忘れられないこの1台 vol.43 DAIHATSU NAKED

アヘッド ネイキッド

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「今、走行どのくらい?」「26万9千キロかな」「譲ってから10万キロ! 凄いね」「実は明日、次乗るクルマの引き渡しなんだ。ネイキッドは…ちょうど車検切れるしね」「えっ!(と電話口で絶句の私)」。

text:三好礼子 [aheadアーカイブス vol.121 2012年12月号]
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忘れられないこの1台 vol.43 DAIHATSU NAKED

忘れられないこの1台 vol.43 DAIHATSU NAKED

▶︎1999年11月にダイハツから発売された軽自動車。その名の通り、剥き出しの素材感が特徴のユニークなクルマで、注目を集めた。「礼子さんらしいねと、誰もが納得してくれたクルマです。最近、また巷で頻繁に見かけるけれど、どうしてこんなにステキなクルマが再び生産されないのか、 摩訶不思議なニッポン...」


そう。かつての愛車ネイキッドは、引き取ってくれた友人の元で、今もまだ現役で走っている。

失った物の思い出に浸るタイプではないが、全てが凄すぎて、決して忘れる事のできない一台。先の友人に手渡してから4年。坂道は苦しそうで、いつ命果ててもおかしくない状況なのに、今でも長距離をこなすという。

「エンジン載せ替えたらまだイケルよ」と友人。どのクルマにも魂の強さがあると思うが、このネイキッドは最上級。「きっと廃棄処分から逃れて、再び誰かの元で動き始めるのでは?」と密かに思う(願う)私だ。

そもそもは、'99年11月の発売に伴い、浅井慎平氏、テリー伊藤氏、そして私の3人が2年に渡って試乗し、意見をレポートするという広報企画でのご縁だった。

打ちっ放しの凸凹鉄板、スクエアな車体、広い車内、泥遊び可能な内装などはまさに私向きで、試乗会で一目惚れ。この後、甘いイメージの軽自動車には興味がなかった私のカーライフは、激変したのだった。

リクエストした四駆のマニュアルターボは、女豹のように朝霧の高低差千mを一気に駆け上がり、雪の吹き溜まりを物ともせず、大量の荷物を積んだ私を日本中、軽快に移動させてくれた。都会でも田舎でもオンでもオフでもピタッと私の心と動きに反応してくれるストレスフリーカーであり、遊び心あるコンセプトは、40代の私の生き方そのものだった。
実は、クルマが来た半年後、私は人生の相棒と別れて一人暮らし(まさにネイキッド)に突入。農業も始めたので軽トラが追加され、ダブルKで大地を奔走することとなる。同時に肉体で競うアドベンチャーレースも始めたので、シーカヤック&MTB用のルーフキャリアを設置。

カヤックの前後に赤い布をヒラヒラさせながら、幾度伊豆の海へ通ったことだろう。車内での仮眠も驚くほど快適で、農機具からフリーマーケットグッズからアクティビティーグッズをガンガン載せられて、燃費もよし。これ以上の相棒はなく、不満もまったくなかった。

〝不可能の文字〟など微塵もなかった逞しきネイキッド。ターボも修理し、痛んだ塗装をマジョーラに塗り替え、命果てるまでおつきあいと思っていたけれど、さすがに走行17万5千キロで「お疲れさま、かな」。そして、引き取ってくれた友人がお金を掛けて修理したお陰で再び蘇り現在に至るのだから、あっぱれである。

今でも私は、好奇心と軽いフットワークと愛嬌で人生を送りたいと思っているが、それはライダーの魂とも近い。シンプルだけれど、強くてアタタカイ。ネイキッドよ、アナタに教えてもらったことは忘れない。

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text:三好礼子/Reiko Miyoshi
アウトドア派エッセイスト&元国際ラリースト。18歳で日本一周バイクツーリング(風まみれ)、29歳よりパリ・ダカなどに多数出場(砂まみれ)。1995年に富士山麓に移住し、畑に勤しみ動物たちに囲まれて暮らす(土まみれ)自称「自然回帰型生活びと」。趣味はトレイルランニングとゴミ拾い。暮らしぶりはHP(http://www.fairytale.jp)で。
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