ひこうき雲を追いかけて vol.74 昔とったきねづか

アヘッド 昔とったきねづか

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今月号の「永遠の一台」(p59)は津々見友彦さんに書いていただいた。津々見さんは1941年12月生まれのオン年77歳であられる。若いころ、日産、トヨタ、いすゞの3メーカーのワークスドライバーとして活躍された。その後は自動車評論家として活動なさっている。

text:ahead編集長・若林葉子 [aheadアーカイブス vol.189 2018年8月号]
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vol.74 昔とったきねづか

vol.74 昔とったきねづか

私は津々見さんと特段親しいわけではないが、ご縁があってたまに試乗会にご一緒させていただくことがある。私が知る限りの津々見さんは、普段はとても穏やかで、暑いときには飲み物を買ってくださったり、気遣いも細やかな優しい方である。

その日は某輸入車の試乗会だった。私と津々見さんは1台のクルマを共有し、運転席に津々見さん、私は助手席にいた。和やかな雰囲気で、私は自分が運転した感想などを津々見さんに聞いていただき、津々見さんは「そうですか、そうですか」と耳を傾けてくださっていた。視界には1台の前走車がおり、そこそこスピードが出ていたと思う。

そのとき、突然、ブレーキランプが光った。前走車が急ブレーキを掛けたのだ。私は思わず「あぶない!」 そう声に出しそうになった。が、私が声を出すよりも前に、ががががっ、という振動とともにすでにクルマは止まっていた。

「ごめんね。大丈夫だった? 前が急に止まるもんだから。困ったもんだね」 津々見さんはいたってふつーにそうおっしゃったのである。

そう言われた私の第一声は、「津々見さん、いま、左足ブレーキでしたよね?」 だった。「うん。僕は基本、そうなんですよ。やっぱりいざというとき、こっちの方が早くてね」 すごいものを見たなあと、私はちょっと興奮した。

並みの77歳ではない。さすが元レーシングドライバーだ、と。いざという瞬間からの反応速度、安全に、確実に停止するテクニック。なによりその冷静さ。

津々見さんとは少し違うが、同じように私が敬愛するのは本誌でもコラムを書いていただいている舘内 端さんである。舘内さんは1947年生まれの71歳。東大宇宙航空研究所勤務の後に、レーシングカーの設計に携わった一流のレーシングエンジニアである。

現在は日本EVクラブを率いておられて、EVの第一人者として知らない人はいない。でも私は舘内さんはある種の思想家というか、哲学者だと思っていて、舘内さんの頭の中にある広大な宇宙をときどき、のぞいてみたくなる。ときおり送られてくるメールは軽妙洒脱、ユーモアに溢れているが奥深い。今はEVのリバーストライク(p29)を作ることでアタマがいっぱい、なのだそうだ。

若いころに何をしたか。どう生きてきたか。歳をとればとるほど、それはその人の全体から如実に現れるものだと最近、つくづく思う。50も手前になるとつい衰えるものを嘆いてしまうが、衰えていくものは大きいが、生き方がその衰えを補って余りある。おふたりのように、そんなふうに歳を重ねていきたいものだ。

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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。
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