楽しんだもの勝ち。好きを貫く ーSHINICHIRO ARAKAWA

アヘッド SHINICHIRO ARAKAWA

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六本木通りの南青山7丁目交差点から、ほどなくしてそのショーウインドウは見えてくる。カウルが外されたMH900eにハッとして、こんなところにバイクショップかなと立ち止まれば、エントランスには小さく「SHINICHIRO ARAKAWA」と書かれている。

text:まるも亜希子 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.180 2017年11月号]
Chapter
左手でデザイン画を描き続けたことで、 『人間の身体に直線はない』ことに気づいた
バイクのウェアを手がけるようになって、 洋服が生きてるいるなと思った。

左手でデザイン画を描き続けたことで、 『人間の身体に直線はない』ことに気づいた

よくよく覗き込むと、ハンガーにかけられたライダースジャケットや、トップス、グローブなどが並んでいるのがわかる。ここは、世界的なファッションデザイナー・荒川眞一郎氏が構えるブランド直営店であり、アトリエだ。

1993年にパリコレクションでプレタポルテを発表して以来、ファッション業界の最前線を走り続けてきた荒川氏は、帰国してひょんなことからホンダのアパレルラインとのコラボレーションを手がけ、その後モーターサイクル専門のアパレルブランドへと転身した。

オーダーメイドのライディングウェアから、カジュアルなブルゾンやデニム、バッグなども揃う作品の数々は、もともと荒川氏自身がバイク好きだったこともあり、これまでにない斬新なデザインながら、ライダーたちへの配慮にあふれた機能性を備え、多くのファンを持つ。

ファッションブランド「SHINICHIRO ARAKAWA」とモーターサイクルが出会ってから、およそ20年。ライダーたちの憧れであり続けるとともに、常に進化し続けるその情熱の源はどこにあるのか。まずは生い立ちからお聞きした。
荒川眞一郎
1996年10月6日生まれ。ファッションデザイナー。「SHINICHIRO ARAKAWA」を展開している。群馬県桐生市出身。大学卒業後1989年〜1992年までフランスでファッションを学ぶ。1993年にパリコレクションのプレタポルテでデビュー。1996年パリのマレ地区に店舗を構える。1997年にはフランス文化省直属全国ファッション美術振興協会のコンクールにて金賞を受賞。1997年、HONDAとのコラボレーションによるコレクションを発表したことをきっかけにバイクウェアを手がけるようになる。

荒川氏は1966年、群馬県桐生市生まれ。桐生は古くから絹織物をはじめとした織物産業が盛んな街であり、荒川氏の両親も縫製工場を営んでいたという。幼い頃から養蚕、製糸、織物といったファッションのベースとなる世界が身近にあった荒川氏が、ゆくゆくはそこで生きることを目指すのは自然な流れだったのではと想像したが、実際は少しちがった。

「後からそういうことなのかなと気がついたんですけど、当初は自分が糸を使う仕事につくとは思っていなかったんです。どちらかと言えば、入り口はデザインでした。子どもの頃から、例えばプラモデルをただそのまま作るんじゃなくて、AとBとCのプラモデルをあっちこっち組み替えて、自分でアレンジして作ったり、パーツをロウソクで溶かして違う形にしたり、そういうのが好きだったんです。その延長線上で、学生の頃にはヘアメイクやイラストレーターに憧れていましたね」

しかしそんなある日、荒川氏の感性を刺激し、ファッションへと向かわせる転機が訪れる。

「あれは西麻布あたりのクラブだったと思うんですけど、当時流行していたブランド服を着た人たちが暗闇にたくさんいて、そのシルエットに惹きつけられました。洋服のシルエットは、それ自体にいろんな可能性があって面白いなと感じたんです」

バイクのウェアを手がけるようになって、 洋服が生きてるいるなと思った。

それからまずは語学研修として南仏のモンペリエに渡ったのち、パリへ。モードファッションの名門校・ステュディオ・ベルソーで本格的に学びはじめた荒川氏だったが、そこでは自分を全て否定されたと振り返る。

「デッサンの基本などはすでに日本で身体で覚えていましたし、人からも褒められて自分なりに絵は描けるなと思っていました。ところがパリでの最初の授業でデザイン画を描いたとき、先生がそれを見ていきなり絵の上からフランス語で『最低・最悪』と書いたんです。自分ではきれいで美しいと思っていたのにですよ。先生は『この絵は日本人に多い、よくない描き方だ。これは人が着ているところを描いていない』と。そしてこれから1ヵ月、左手で描くように言われたんです」

のっけから、心が折れてもおかしくないほどの衝撃的なエピソード。しかしこれこそが、のちに荒川氏の真骨頂ともいえるデザインを生むことにつながる。

「たぶん先生はそれを教えようとしていたわけではなかったと思いますが、先生に従って左手でデザイン画を描き続けたことで、『人間の身体に直線はない』ことに気づいたんです。このときから、まっすぐな線がパターンから消えました。そしてデザインも、奇抜なシルエットよりは普段着られるもの、リアルなもので綺麗なもの、というように変わっていったんです」
SHINICHIRO ARAKAWA直営店
住所:東京都港区南青山6-9-2 
Tel:03(6427)4520
E-mail:sa8133@0cm4.co.jp
営業時間:平日13:00〜18:00
     土・日・祝日13:00〜19:00
定休日:毎週水曜/木曜

こうした厳しい指導の一方で、しっかりと評価してくれる環境があることもありがたかった、と荒川氏は言う。

「ファッションジャーナリストだけじゃなく、道ゆく人たちもみんなが評価してくれる。もちろんダメだと言われることもありますけど、自分の意見をちゃんと言えるし、相手の意見が違っても互いに認め合うというのがフランスなんです。その評価も、売れる・売れないという基準ではなくて、〝美しいか、美しくないか〟というのがまずある。そこに、モノだけでなくその人が生きてきたストーリーが出ていることを求められる。だからパリでは常に、日本人がここでどんなモノを見せてくれるんだ? というのを期待されていましたね」

そんなフランスで、1993年に立ち上げたブランド「SHINICHIRO ARAKAWA」は、パリコレクションをはじめ審美眼に長けた人たちが集う世界で成功を納めた。

そして日本に戻り、東京に店舗を構えて初めて日本人に着てもらったときに、こんな感想をもらったという。「荒川さんの服を着てみて初めて、自分に自信が持てました」 どんな言葉よりも、荒川氏が生み出すファッションの素晴らしさが伝わる言葉だと思う。
HONDA VF750F(RC15)
荒川氏は、Mh900eの他にもドゥカティ748やMVアグスタF4 (1000)、VF750Fを所有している。中でもVF750Fは、20年ほど前に手に入れた長年の愛車。デイトナで勝利したフレディ・スペンサーのイメージでカスタマイズされている。「世間の価値とは関係なく自分の気に入ったバイクを手元に置いておきたい」と話す。


そんな荒川氏とバイクとの関係は、高校生の頃に遡る。

「最初はおばあさん家にあった青いJOGを乗り回していました。憧れていたのはベスパやKATANA、トリコロールのFZ400R。やはりバイクもデザインが好きなんです。しかも、そのジャンルの1番人気のものより、2番目くらいが好きなのかな。ただ、MVアグスタのF4は研究しましたね。あのデザインは一体なんだろうと。僕はよく、外車は女性、日本車は男性という表現を使うんですけど、中でもイタリアのデザインはドレス。シルエットがとても綺麗なんです」

モーターサイクル専門のアパレルをメインにしたのは、そんなバイクたちに乗ったときに似合う服を作りたいと思ったからだという。始まりはあくまで自分のため、そして自分のお客さんたちのためだった。モーターサイクルのアパレルを手がけるようになって、ファッション業界の最先端で生きてきた荒川氏にも新たな発見があったという。

「クシタニさんとコラボレーションしたときに、打ち合わせが終わると『これからちょっと山に行ってテストしてきます』と行ってしまったんです。テストって、バイクじゃなくて洋服の耐久性や機能性のことだと知って、衝撃を受けました。洋服が生きているなと思ったんです。それに、これまでのデザインは、ないものを生み出して、何もないところに発信していくものでした。でも今は、バイクに乗る人たちというターゲットがリアルにわかるようになって、その人たちがいる限り、うちの店はやっていく意味があるんだと思えるようになりました。それが自分にとっては面白くて、最初に服を作ったときと同じくらい楽しかったんです」
ショップの外から見えたMH900eは、実は荒川氏自身の愛車だ。しかしその下には工具が転がり、時間を見つけてはコツコツと自分でレストアしているという。先ごろツインリンクもてぎで開催されたモトGPにも足を運び、大雨のなかずぶ濡れになって観戦したと笑う荒川氏は、多くのライダーたちより、もっと自由にバイクを楽しんでいると感じられる。

「だってそうですよ、楽しんじゃったもん勝ちじゃないですか。バイクが好きでよかったな、バイクに乗れてよかったなと思えるような集まりが、もっとあればいいのにと思うんです。今後やってみたいのは、モーターサイクルショーでファッションショーとかね。あ、なんか楽しいことやってるなという雰囲気が、会場全体の楽しさに広がるんじゃないかと。そうして次につながるようなことがしたいですね」

誰の目を気にすることなく、まず自分が楽しむ。「SHINICHIRO ARAKAWA」が輝き続ける情熱の源の一片を見た気がした。

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text:まるも亜希子/Akiko Marumo
エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集者を経て、カーライフジャーナリストとして独立。
ファミリーや女性に対するクルマの魅力解説には定評があり、雑誌やWeb、トークショーなど幅広い分野で活躍中。国際ラリーや国内耐久レースなどモータースポーツにも参戦している。
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