忘れられないこの1台 vol.40 FIAT 124 SPIDER

アヘッド FIAT 124 SPIDER

※この記事には広告が含まれます

最初にお願いしたいことがある。今回だけは、タイトルを「忘れてしまいたいこの1台」に変えてほしいのである。あの頃私は、2つの世界を同時に生きていた。クルマ業界に飛び込み、分からないことだらけで無我夢中だけど、本当の自分に気づきはじめた輝かしい世界。もうひとつは、幼い頃から明るくて優等生、周囲の期待を裏切らず、世間のいう女の幸せな人生を演じていく世界だ。

text:まるも亜希子 [aheadアーカイブス vol.118 2012年9月号]
Chapter
vol.40 FIAT 124 SPIDER

vol.40 FIAT 124 SPIDER

▶︎1966年から1985年まで生産されたFIAT124の2ドアオープンモデル。デザインはピニンファリーナの手によるもの。


私はずっと、2つの世界のどちらを選ぶべきか、悩みながら生きていた。どちらか一方を知ることさえなければ、あんなに辛い痛みはなかったのかもしれない。でもそのきっかけになってしまったのが、このイタリア生まれの黄色いオープンカー、フィアット124スパイダーだった。

まぁとにかく、未だに謎の多いクルマである。だいたい車検証からして、「年式不明(推定78年)」などとなっているのが怪しくて笑えた。イタリア車だけどアメリカから輸入されたものらしいし、購入したショップ店長によれば、前オーナーは田園調布にお住まいで、屋根付き車庫に長らく保管されていたのだという。

でもそのわりには、本革だという幌は劣化でヒビ割れだらけ。リアウインドウ代わりのクリア部分は白濁していて、後方視界はゼロだった。サイドミラーも調節不可能であらぬ方向ばかり映し出し、幌を閉めると車線変更もできない。だから炎天下でも氷点下でもいつでもオープンで、やせ我慢して普通の状態を装うという、まったく優雅とはほど遠いオープンカーライフだった。

そして走りはといえば、スペックでは1.8ℓのキャブエンジンで4速MT、確か95馬力くらいだったと思う。ハンドルもクラッチも「筋トレか!」というほど重く、とくに車庫入れの時は二の腕をぶるぶるさせ、足首がつりそうになり、まるで格闘技のようだった。

そんな、うさん臭くて取り扱いに困るオープンカーだったが、それまで乗ったどのクルマよりも、人の温もりを感じさせてくれた。インパネの造形やはめ込み処理、スイッチなどを眺めたり触ったりすると、それを造った職人たちの存在が、なんとなく胸をほんわかとさせる。エンジン音は誰かが弾いている楽器のようだったし、アナログメーターの微妙にズレた針の動きは心を和ませた。

そうして私は未知の世界を知り、新しい価値観を積み上げていくことになる。すべてを満たす高性能な優等生じゃなくて、不器用でもわがままでも正直に、人間らしくいたい。そのために傷つけた人たちを思い出す124スパイダーなど、できることなら忘れてしまいたい1台だ。けれど、きっとこの先も一生忘れないだろうことを、私は知っている。

----------------------------------------------
text:まるも亜希子/Akiko Marumo
自動車雑誌編集者を経て、現在はカーライフジャーナリストとして活動中。雑誌やトークショーなどのほか、ハイブリッドカーでの耐久レースに参戦するなど、活躍の場を広げている。
【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細