忘れられないこの1台 vol.58 ヤマハ SR400

アヘッド ヤマハ SR400

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正真正銘のシングルマン。そう呼ばれるひとりの英国人に会った。その男は自分の両足を指さし、「ほら、右足の方が左足より少し太いだろう? なぜだと思う? それは何十年もビッグシングルのキックスターターを蹴り飛ばしてきたからさ」と微笑んだ。

text:伊丹孝裕 [aheadアーカイブス vol.136 2014年3月号]
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vol.58 ヤマハ SR400
ヤマハ SR400

vol.58 ヤマハ SR400

今思えば、ちょっとしたジョークだったのかもしれないし、果たして本当に太かったかどうかも定かではない。ただ、バイクにどっぷりと浸かった人生であることは間違いなく、強く印象に残った。2003年の春のことである。

当時、僕はバイク雑誌『クラブマン』の編集部に配属されたばかりで、その初仕事として、ヤマハSR400の発売25周年を記念した冊子作りを担当することになっていた。

巻頭特集はSRのツーリングインプレッション。それは王道ではあるがありきたりでもあったため、編集長が一計を講じ、旧知の英国人ジャーナリストを呼び寄せた。

ノートン、マチレス、ヴェロセット・・・・・・そういうキラ星のようなビッグシングルの国で生まれ育ち、洗練さとは無縁の鼓動を知るライダーにニッポンのチュウガタシングルを評価してもらおうと考えたのである。

そのアイデアに乗ったのが、自他ともに認めるシングルマン、フィリップ・トゥースさんだった。

箱根のワインディングをひとっ走りして都内へ戻る、関東近郊のライダーなら誰もが知る定番のショートツーリングだったが、その原稿は素晴らしくおもしろかった。

SRのことを決して手放しで褒めたりはしない。それはそうだろう。なにせ乱暴者との誉れも高い(?)BSAのDBD34ゴールドスターをガレージに収め、スロットルを全開にする時に備えて、耳栓を携帯するのが当たり前の男である。SRの排気音など、ささやきにも感じられなかったに違いない。

実際、原稿にはシニカルな言葉も並んでいたが、バイクとSRへの愛にも溢れ、読み終えた時には、いつ絶滅しても不思議ではない空冷のシングルスポーツが、ごく普通に手に入れられる国にいることと、それを守ってくれているヤマハを誇らしく思えたほどだ。

そうやって、SRに囲まれながら一ヵ月程が経過し、初めて自分が関わった本が出来上がってきた頃には、すっかりその世界に魅せられていた。そしてほどなく、僕は一生乗るつもりで新車のSRを買ったのだ。

結婚、子供、独立、レース・・・・・・その後起こった自分の身の回りの変化の中で手放してしまったが、SRは昨年35周年を迎え、今もなんら変わらず作り続けられている。

一生乗るつもりで手に入れるのは、まだ先でも良さそうだ。

ヤマハ SR400

初代SR400のデビューは1978年のこと。オフロードモデルXT500のエンジンをベースにしたシングルスポーツとして発売が開始された。以来、足回り等に小変更を受けながら、スタイルはほぼ不変のまま生産を継続。空冷には厳しくなる排ガス規制の中、幾度もその存続が危ぶまれたが、改良が重ねられ現在に至っている。

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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
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