忘れられないこの1台 vol.57 トヨタ・マークⅡ

アヘッド トヨタ・マークⅡ

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「たまごちゃん」というのが、その子の名前だった。なんて言うと、ごく良識的なセンスをお持ちの皆さんには決まって怪訝な顔をされてしまうのは重々承知なのだが、当の本人、つまり当時の私は真剣そのもの。だって名前を付けてしまうほどに深く愛していたんだから仕方ない。

text:今井優杏 [aheadアーカイブス vol.135 2014年2月号]
Chapter
vol.57 トヨタ・マークⅡ

vol.57 トヨタ・マークⅡ

▶︎トヨタが1968年から2004年まで製造していた中型高級乗用車。姉妹車のクレスタ、チェイサーと合わせて「マークⅡ三兄弟」と呼ばれ、バブル期にはハイソカーブームを巻き起こし、月に数万台売れる人気車種だった。現在はマークXにモデル名を変えている。


しかし実際のソイツは「たまごちゃん」なんてラブリーなネーミングからは遠くかけ離れ、あちこちぶつけて凹んだオンボロ。塗装は情けなくも剥がれかけて全体にマットな質感に変化し、まるで卵のようだったから「たまごちゃん」になったという、乙女チックのかけらもない由来だった。

してその正体は、ザ・オヤジセダンとして売れに売れた七代目のマークⅡ。X90型というモデル型式から「キューマル」と呼ばれ、バブル経済最盛期に開発されたためか、灰皿がワンタッチで出入りするなどどことなく時代を感じさせる装飾が施されていたのをよく覚えている。

また足回りもコンフォートの考え方の差から現在とは比べ物にならないくらいに柔らかくセッティングされていたため、凹凸が続くような波打った悪路に一旦入ると、後部座席の友人から「気持ち悪い〜」とクレームが入ったものだった。

当時花の女子大生だった私は、いささか時代錯誤なこのキューマルをその頃交際していた恋人の叔父さんから「もう廃車にしようと思っていたけど、まだまだ走られるから良かったら乗らないか」と無料で譲り受けたが、私の手に渡った時点ですでに三人のオーナーを経ていた筋金入りの中古車。

シートにはタバコの匂いが残り、足元のマットはすり切れるほどの惨状。とてもじゃないけど女子が乗るようなクルマではなかったが、それでも間違いなく私にとっては財産だったのである。

それに加えてさすが世界のトヨタ品質、三人のオーナーと20万キロに届きそうな走行距離を以てさえもなお、どこにもガタの来ないしっかりした走行をその後8年間に渡って私に提供し続けてくれたのだった。

初めて「たまごちゃん」で実家に帰ったときの、凱旋したかのような誇らしい気持ち。初めて「たまごちゃん」で友人5人スシ詰めで、富山に旅行したときのどうしようもない興奮。

そののちに、現在の職を目指す大きなキッカケとなったレースクイーンの仕事にも、この子で向かうようになった。鈴鹿や岡山、地方への撮影も、どこでも自分で出掛けた。

そう、自分で移動出来る、いつでもどこでも好きなところへ行けるという、モビリティの歓びを教えてくれたのは「たまごちゃん」だったのだ。そういえばキッカケになった彼との別れ話も「たまごちゃん」の中だったな。切なすぎて忘れられない。

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text:今井優杏/Yuki Imai
レースクィーン、広告代理店勤務を経て自動車ジャーナリスト。WEB、自動車専門誌に寄稿する傍らモータースポーツMCとしての肩書も持ち、サーキットや各種レース、自動車イベント等で活躍している。バイク乗りでもあり、最近はオートバイ誌にも活動の場を広げている。
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