が、アベレージの高い人間よりひとつのことに秀でることを賞賛し、好きなことを見つけることを後押しするから〝こだわる〟ことを大切にしてオタク性が強まるのではないか。

私の趣味は無趣味であることだが、日本では結構、ご同胞に出会うもののいまだかつてイタリアで無趣味のヒトと出会ったことはない。死ぬほど好きだと言えることがないとこの国では肩身がせまい。実際、ある調査によればイタリアは〝肩書き〟を持つヒトが欧州内でもっとも多い国なのだそうだ。

課長や社長がたくさんいるわけではない。趣味の会やグループに属しているヒトが多く、そういう集まりで会長とか事務局長、パンフレット担当、イベント幹事、この手の肩書き保有者がたくさんいる。それでこんな結果が出るらしい。

気質の構築には枯葉のように散らばるローマ人の痕跡やミケランジェロの彫刻、教会の装飾のように、時間に風化されない人間の知恵と想像力を間近に見て育つことも大きな要因になっている気がする。

建築物の屋根の下側の華奢な柱の間に施された装飾は目を凝らすと小さな動物の頭になっていて、細かく彫り込まれている。こういうものを学校帰りに見て育った人間に宿る感性は私には想像がつかない。

親や学校や社会が平均値の高さより(一般的なことが出来なくても)ひとつ、秀でたもの、得意なもの、好きなことを求める、その起源は大陸のなかで侵略と譲渡を繰り返した歴史から来るのだと思う。

イタリアは国としての統一からわずか156年。アイデンティティを形成するために功績を残した先人をモデルとした。それはとりわけ学校教育のなかに顕著に見られることだが、百人の凡人の団結よりひとりの天才を語ることはイタリア人としての誇りを持つ上でもとても効果的。

天才を祖先と据え、彼らの生き様がひとつのお手本になったのだろう。「みんな同じである必要はない。ほら、情熱を持って生きるってステキでしょ」

こういうことが可能だったのは、語るに値する天才やヒーローがこの国に多く存在したから。

人口が日本の半分にもかかわらず、物理の分野にはガリレオ・ガリレイがいて、芸術の分野ではミケランジェロ・ボナロッティ(ほか多数)がいて、レオナルド・ダ・ヴィンチにいたっては音楽、建築、数学、解剖学、生理学、天文学、地理物理力学、どっからでもかかって来い。

自動車の世界を見てもエンツォ・フェラーリからジョルジェット・ジウジアーロまでこれだけ多くの個人の名を挙げることが出来る国は他にない。

一方でこういう天才をモデルに据えることを〈ブレーキ〉にしていることも興味深い。たとえば芸術。芸術は生まれ持っての才能がすべてであり生半可なセンスで手をつけるべきでないことをイタリア人は幼い時から知り、意気込みがあっても中途半端なセンスは淘汰される。

出来ないことに手を出さず、出来るヒトに任せるのもこの国のやり方で、出来ないヒトは出来るヒトに楽しませてもらえばいいと彼らは考える。ピアノは嗜みで習うものではないのだ。

そういえばイタリア人の甥が小学生の頃、突如、彫刻家になりたいと言い出したことがあった。この時、彼の父親が言ったひとことが忘れられない。

「お前がミケランジェロを超えられると思うならやりなさい。超えられないなら意味がない」

手先が不器用だった甥は父親の言葉に彫刻家を諦めた。私だったらあたふた彫刻教室を探していたことだろう。もっともオタク気質を感じるのは、イタリアの発明品を眺めたとき。フィアットの公式HPでも紹介されていて、このリストを見たときはやっぱり自慢なんだなと可笑しかった。いや実際のところ、自慢に値する品々が並ぶ。

メガネから始まり電話と電池、タイプライターはよく知られたところ。エスプレッソ・マシーンとアイスクリームのコーンはお任せするとして、ピアノ、バイオリン、オカリナ、もちろんオペラもイタリア生まれだ。しかし私が注目するのは望遠鏡、水銀気圧計、内燃機関、無線電信機、震度計、自転車のギアなど、オタク度が高そうなもの。

イタリアの本で読んだリストには金属製の釘、羅針盤、カーボン紙、ダイナモ、キャブレター、ランプ、電線、電動機も並んでいた。オタクの匂いがプンプンする。

もちろんオタク気質はイタリアの自動車製作にもふんだんに生かされている。私にとっての一番のそれはスクーターのベスパ。素足にスリッポンを履いて初夏の街を流すのがぴったりなベスパのメカニズムは航空機技術をベースにしている。

天才技術者、コラディーノ・ダスカニオが作り上げた。『ローマの休日』で石畳を走るあの姿からそんな複雑な技術が搭載されていると誰が想像出来るだろう。

複雑なことをさっぱり仕上げるのはイタリアの得意技。オタク性の高い技術も落とし所はいつも日常、今を楽しく生きることに貢献するものであることが着地点となる。彼らにとっては複雑な技術もカプチーノへのこだわりも同じ路線上にいる、そんな印象を持つ。
先日、自動車デザインのメッカ、トリノで行われた面白い取材に同行した。自動車雑誌『CARR GRAPHIC』が企画したものでジョルジェット・ジウジアーロが主宰するGFG STYLEが今年のジュネーブ・ショウに展示した〈Techrules  Ren〉というコンセプトカーを見に行ったのである。いや、このプロトのシート生地を見に行った、こちらが正しい。

詳細は『CARR GRAPHIC』の7月号に掲載されているが、このプロトのシートにはデニムが使用されている。提供したのはパンタローニ・トリノ(PT)という、その名の通り、トリノのパンツ・メーカー。いかにもこの国らしい、上質でスタイリッシュなパンツが日本にも輸入され好評を博しているが、PTはもともとは生地屋としてスタートした。だから生地に強い、それもあってジウジアーロとのコラボが実現したということだった。

創業者の孫にあたるエドアルド・ファッシーノ氏によれば15世紀頃にはデニムはトリノ近郊のキエリという街で織られていたという。デニムはフランスのニムという街で誕生したからニム産を意味するこの名前が付いているとばかり思っていたが、キエリはニムのライバル生産地であったそうだ。

私はとても驚き、イタリア生まれとしてエバったらどうかと勧めたくなったが、同時にこういうところにガタガタ言わないのもまたイタリアらしい感じがした。

丈夫なデニムはキエリから150キロほど離れたジェノバ港に運ばれ、輸出品の梱包に使われアメリカに運ばれた。デニム生地を使って作られたジーンズ(Jeans)、この名はフランス語でジェノヴァを意味するジェーン(Gênes)に由来するそうだ。

ジェノヴァはかのクリストフォロ・コロンボの出身地。天才自動車デザイナーが製作した未来カーの前で、そこに使われたシート生地の話を聞きながら世界が大航海時代に広がった。ちなみにイタリア人は自国を『聖人と詩人と航海士の国』と呼ぶ。

イタリアは奥が深い。知れば知るほど奥の深さを実感する。しかし彼らはそんなこと、おくびにも出さず、それぞれがそれぞれの日常を楽しんでいる。細かいことは、まあ、いいじゃないかと笑いながら、朝の一杯のカプチーノに限りなく細かな注文を出し、そして言うのである。

「グラーツェ。これでいい1日が過ごせる」
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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

イタリア人の仕事の流儀

僕達は〝イタリア〟と一括りにして論じるけど、日本に東京があれば竹富島があるように、イタリアにも様々な都市や地域、つまり文化圏がある。御存知イタリアは元々ずっと都市国家で、150年ちょっと前までは小さな国々が戦い合ったり協力し合ったりを繰り返しながら複雑な歴史の流れを描いてきたわけで、その名残りは今もあって、地方ごとに文化や風習、市民性などは思いのほか違っている。

単純に北と南を較べても「南のヤツらは働かない」「北のヤツらは冷たい」みたいに、基本的な気質などがかなり違っていたりもする。もちろん個人差だってある。

それが大前提。とはいえ、これまで現地で仕事してきた体験や出逢ってきた人達のことを考えると、僕達日本人の頭の中に何となくある〝イタリア人〟像もそうハズレてはいないかも、と思えるところもある。陽気で気さくで楽天的で情熱的。シンプルでストレートでエモーショナルでマイペース。とても人間的でいいヤツ、という感じ。実際そういう人が多いのは確かだな、と思う。

でも同時に、例えば「楽天的」が「テキトー」に、「ストレート」が「自分勝手」に、「エモーショナル」が「気分屋」に、「マイペース」が「迷惑なほどのスーパー・マイペース」に、それぞれ成長しちゃってるような人が目立つことも否定できないところではあり、そのイメージがひとり歩きしてる側面もある。〝イタリアン・ジョブ〟という言葉が、〝テキトーな仕事っぷり〟〝完成度の低い仕事〟みたいに解釈されがちなのは、だからなのだろう。

でも、そうとばかりはいえない、ということを僕は知っている。初めてそれを実感したのは25年ほど前だったか。トリノに住んでいた知人が日本に持ち帰ってきた、その時点で軽く15年落ちだったアルファロメオのダッシュボードを、何かのハズミでバラシ始めたときだ。

そこに隠れていた電気系統の配線は、必要と思われるゆとりこそ持たされていたものの、余分なたるみや乱れは一切見られず、何本かが束ねられる箇所のそれぞれの長さはピタリと合って寸分の狂いもなく、整然とした流れを見せていた。それこそテキトーに遊ばせておいても何ら問題がない部分だってあるのに、唖然とするほど正確で、美しく処理されていた。

最も驚いていたのは知人自身だ。彼はそのクルマを年老いた大家さんから安く譲ってもらい、大家さんが修理に入れていたガレージで面倒を見てもらっていたのだが、ラジオが鳴らなくなったついでに配線のチェックを頼んだ記憶はあったものの、メーカー純正を凌ぐレベルの処理までしてくれてたとは思っていなかった。しかもそのガレージは有名でも何でもなく、よくある名もなき町の整備工場のようなところだったらしいのだ。

最も新しい実感は、去年である。全日本ラリー選手権でのチャンピオン経験があるドライバー、眞貝知志選手と彼の所属チームであるmCrt(ムゼオ・チンクエチェント・レーシング・チーム)が初の海外ラリー挑戦ということで、9月のイタリア選手権ローマ・ラリーに参戦した。

mCrtが現地のパートナーとしてジョイントしたメンテナンスガレージは、イタリア国内戦では名の知られたところではあったが、代表とその10代の息子、それにメカニックという3人編成だった。彼らは競技中のアクシデントで前後左右のサスペンションと駆動系、フロア周りを破損し、「コース上を走らせるのがやっと」の状態だったアバルト500を、4時間たらずで戦える状態に戻してみせた。

普通の修理工場なら「1ヵ月は預からないと……」という状態のクルマをバラし、交換できるパーツは全て交換し、叩き、曲げ、セッティングデータに合わせ直し、という恐ろしく大掛かりな作業を施し、剥がれたボディのデカールもほぼ元通りに美しく整えるというオマケ付きだ。

アクシデントの痕跡は、見た目にもパフォーマンス的にも全く判らない。彼らに「さすがだね」と伝えたら、「おまえは何を言ってるんだ?」の表情で「これはラリーなんだぞ」とだけ返ってきた。

マジメに取り組んだイタリア人達の仕事は、本当に凄いのだ。そうした仕事ぶりを何度も見せてもらってきた僕としては、そっちの方を〝イタリアン・ジョブ〟と呼びたいくらいなのである。

僕達日本人の先祖が縦穴に屋根を被せた家に住んで土器を作ってた時代、彼らの先祖はすでに多色使いの写実的なフレスコ画や大理石の精密な彫像を手掛け、コロッセオのような正確に設計がなされた巨大建築物を完成させていたという事実を、忘れてはいけない。
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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。

ドゥカティのトラスフレーム

「クォォォーン」でも「キィィィーン」でもなく、「バボォォォ」。それが多くのイタリアンバイクの排気音だ。官能的だともてはやされ、しばしば「咆哮にも似た」とか「狂おしいほどの」というような枕詞がついてまわるイタリアンカーのそれとは対称的に、バイクの場合は一部を除いてがさつですらある。

ではどこに魅力があるのかと言えば、ハンドリングだ。

自由奔放、直感的、快楽主義。あるいは自己中心的、無計画、なりゆき任せ。イタリアに対するそうしたイメージとは裏腹に、ハンドリングを司るフレームワークは緻密で合理的で正確無比。それに携わる人も生真面目で労働時間を厭わないワーカホリックさながらの仕事人間が多い。

少なくともイタリア北部に点在するMVアグスタ(ヴァレーゼ)、アプリリア(ヴェネツィア)、ビモータ(リミニ)、ドゥカティ(ボローニャ)、モトグッツィ(レッコ)といった主要なバイクメーカーで手腕を奮うエンジニア達はそうだ。

そして、それが最も色濃くカタチになって表れているのがドゥカティが採用する鋼管トラスフレームである。クロームモリブデン鋼をストレートに配し、それをトラス、つまり三角状に組み合せていくその構造は応力を分散しながら剛性も確保できることがメリットだ。

それゆえ、限られたスペースで最大限の堅牢さが求められる構造物には古くから採用され、東京ゲートブリッジやスカイツリーの骨組みを見ても分かる通り、建築技法が飛躍的に発達した近年でもそれは変わらない。

乗り物におけるトラス構造はもともと航空機のために開発された技術である。空を舞い、高い機動性と安定性も満たすために機体はできるだけ軽く、頑強で、振動に強くなければならない。そこでまずパイプや鋳造材を繋ぎ合わせて基本骨格を作り、それを布や薄い金属の外皮で覆うことで進化。

それがバイクやクルマにも転用され、クルマの場合はやがて外皮そのもので応力を受けるモノコック構造へ、飛行機はその両方を兼ね備えるセミモノコック構造へと主流を移して現在に至る。

ならば、飛ぶこと以外の要件を飛行機と共有するバイク界において、トラス構造がメインストリームに躍り出たかと言えば、そんなことはなかった。日本車やドイツ車の一部には採用されているものの、現在それを主軸に置いているメジャーブランドはドゥカティの他にはビモータやMVアグスタくらいである。その理由は単純明快。量産するにはあまりに手間とコストが掛かるからである。

数あるモデルの中でも、それが目に見えて分かりやすかったのが916系('93年〜)だ。

見どころはパイプを5〜6方向から1点に集合させている部分で、応力が最も掛かる部分にその手法を用いることによって剛性を最大限にまで高め、同時に最小限の部材でそれを達成。つまり強さと軽さの両立が極めて合理的に実現されたわけだ。

同じトラスフレームでも、現在のモデルは複数のパイプを集合させることを極力避け、曲げ加工や数点の溶接で代用されているものが多い。5方向以上にもなればパイプを接合する継ぎ口の形状管理と溶接に対する精度が上昇。量産には決定的に不向きだからである。

また、トラス構造のメリットは設計の自由度にもある。1本あたりのパイプ長が長くなるクレードルフレームや、一定の幅や高さが必要になるアルミのツインスパーフレームと異なり、部位によってパイプの長さも太さも肉厚も変えられるため、エンジンとのクリアランスをギリギリに保ちながらフレキシブルに取り回すことが可能。

もちろん、それによって設計や溶接はさらに難しくなるわけだが、速さや軽さ、強さという目的がある限り、ドゥカティはそれを手間と考えない。そして、日本車と比較した時の最大の違いがエンジンそのものにフレームの役割を持たせていることだ。

日本車はまずエンジンを載せる、または吊り下げるための部材としてフレームを設計しているが、ドゥカティはクランクケースやシリンダーの頑強さを剛体として利用するという、やはり合理主義に基づいたアイデアを実践。その車体が一般的なバイクと比較して猛烈にスリムかつコンパクトなのは、エンジンの幅や長さがそのままフレームに成り得るほど設計に無駄がないからだ。

だからコーナーを目の前にしたドゥカティは倒れ込むようにソリッドなリーンを見せ、高いコーナリングスピードとムチのようにしなやかなライントレース性でそこを駆け抜ける。それらは頑強なトラスフレームとそれが可能にしたナロウな車体、そしてエンジンもストレスメンバーとする剛性バランスの成果に他ならない。

決して流麗なデザインや爆発的なパワーがドゥカティらしさの素ではない。根底にあるのは理詰めの車体設計であり、理想のために時間を掛け続ける一途さだ。その様は時に「情熱」や「愛」と呼ばれるが、イタリアンプロダクトのほんの一面に過ぎない。
※写真のドゥカティ916をデザインしたのは、鬼才と呼ばれたイタリア人のマッシモ・タンブリーニ。ビモータの創設者の一人としても有名なタンブリーニは、916を手掛けた後に「モーターサイクルアート」と称されるMVアグスタF4を創り上げた。ちなみにドゥカティ916(シリーズ)は、1994年から2001年までの間、スーパーバイク世界選手権において6回のタイトルを獲得。故アイルトン・セナが最後に愛したバイクとしても知られている。
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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
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