ROLLING 50's VOL.116 キャンピングカーのトイレ

毎年7月に開催されるキャンピングカーの祭典「東京キャンピングカーショー」が賑わっている。全国のキャンピングカー製造会社・販売店が、最新のキャンピングカーを展示して、2017年は過去最大の車両がビッグサイトに並んだという。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.186 2018年5月号]

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VOL.116 キャンピングカーのトイレ

VOL.116 キャンピングカーのトイレ

アヘッド ROLLING 50's

私はその話を聞いて、あの巨大な展示場を埋め尽くすほどのブームに時代の流れを感じた。おそらく、実際に買う買わないに関わらず、夢のある会場をアミューズメントパークとして楽しいんでいる方も多いのだろう。

私たちの世代のキャンピングカーへの憧れは、子供の頃から見ているアメリカのテレビドラマや映画の影響である。とくに日本では滅多に見ることのない大きなバスのようなタイプなどは子供心には夢の存在である。 私もたまに「中古キャンピングカー」というキーワード検索をしてしまうことがあるが、本格的なものでも中古であれば、意外と現実的な値段で売っていることもある。

だが実際には、あまるほどに余裕のある生活をしていない限りは、それなりのハードルがあるだろう。本格的なキャンピングカーを持っている知人がいるが、実際にそれを都内での移動手段に使うことは皆無で、キャンピングカーを持つというのは、道を走るクルーザーを持つようなものである。

つまり遊び目的以外では何の役にも立たない大きな乗り物を、通常の生活で使う乗り物とは別に所有することなのである。都内ならば、当然毎月高額の月極め駐車場の費用を払い続ける必要がある。

使い勝手の良い軽自動車キャンピングカーも人気であるが、非力なエンジンに200キロ以上の装備を追加していることから燃費や運動性に対する悪影響もあり、都内をちょこまかという訳には行かないのが現実だろう。つまりブームとは言っても、誰もが気安く楽しめるというようなものでもない。

だが良く考えれば、そこまでキャンピングカーにこだわる必要はない。本来のキャンピングカーの目的は、宿泊施設の有無に制限されず、自由に旅を楽しむというのが基本である。キャンピングカー所有への、過度の憧れが優先し過ぎてしまうと本末転倒であるのは言うまでもない。

「快適に寝泊り出来れば、それで良い」

形やスタイル優先の、バブル世代の貧相な発想を尻目に、SNSなどでは普通のワンボックスカーなどをDIYで車中泊仕様に改造して楽しんでいる若い方を見かける。また簡単取り付けの「寝るだけキット」のようなモノも多数発売されていて、3万円程度で快適フラットな空間を作れるものもある。

このスタイルだと、普段使っているワンボックスカーをそのままキャンピングカーとして使うことが出来るので、他に色々な車中泊に必要なグッズを買い揃えたとしても、10万円以下の投資で、憧れの旅が始められる。

こういうシンプルな発想に至らないのは、アメリカ文化にかぶれ過ぎている私たち世代の本当に良くない部分である。 実際に巨大なキャンピングカーを持っている知人などに聞いても、車内のキッチンはステーキでも焼こうものなら煙モクモクで油まみれ、お湯を沸かすか電子レンジ以外は絶対に使わないという。

また使用後の処理の大変さからトイレも絶対に使わないそうだ。自分や仲間の出した香ばしいモノと再会する作業は嫌だ。ただ、シャワーと冷蔵庫だけはリアルに便利だという。

本格的なキャンピングカーを所有している方から聞いた「キャンピングカーのトイレ」というキーワードに私は反応した。まさにこの存在がキャンピングカーというスタイルに囚われてしまっている証拠である。

実際に使わないものに重量やスペースをとられてしまっているのだから、これほど無意味なことはない。とくに日本というフィールドは、オートキャンプ場、車中泊を認めている道の駅や温泉施設駐車場などでは周囲に便利なものが揃っているのは分かりきったことで、よほど本格的なスタイルを求めない限りは車内にフラットな空間があれば大抵のことは事足りるはずだ。

確かに本格キャンピングカーでの旅は、行き先々で注目され、バブル気分をくすぐるだろう。しかし見栄を張るために旅に出る訳ではない。モノを使うのではなく所有することが目的になってしまう悪いパターンだ。

シャワーと冷蔵庫がないだけであり、たった10万円の工夫で対等以上の経験ができるのだから、キャンピングカーというものにこだわる必要などない。豪華ハワイ旅行ではないのだ。大事なのはどこに向かってそこで何を見て何を感じるかなのは言うまでもない。あとはちょっとした寝床があれば十分である。

キャンピングカー、イコール、アメリカンスタイルみたいなものは捨て去り、新しい世代のこういう発想はどんどん受け入れていくべきだ。この発想は他のオトナの遊びにおいても、どんどん広げていくべきであり、屁理屈を言っている暇があるなら、先に楽しんだ者が勝ちである。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968

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