SPECIAL ISSUE LIFE

アヘッド SPECIAL ISSUE LIFE

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「LIFE」は意味深な言葉である。文脈によって、生活とも、人生とも、生命とも訳される。クルマやバイクを愛する人たちにとって、それらは生活とともにあり、人生を彩り、生命に活気を与えてくれるものである。100人の人がいれば、そこには100とおりのLIFEがある。3つのLIFEをご紹介したい。

text:河村 大、今尾直樹、ahead編集長・若林葉子 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.189 2018年8月号]



Chapter
僕の原点はジムニーライフ
ミレニアル世代のクルマコミュニティ

僕の原点はジムニーライフ

text:河村大 photo:長谷川徹

スズキ ジムニー
車両本体価格:¥1,744,200(税込、XC、5MT)
排気量:658cc
エンジン:水冷4サイクル直列3気筒インタークーラーターボ
駆動方式:パートタイム4WD
最高出力:57kW(64ps)/6,000rpm
最大トルク:96Nm(9.8kgm)/3,500rpm
燃料消費率(WLTC):16.2km/ℓ

布団に入っても寝付けない。もう20年も前のことなのに様々な記憶が脳裏を駆け巡る。ジムニーのことを書けって? なんて楽しい宿題だろう。なんて色鮮やかな記憶の旅だろう。そうか。ジムニーは僕の青春だったのだ。

僕はクルマと文章が好きで、27歳の時、四輪駆動車専門誌の編集部の扉を叩いた。実は四駆のことは何も知らなかった。でもその年の夏に中古のジムニーを買った。5速MTの幌車だ。コイツが可愛かった。ターボが効き始めるとウィーンという音が車内にこだまして一生懸命加速した。

全開でも決して速いわけじゃない。でも交通の流れに乗せる作業はいつだって楽しかった。周りのクルマは普通にアクセルを踏んでいただけだろう。でもジムニーの車内で僕はいつも自分史上最高のキレ味でシフトワークすべく格闘していた。後ろから迫り来るクルマがメルセデスのGクラスだろうとポルシェだろうとそんなことは関係ない。僕は僕の一番の宝の中で目一杯スポーツできればそれで満足だったのだ。

ストレスとも無縁だった。道路脇の駐車が邪魔な狭い道でもジムニーはスイスイ走った。もちろん幅が狭いからだ。よく見えるボンネットのおかげで車幅は掴みやすく、ミラー脇5㎝のすれ違いも怖くなかった。

座面が車体中央に配置された贅沢なレイアウトも良かった。自分のお尻を軸にヨーモーメントが発生する感覚はFRスポーツそのもの。雪道やダート路でも後輪の滑り出しが分かりやすくコントローラブルだった。だから僕は低μ路が大好きになった。

そしてオフロードへ足を踏み入れれば、まさに水を得た魚だった。ぬかるんだ道でも凸凹道でもよく走った。ノーマルのままだったが、慣性を使ったりタイヤの空気圧を落としたり色々工夫した。ガンガンに突っ込んでハネ上げられたり、転けそうになったこともあった。でもそうやって目一杯遊んでもジムニーは壊れなかった。
▶︎窓を倒し、幌もドアも外して、オフローディングを楽しむ。(写真・山岡和正)

なぜ壊れないのか? 実はジムニーの素性は軽であって軽ではない。37年前の2代目からずっと海外用の大きなエンジンを搭載することを前提に開発されてきたのだから軽自動車には不必要なほど頑丈なフレームや駆動系が与えられている。したがってオフロードで跳んだり跳ねたり、少々無茶してもしても壊れない。そして中古車市場でも「驚異的な現存率を誇るクルマ」と評価され、オーナーを幾度も変えながら末永く走り続けることになる。

さらに、海外版ではありえないほど小さく軽いエンジンがフロントミッドに収まっていることも軽ジムニーの特徴を決定づけている。前後の重量配分比が理想的なだけではない。重量物が中央に集まっているので動体としてのバランスに優れているのだ。これが、オン・オフ問わず扱いやすいドライビングフィールに繋がっている。

実際のところ、こんなに小さくて軽くバランスに優れた四輪駆動車は他に存在しない。そしてジープラングラーの2ドアを除けば、オフロードのドライバーズカーとしてこんなに贅沢なレイアウトを持つ四輪駆動車は他にない、ともいえるのだ。

あの頃、出かける時は前の日から天気をチェックして、心躍らせながら駐車場へ向かったものだ。幌を外し、ドアを外し、それらを荷台に積んで走り出した。いつだって風は友達。夏は草いきれの匂いをかぎながら運転した。高速道路で渋滞ともなればトラックの影を踏み、雨が降れば道路脇にとめて幌を付けた。

そういえば、買ったばかりの頃は右肘をドアにぶつけてばかりいたがすぐに慣れた。今では肘を張らずに下げ、窮屈にハンドルを握る癖は残ったまま。大きなクルマに乗っても体はジムニーのことをしっかり覚えている。思えばあの頃、僕はクルマの楽しみのほとんど全てをジムニーから教わった。そしてオフロードのドライバーとしても四輪駆動車のモノ書きとしても、多くの先輩達と親友ジムニーに育てられたのだと思う。

久々に訪れたスズキのディーラー。2歳の息子をベビーシートごと後席に乗せて5MT車を試乗した。あろうことか、シエラのMTのある別店舗もハシゴした。ああ。原稿を書き終えればゆっくり寝られる日が来ると思ったのに…。
▶︎学生時代に友人たちと。

ミレニアル世代のクルマコミュニティ

text:今尾直樹 photo:長谷川 徹(モーガン) 

「ゆーるピアンミーティング」という、ゆる~いイベントをご存じだろうか?

それは3年前、2015年のバレンタイン・デイにひとりのクルマ好きの若者が「同世代のクルマ好き、集まろう」とツイッターで呼びかけたことに始まる。彼がどういう気持ちで呼びかけたのか? 去年の夏、GQの特集の取材で当のご本人から聞いたはずだけれど、う~む、忘れました。

2013年秋に彼は、1999年式の初代フィアット・プントを80万円で購入した。アバルト・ブランドのエアロパーツを装着したスポルティング アバルトで、5MTだった。二十歳そこそこで14年も前のイタリア車を購入したのだから、彼にとっては大冒険だった。

2年弱、2万㎞、プントに乗って車検に出したお店にランチア・テーマが放置してあった。高く伸びた雑草で埋もれそうになっていたけれど、巨匠ジウジアーロが仕立てた端正なたたずまいに一目惚れしてしまった。'96年、最終型のターボ16LS、5MTで、もちろん不動車だった。彼はプントを30万円で下取りに出し、その動かないテーマを20万円で買った。

テーマは難物だった。そのお店では直せなかった。結局ランチアの専門店に持ち込むことになり、ドイツのプレミアム・ブランドの小型車が1台新車で買えるぐらいの費用が全部でかかった。

そうして、その年の2月14日、無人島にひとりぼっちの彼は、SOSのメッセージを入れたボトルを大海原に投げ入れるようにツイッターに書き込みをした。

すると、あろうことか、ひとりぼっちだと思い込んでいた彼のもとに返信があり、シトロエンBXだとか、あとはなんだったか忘れましたが80~90年代のヨーロッパ車を中心とする、ちょっと古いクルマに乗る20代の若者たちが大黒ふ頭に30人集まった。

彼らはみんな、大好きなクルマについて語り合える同世代の友だちを求めていたのだ。これがきっかけとなって、「ゆーるピアンミーティング」と名づけられた彼らの会は定期的に開かれるようになり、いまや100台以上のクルマと若者で埋まるようになった。

ということを聞いたのが前述したように去年の夏で、今年はなんと信州・車山高原で開催、過去最多の260台が集まったという。
「ゆーるピアンミーティング」の特徴はなにかというと、少なくとも筆者の認識によれば、何もしない、ということである。ただ、クルマが好きな若者たちが集まり、お互いに自分のクルマを見せっこしてダラダラする。それがもう、めちゃくちゃ楽しい。

じつのところ筆者はその場面をじかに見たわけではないので、これ以上のことは申し上げられない。

このとき取材した別の若者は、こんな話を聞かせてくれた。就職してすぐ、現行マツダ・ロードスターが発売になり、どうしても欲しくなって親にお金を借りて新車で買った。全部で約270万円支払った。その後、NR-Aが出ると、そっちがどうしても欲しくなった。さりとて、親にはもう借金できない。

そこで、まったく同じ色のNR-Aを内緒で注文し、前のロードスターは下取りに出して、ナンバーを引き継いだ。なるほど~。下取りは190万円で、NR-Aは300万円。親に月々5万円返済しながら、もうひとつのローンを抱えるようになった。

彼はしかし、それで終わらなかった。1年もたたないうちにRRのルノー・トゥインゴが発売になったからだ。ポルシェ911と同じリア・エンジン! NR-Aを手放すことにためらいはあっただろうけれど(おそらく)、190万円で下取りに出し、トゥインゴのMTを買ってしまった……。

差し引き、いったいどういうことになったのか不明ながら、トゥインゴのローンが月々2万円で、ロードスターのローンも残っているはずだから、おそらく給料の手取りの半分はクルマのローンで消え、しかも、そのうちの半分以上を2台のロードスター、つまり持っていないクルマの支払いに当てている。

「クルマは空気のようなもの」だから、生活を犠牲にしている感覚はない、と彼は言っていたけれど、空気、半分しかないじゃん。
このほか、中学卒業後にレーシング・ドライバーを目指して広島から上京し、ガソリンスタンドでバイトして距離9万km超の'95年のマツダRX-7を60万円で買って自分で直して乗っている若者とか、おじいちゃんが湘南で日産の下請けの町工場をかつてやっていて、自分のDNAには日産が組み込まれていると信じているけれど、いまは75万円で買った'95年の2代目マツダ・ロードスターに乗る若大将みたいな若者とかにも取材させてもらった。

生まれたときにはカラーTVもクーラーもカーもあり、コンピューター・ゲームや携帯電話で育った彼らにとって、クルマとは気張ってなにかをするようなものではないようだった。

少なくとも彼らが愛する自動車というのは、私たちのときのように時代の最先端を行くものではなくて、古きよき時代を懐かしむ、ホッとするような何かであるように思えた。

あれから1年、彼らはいま、どうしているのだろう……。あ、車山でオフ会開いたのだった。そんなわけで未来はそう悲観したものでもない。

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text:今尾直樹/Naoki Imao
1960年生まれ。雑誌『NAVI』『ENGINE』を経て、現在はフリーランスのエディター、自動車ジャーナリストとして活動。現在の愛車は60万円で購入した2002年式ルーテシアR.S.。
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