久しぶりのR134

クルマやバイクに乗ると、なぜか海へ行きたくなる。海までたどり着くと、もうそれ以上先へ進まなくても良いからほっとするのだろうか。それとも人は海から生まれたから、繰り返し海へ還りたくなるのだろうか。ともかく、人はクルマやバイクに乗ると海へ向かう。そして海は季節ごとにまったく違う表情で迎えてくれる。穏やかに凪いだ海、荒々しく暴れる海、きらきらと太陽を孕んでたゆたう波。久しぶりにR134へ行ってみよう。

text:村上智子、江本 隆、山下敦史、松本 葉 photo:長谷川 徹 [aheadアーカイブス vol.188 2018年7月号]

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久しぶりのR134
R134を歴史で振り返る
SURF ROAD 134
僕の中の稲村ジェーン
久しぶりのR134

久しぶりのR134

アヘッド 久しぶりのR134

R134を歴史で振り返る

アヘッド 久しぶりのR134

text:村上智子


「国道134号線」は、東は神奈川県横須賀市から西は同県中郡大磯町まで、延べ60.6㎞をつなぐ。起点となる横須賀市で国道16号線と袂を分かつと、三浦半島を南へ下り、そこから半島をぐるりと周回していくのだが、南端までは行かずに手前でV字に北上する。そこからは海沿いに、逗子・鎌倉・茅ヶ崎など誰しも一度は耳にしたことがあるだろうエリアを西へ西へと進んでいく。

これがあの、湘南海岸だ。
       
134号線のルーツは、大正時代にまで遡る。

1920年(大正9年)、「鎌倉三崎線」(鎌倉郡鎌倉町~三浦郡三崎町三崎港)と「片瀬鎌倉線」(鎌倉郡川口村~鎌倉郡鎌倉町)の2つが県道に認定された。その11年後には「片瀬大磯線」(鎌倉郡川口村片瀬~中郡大磯町)も県道とされ、これら3線を元に、'53年(昭和28年)二級国道として「134号横須賀大磯線」が誕生。

「一般国道134号」に指定されたのは、それから12年後のことである。現在と同じく横須賀市から大磯町までを結んでいたが、当時はまだ、逗子~鎌倉~藤沢の一部は有料区間(湘南道路)だった。

アヘッド 久しぶりのR134

これらが完全無料化されたのは、バブル真っ只中の'86年(昭和61年)のこと。晴れて誰もが無料でドライブできるようになったのだ。この頃から、134号線は慢性的な渋滞解消のため、4車線化計画へとシフトしていくことになる。2015年には、江ノ島入口から大磯町の西湘バイパスまでの約15㎞すべてが4車線で繋がる、という実に約30年越しの悲願が達成され、現在の形になった。

異なる道がくっついたり、昇格したりとなんともややこしいが、少なくとも鎌倉を中心に発展してきたのは確かなようだ。

鎌倉にとってのターニングポイントは、何と言っても全国を平定した源 頼朝が、幕府として鎌倉を選んだことだろう。それまで貴族中心に回っていた世界から、初めて武士による武士のための社会へと大転換が図られた。鎌倉は源家にとって先祖代々ゆかりの土地。

しかも南を相模湾、東・西・北の三方を山に囲まれ、天然の要害としても都合が良い。山側には、あえて難所に狭い通路「切り通し」を設け、インフラと防衛の両面をさらに強固なものにした。都市づくりは着々と進められ、鎌倉は、政治、軍事、外交、文化などあらゆる面で、日本の中心地となっていったのである。

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相模湾の材木座海岸に作られた港では、中国との交易が活発に行われ、禅宗とともに禅宗様建築、仏教彫刻など様々な中国文化がもたらされたという。幕府は宗教政策に積極的で、武士にはシンプルな教えの禅宗が好まれたほか、武士や庶民にも分かりやすい宗派が数多く誕生したという。

大仏の造立や建長寺、円覚寺など禅寺の建立が盛んに行われたのもこの頃だ。寺院は武家の精神修養や学問・文化取得の場となるとともに、茶や絵画といった文化も育てていった。1333年に鎌倉幕府は滅亡してしまうが、今の古都のイメージは、この当時に建立された神社や寺院、そして武家文化によって醸成されたものだろう。

幕府滅亡後は徐々に衰退し、寺社は廃れて農業と漁業の村になっていったが、江戸時代に入ると復活の兆しが見え、参拝客が増え始める。今や1年中観光客の絶えない人気エリアだが、驚くことに江戸時代中期には、すでに観光地化が始まっていたらしい。

鎌倉時代に書かれた歴史書「吾妻鏡」や、歌舞伎の舞台になったことなどをきっかけに、頼朝ゆかりの古都として、物見遊山の地として楽しむ町人たちが増えていったという。

ちなみに鎌倉の名数と呼ばれる「鎌倉七福神」「鎌倉七口」などは、観光促進用にこの頃作られたものだそうだ。1889年に横須賀線が開業してアクセスがぐっと便利になると、モダンな人々の海水浴場として、また別荘地や住宅地としても注目されるように。

都内の出版社から行き来が便利になったこともあり、鎌倉の環境や歴史に魅せられた作家や文人たちも好んで移り住むようになった。現在でもその人気は、言わずもがな、である。

アヘッド 久しぶりのR134

この原稿を書きながら134号線を走った30代の頃を思い出していた。書き込みと付箋だらけの地図とともに、初の湘南ロケを迎えたこと。右手に迫り来る高台と建物に生き物のような躍動を感じたこと。一段高い場所から海を見つめる鎌倉高校とその下に佇む江ノ電の駅の光景。
思い出すだけで、無性に掻き立てられるものがある。

関東を離れている今そう簡単に行くことはできないが、走るだけの〝道〟ではないことを、改めて感じている。

SURF ROAD 134

アヘッド 久しぶりのR134

text:江本陸


三浦半島から海岸線を大磯へと続く国道134号線。通称湘南道路。

これもまた湘南のイメージの拡大化なのか、新たな開発への兆しなのか? 長者ケ崎から秋谷辺りの風景がカリフォルニアを彷彿とさせることから、その一区間に〝西海岸通り〟と明記された道路標識が建てられている。これには『そこまでしなくても良いのに』と気恥ずかしい思いがしないでもない。

東京や横浜、米軍横須賀基地が隣接する全長60.6㎞のビーチライン上では、こうした背景がもたらす多種多様な文化的エッセンスとの融合が繰り返されてきた。

その結果、かつてのハリウッドがカリフォルニアのビーチカルチャーをフィーチャーしたように、国道134はビーチカルチャーのメッカとして、昭和の時代からサーフィンやモーターサイクル、クルマをテーマにした映画や音楽の発信基地としての役割をはたしてきた。

がしかし、湘南道路と一口に言っても、御用邸を内包する葉山、かつての太陽族が闊歩した逗子、ヒストリックタウン鎌倉、別荘族が青春を謳歌した鵠沼、そして辻堂、茅ケ崎、大磯とその土地事に特有のキャラクターが存在している。

ある時期、土曜日の夜ともなると凄まじい数のモーターサイクルやクルマが押し寄せ社会問題の舞台となり世間を騒がせもした。それでもわりと閑静だったかつての国道134号線も、今ではその沿道や静脈の様に内陸へと伸びるストリートには、昔ながらの老舗に加え小洒落たレストランやお店、サーフショップが軒を連ね白亜の豪邸が立ち並ぶ一大リゾート地へと急激な変化を遂げつつある。

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国道134号線には数多くのストーリーやエピソードがあるが、今回はサーフストーリーにスポットをあてることにする。東京オリンピックの公式種目となり、今ではすっかりメジャースポーツの仲間入りを果たしたサーフィンだが、その始まりは今から50年以上遡ったある夏の日だった。

当時葉山や鎌倉辺りには米兵が多く住み、若い兵士達は休日ともなれば、何ケースものバドワイザーやコカコーラ、アメリカンビーフと音楽をひっさげてビーチパーティーを楽しむ光景が繰り広げられていた。

時を同じくして、鵠沼の太陽に焦がされた砂浜に突き立てたビーチパラソルの下では、ウクレレを奏で波と戯れる和製ビーチカルチャーを楽しむ上流階級のお坊ちゃま、お嬢様グループの姿あった。

アヘッド 久しぶりのR134

そんな真夏のある日、彼等の前にロングボードを巧みに操り波を乗りこなす若き米兵が現れたのだ。

こうした現象は鵠沼ならず鎌倉でも見られたという。サーフィンという言葉すらなかった当時、好奇心と興奮の絶頂に達した彼等はすぐさま本場からやって来たサーファーに駆け寄り、会話を交わしロングボードを借り受け波へと向かったのだった。ビーチカルチャーの神髄サーフィンが湘南の海に根を降ろした記念すべき日だった。

先人達の手によって引き起こされたサーフムーブメントは、ゆっくりではあったが着実に各地へと広がって行った。

アヘッド 久しぶりのR134

僕が初めてサーファーという謎の人物を観かけたのは、彼等が体験した未知との遭遇から10年ほどが経った、1960年代中頃だったと記憶している。当時の国道134号線は有料道路だったため、鎌倉の七里ヶ浜と逗子の県営駐車場前に料金所が設置されていた。逗子の料金所脇の駐車場にはスバルの軽自動車サンバーを今で言う、キッチンカーに改造したホットドッグ屋が出店していた。

鎌倉山の自宅から母が運転するブルーバードに乗り込み、ホットドッグ屋をめざすのも当時小学生だった僕のお楽しみのひとつだった。

そんなある日、ホットドッグをほおばりながら車窓を眺めていると、目出し帽を被りバイクを走らせる不思議な人物を発見。『なんなんだ?』と更に視線をやるとバイクに手製とおぼしきトレーラーが曳かれその上には、僕らのヒーローだったバットマンの絵が描かれたサーフボードが横たわっていた。

その時は自分がサーフィンとモーターサイクルにこれほどまでにハマルとは想像すらしていなかった。国道134号線はモーターサイクルでカッ飛ぶプライベートロードのようでもあり、波と自分を結びつけるパラダイスロードでもある。

サーフムーブメントの始まりは小さな波紋に過ぎなかったが、サーフィンが内包するエネルギーは次第に大きなウネリとなり、ビーチラインに点在する極上の波を求め、車列が絶えないきょうこのごろだ。

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text:江本陸/Riku Enomoto
1956年鎌倉生まれ。2008年より開発が進む鎌倉を離れ、幼少期に触れた原風景が残る葉山に移住。子供の頃よりR134をベースにサーフィンとモーターサイクルの魅力を享受。サーフィンとモーターサイクルはいつしかライフスタイルのバックボーンとなっていった。とりわけサーフィンはスポーツを越えた羅針盤として南アジア、東南アジア、ミクロネシア、メラネシア、中南米へと誘いそこに点在する未知の波と異国の文化に触れる大きな役割を果たしている。

僕の中の稲村ジェーン

アヘッド 久しぶりのR134

text:山下敦史


国道134号線。千葉県民の僕にとっては地元でもないし、思い出の道というほどよく走ったわけでもないのだけれど、80年代に青春を過ごした人間としては、やはり特別な意味を持っていた。

まあ、いつか女の子を隣に乗せてドライブしたいという、ついに叶わなかった願望を持っていたというだけの話なのだけど。学生時代、用もないのに男同士で江ノ島あたりまでやって来て、こっぴどい渋滞に巻き込まれては「やっぱ海は千葉だよな」とお前こそが渋滞の原因になっておきながら捨て台詞を吐いてすごすご帰るという、地元の人にとっては迷惑この上ないダサ坊だったわけだ。

うらやましかったのだ。山や海や港でさまざまな表情を見せるこの道が。横須賀から葉山、逗子、古都鎌倉に江ノ島、大磯まで。多くの文学作品や映画、楽曲の舞台となってきたこの道を走れば、僕にも自分の物語が見つけられるんじゃないかと思っていたのだ。

アヘッド 久しぶりのR134

僕がこの道を初めて意識したのは、たぶんブレッド&バターの名曲「ホテルパシフィック」を耳にしたときだ。36、7年前の話で、中学生のころだったか。去りゆく青春の日々への愛惜を歌ったこの曲は、思春期の少年には少々早かったのだけど、そんな曲を聴くだけで自分も大人になった気がしていたものだ。

この曲の歌詞には、国道を横切って浜辺に出る、という描写があるのだけど、具体的な地名は出てこない。少年時代を九州で過ごした僕には、それが実在の場所かも知るよしがなかった。

後に、確か作詞を手掛けた呉田軽穂=松任谷由実がラジオでブレバタの2人とこの曲の思い出を話していて、モデルになったホテルが茅ヶ崎にあり、歌の通り国道134号を挟んで海が広がっていたという事実を知ったのだ。

自分でクルマに乗る歳になった頃には残念ながらこのホテルは廃墟となっていたのだけれど、さえない青春時代のアイコンの一つとしてほろ苦く思い出す。サザンオールスターズにも同名異曲があって、やはり寂れたホテルと過ぎ去った青春の思い出を重ねた歌だったはずだ。

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サザンといえば、現在の湘南のイメージの半分は彼らが作ったんじゃないかってなバンドなわけで、烏帽子岩を有名にした「チャコの海岸物語」やこの道の茅ヶ崎周辺をエボシラインと名付けた「希望の轍」だの、数えれば枚挙にいとまがない。

そういえば、桑田佳祐は1960年代の稲村ヶ崎を舞台にした映画「稲村ジェーン」を自ら監督したりもしている。正直、この作品は映画としては多少まとまりに欠けるのだが、当時の湘南を知らない人間にとっても、記憶のどこかにある輝かしい夏……実際にそんな夏を過ごしていなくても、あった気がする不滅の夏、いわば夏のイデアを感じさせる空気感を写し取っていた。

こうしたイメージは、元を辿れば太陽族という言葉を生んだ「太陽の季節」「狂った果実」あたりがその原点なのだろうが、それは結果としてであって、走ってみれば一目瞭然、必然であったのだ。

この道がただ美しい海岸沿いの道というだけなら、そこにドラマは生まれなかっただろう。先に書いた通り、山と海と港、そして歴史を背景にしているからこそ、この道を走る人は、自分がまるで物語の中にいるような気にさせられる。海は自由や解放、未来の象徴であり、山は葛藤や立ちはだかる困難だ。

そして港は母性、受け入れてくれる場所、帰るべき場所、旅立つ場所でもある。さらに古い歴史とは自らのルーツでありながら自分を縛る因習でもあり、乗り越えるべき父性の象徴ともいえる。国道134号線を走る時、人が青春時代を追体験するような気になるのは、しごく当然の話だったのだ。

だからだろう、この道が登場する映画や音楽には、どこかノスタルジーを想起させるものが少なくない。すぐに思いつく近年の映画を並べるだけでも、「ホットロード」「DESTINY 鎌倉ものがたり」「海街diary」、どれもそれが直接のテーマではないにせよ、背景には美しい時を懐かしむ空気が漂っていた。

地元の人はまた違う意見を持つのかもしれないが、僕たちはたぶんどこかで無くした夏を見つけたくて、もう一度、あの夏に巡り会えるんじゃないかと思って、この道へ繰り出すのだ。

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text:山下敦史/Atsushi Yamashita
1967年生まれ、長崎県出身。PR誌の編集員を経てフリーに。以後、映画や書籍の評論及びレビューを中心に映像エンターテインメントやIT、サイエンス関連の記事などを執筆。著書に『プレイステーション 大ヒットの真実』(日本能率協会マネジメントセンター)、『「ネタになる」名作文学33』(プレジデント社) など。

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