名車になる条件

アヘッド 名車になる条件

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時代を越えて愛されるクルマもあれば、時代の移り変わりと共に消え去ってしまうクルマもある。名車になるべくして誕生してきたクルマもあれば、多くの人に愛されて名車と呼ばれるようになったクルマもある。また、誰もが認める名車もあれば、意見が分れる名車もある。

text:森口将之、宮崎敬一郎、嶋田智之 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.126 2013年5月号]
Chapter
「失敗したくない」と考えるか、「育てよう」と考えるのか 森口将之
ナナハンという 不屈の3/4リッター 宮崎敬一郎
名車は、あなたが決めるもの 嶋田智之

「失敗したくない」と考えるか、「育てよう」と考えるのか 森口将之

テレビを見ていたら、わが母校の早稲田大学のサークル活動を取り上げていた。驚いたのは、サークル選びを指南するためのサークルが存在したことだ。学業やサークルとの両立を図るためにはバイトは3日にしたらいいとかを、そこでは教えていた。集まった新入生たちは「サークル選びで失敗したくないから」と入会の理由を答えていた。

「失敗したくない」。日本人のマインドを象徴するような言葉だ。農耕民族だからか、島国ゆえか、恵まれているためなのか、理由は分からない。けれど、とにかく僕たち日本人は、リスクを避ける傾向にある。成功することよりも、失敗しないことをまず考える国民性だ。
 
「だから国際社会で勝てないんだよ」という話は脇に置いといて、名車というテーマについても、この国民性が絡んでいるような気がする。誰かが名車を選んでくれるのを待ち、それに相乗りするというパターンだ。一般のクルマ好きだけに留まらず、自動車ジャーナリズムに身を置くプロの面々にも、そういう考えの人は少なくない。

新入生と同じように、「失敗したくない」という意識が強すぎるんじゃないか。別に失敗してもいいじゃない。人間もクルマもやり直しが効くんだから。
 
50年前に登場したポルシェ911は、多くの人が名車として認める1台だが、デビュー直後はハンドリングなどに賛否両論が巻き起こった。半世紀をかけて、欠点を克服したから今がある。つまり生まれた瞬間から名車が決まるわけではない。
 
視点によっても異なる。僕が国産車でお気に入りの1台である「スバル・XV」は、昨年の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」では10ベストに残らなかったけれど、「グッドデザイン賞」のベスト100には選ばれた。ベスト100に入った乗用車は、スバル・XVを含めて4台しかない。
 
僕は日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員とグッドデザイン賞審査委員を掛け持ちしているので、両賞の違いを理解しているつもりだ。簡単に言ってしまえば、前者は道路の上を走るモノ、後者は社会の中で使うモノとしての評価に力点が置かれていると考えている。もちろんどちらのジャッジも正しい。

ただ最近の国産車で目につく、価格と燃費だけが取り柄のクルマが、こういう評価を受けるのは難しいだろう。価格や燃費などの数字は、やがて追い越される運命にあるからだ。最近の日本の工業製品に傑作品が少ないのは、数字にとらわれ過ぎているからだと思う。携帯電話の世界を見れば一目瞭然だ。表面的な数字より、奥底にある思想や文化が大切だという気がする。
 
デザイナーやエンジニアに、プロダクトに対する思い入れがあるか。自分たちのブランドを理解し、ブレないものづくりをしているか。僕たちが共感できる思想や文化を持ち合わせているのか。真の評価はそこで決まると思っている。スバル・XVはその条件を満たす、異色の国産車ではないだろうか。

「スバル・インプレッサ」のデザイナーにインタビューしたときのこと。彼の口から出た、「二枚目ではなく野武士を目指した」という言葉が忘れられない。グリルをガッと開け、ライトを見開いて、しっかり主張するのがスバルのデザインだという。その瞬間、開発の本拠地が群馬県であることを思い出した。

今の国産車では1位、2位を争うほどスタイリッシュなのに、「かかあ天下とからっ風」の気風が伝わってくる。フォルクスワーゲンからドイツらしさ、ルノーからフランスらしさを感じるのと同じ。スバルらしさを感じるのだ。しかも中に収まる水平対向4気筒エンジンと左右対称4輪駆動のメカニズムは、40年以上の歴史を誇る。同じように4WDをウリとしているアウディより歴史が長い。それに、XVはスバル初のハイブリッドカーにも選ばれた。メーカーが力を入れている証拠だ。

40年前に日産と提携していたスバルは、今ではトヨタと手を結んでいる。これに限らず、スバルの歩みは順風満帆ではなかった。でも水平対向エンジンと4WDを止めなかった。むしろ燃費は良くなり、4WDは電子制御になるなど、着実な進歩を果たしている。ブレないものづくりの典型と言える。

世の中には、国産車は名車になれないとか、スポーツカー以外は名車として認めないとかいう人もいるので、万人が僕の意見に賛同はしないだろう。でもスバル・XVは、少なくともデザイン筋からは高い評価を得ているし、思想や文化も感じられる。あとは僕たちが育てていけばいいだけの話。そうすれば「失敗したくない」人たちもついてくるはずだ。
SUBARU XV
排気量:1995cc
最高出力:110kW(150ps)/6200rpm
最大トルク:196Nm(20.0kgm)/4200rpm
車両本体価格:¥2,467,500(2.0i-L EyeSight)
SUBARUコール:TEL 0120(052215)

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text:森口将之/Masayuki Moriguchi
1962年東京生まれ。モータージャーナリスト&モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材し、雑誌・インターネット・テレビ・ラジオ・講演などで発表。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、グッドデザイン賞審査委員を務める。著作に「パリ流 環境社会への挑戦」「これから始まる自動運転 社会はどうなる!?」など。

ナナハンという 不屈の3/4リッター 宮崎敬一郎

SUZUKI GSR750ABS  2013年
フレームを、強度を保ちながらアルミよりも細くすることができる鉄性にしたことで、車体をスリム化し、理想的なしなりを追求している。各部を見直したことにより、アルミフレームの従来モデル、GSR600と同等の重量とした。(排気量を考慮すると事実上の軽量化となる)。エンジンは、GSX-R750K5(下写真)をベースに中速を太らせながら、高回転の吹け上がりにも注力している。長年に渡り、ナナハンの可能性を追求し続けてきたSUZUKIだからこそGSR750ABSは誕生した。

欧州モデルとの違いは、防音のためのエンジンカバー類、スプロケットの孔の有無、スピードリミッターのみ。出力、トルク等に変更はない。
車両本体価格:¥942,900 最高出力:78kW(106ps)/10,000rpm
最大トルク:80Nm(8.2kgm)/9,000rpm
スズキお客様相談室TEL:0120(402)253
SUZUKI GSX-R750 K5  2005年
レース規約の変更により、他メーカーがナナハンの開発を中止する一方で、SUZUKIはナナハンの進化を止めなかった。R600と同時開発でR750の生産を続行、リッタークラス並みのパワーとコンパクトな車体を併せ持ったピュアスポーツを誕生させる。

かつて750ccクラスはスポーツバイクの最大排気量だった。60年代末、CB750Fourがそれまで最強だった英国製ツインたちを圧倒的なパワーと4気筒というハイメカで駆逐した時代だ。その時代、このクラスを制することは最高のバイクだと世界が認めた。しかし750ccクラスが時代の主役を務めたのはそれが最後だ。

すぐにフラッグシップの主流はリッタークラスに移っていく。スーパーバイクレースのトップクラスが一時期750ccとなり、輝くかと思われたが、輝くことのできたバイクはそう多くはない。逆に、レースにひきずられ、先鋭化し過ぎ、扱いにくくなったことで市場での人気を急降下させてしまった。90年代半ばまでの出来事だ。つまり、もうかれこれ40年間、750はハンパ者なのである。さらにここ20年は、手頃なサイズを謳う600ccたちに追い立てられ、力と装備で差をつけられたリッタークラスを妬ましく眺める立ち位置でバイク界にある。

しかし、そんなハンパ者だからこそ「名車」になったバイクも少なくない。Z2やCB750Fなどは、元だったり、後から誕生した「兄」たちよりもバランスがいいとされる名車だ。多分偶然、当時の技術レベルと程よいサイズと力がマッチしたのだろう。ただの日本国内仕様というに止まらず、世界が注目した。

レブリカブーム真っ盛りに世界中で一世を風靡したGSX-Rブランドは、750ccに原点あり、と「750」に拘った。市販車レースの主流が600ccに移ろうが、必ず同時に750ccを世に出している。そんな拘りと執念は、リッタークラスを凌駕する運動性能を備えたGSX-R750まで誕生させた。リッタークラス並のパワーを発揮しながらも、コンパクトな車格であることから鋭い機動力を実現したのだ。

中庸、ハンパ者だからの上と下からのいいとこ取りだ。このクラスは巧みな「いいとこ取り」によって名車を生む。これは昔も今も変わらない。最近注目されている750〜800㏄のスタンダードスポーツもいい例だ。そんな名車理論「ハンパ者の巧妙さ」は、あらゆる状況でひとクラス上を喰うことができる。今後どう進化するのか注目である。
SUZUKI GSX-R750R 1986年
GSX-R750が登場したことによって、ナナハンはGTのイメージからスーパースポーツへと変化する。乾式クラッチやシングルシートを標準で装備する限定車のR750Rは、GSX-R1100の発売が決定していたにも関わらず、予約完売するほど人気を博した。
HONDA CB750F (B)  1981年
80年代初頭のナナハンといえば、この「CBエフ」が代表格。基本的に同じスタイルの900Fや1100Fも逆輸入されていたが、「CBなら750F」と言われるほど、現在でも憧れを抱く人が多い。ナナハンが大型バイクの象徴だった頃の存在感を醸し出す。
SUZUKI GS750E  1978年
カワサキZ1を超える信頼性とシャーシ性能を目指して開発されたGS750に、キャストホイールを装備して熟成させたのがGS750E。レースでは、排気量のハンデをハンドリングの良さでカバーした。現在も続く GSX-R750シリーズの礎を築いたモデル。
KAWASAKI 750RS (Z2) 1973年
欧米で発売されるのと同時に圧倒的な人気を得たZ1(903cc)を、当時の日本の自主規制に合わせてナナハン化して国内販売したモデル。映画や漫画に登場した影響もあるからか、あえてナナハンの「ゼッツー」(ゼット・ツー)に拘るマニアが数多く存在する。
HONDA DREAM CB750 FOUR 1969年
量産車として、世界で最初に発売された並列4気筒のナナハン。それまで世界中を席巻していたイギリスのバイクメーカー群を、窮地に追い込むほど大ヒットした。このCB750フォアが日本で「ナナハン」という言葉を定着させたと言っても過言ではない。

名車は、あなたが決めるもの 嶋田智之

ふと思い立ってiPhoneに放り込んである『大辞林』で〝名車〟という言葉を引いてみたら、「すぐれた自動車。有名な自動車」と書かれていた。結構使える辞書アプリなのだけど、なるほど、まぁこんなもんなんだろうな、と思った。他の辞書も手繰ってみようかと考えていたのだけど、ヤメにした。辞書は常にある程度の一般常識を教えてくれはするけれど、本当に知りたいことや本当に大切なことは、そこには何ひとつ書かれてないのだから。

正直なところ、クルマのことを格別に好きというわけでもない人達の認識では「すぐれた自動車。有名な自動車」っていう辺りがちょうどいいところなのだろう、と思わないわけでもない。そこに「歴史的な自動車」なんていうのが加われば、なおさら都合がいいのかも知れない。

でもさ…とヒネクレ者の僕は考える。それって結局誰かがつくった単純な枠組みなのであって、必ずしも〝自分〟自身が反映されたモノじゃないんだよな、と。

例えばトヨタ2000GTやランボルギーニ・カウンタック、メルセデス300SLにジャガーEタイプといったあたりは、車体にエンブレムとして〝名車〟と刻まれていたっておかしくないくらいの、誰もが認める〝名車〟といえるだろう。もちろん僕にも異論なんてあるはずがない。

ならば、日本の〝軽〟はどうだろうか。街を見渡せば必ず視界のどこかに入ってくるごくありふれた軽自動車達。趣味の対象として見られることも多くなく、耐久消費財以外のナニモノでもないと捉えられがちで、ときにはシロモノ家電並の扱いを受けたりもする。多くの人はそれらを〝名車〟と認めたりはしないだろう。けれど日本の軽自動車は、実は押し並べて物凄く優秀なのだ。

エンジンの排気量や車体のサイズをはじめ厳格なレギュレーションが存在し、また主たる購買層を考えれば売価を極力低くしなければならないから開発にコストをかけることも特別な飛び道具のようなものを投入することもできない、といった前提条件の中で、要求の高さでは世界トップクラスといえる日本のユーザーを満足させなければならない。

そしてできあがったクルマはどうかといえば、今や走らせてじれったさがあるわけでもなし、燃費はハイブリッドカー並み、乗り心地も操縦安定性もしっかりしたレベルにあり、限られたスペースをそれ以上に広く便利に使えるアイデアに満ち溢れ、おまけに一般的な快適装備はほぼ過不足なく、しかもデイリーユースにおける使い勝手に向けた細やかな配慮の数々は高級車ですら及ばない。それは日本の自動車エンジニアリングの集大成であり、日本人ならではの細やかな感性やもてなしの心の具現でもある。

僕達はときどき欧州生まれの小型車に乗って、うっかり「こういうクルマは日本人には作れまい」なんて書いてしまうこともあるが、同様に諸外国が日本並みの軽自動車を作ろうとしても、できっこない。つまり「すぐれた自動車」という観点からフェアに評するならば、〝軽〟は立派な〝名車〟となるのである。

そういえば僕自身、いつだったかいわゆる〝軽トラ〟であるスバル・サンバー・トラックを知人から借りて3日間ほど乗っていたとき、日本の環境に驚くほど適合した使いやすさや極めて高い利便性と経済性といったあたりに、とっぷりと感心させられた覚えがある。

ちょっとばかりプリミティヴな走行感覚に、ライトウェイトスポーツカーを走らせてるときのそれにも少し似たワクワク感のようなものを覚えたりもした。「これは間違いなく日本が世界に誇るべき〝名車〟だよな」と妙にうれしい気持ちになって、その感覚は今に至るまで全く変わっていない。

ちょっと極端な例かも知れないけど、僕は〝名車〟の概念っていうのはそういうものだと思う。それでいいんじゃないか? と思う。

なぜならクルマは(モーターサイクルもそうだけど)とてもパーソナルな乗り物であり、〝自分〟の心に帰属する存在だからだ。状況や環境といった条件はあるにしても、それでも自らの心に忠実になって選ぶべきものだし、何より自分のために走らせる乗り物であり、少なくともこうした本を手にしておられる方々にとっては、クルマ(やモーターサイクル)はかけがえのない日々のパートナーにあたるはずだからだ。

であれば自分の心にしっかりとリンクしていることだけが重要なのであって、標準性だとか世間一般の評価なんてものをそこに介在させる必要など、どこにもないのである。

あなたが憧れたり惚れ込んだりしたクルマは、その理由が何であれ、それはあなたにとっての〝名車〟。最初はそれほど気に入ってもいなかったのに、いつしか足に馴染んだブーツみたいな存在になって手放せずにいるクルマも、あなたにとっての〝名車〟。

大切な人達との想い出がパンパンにつまった愛着あるクルマも、あなたにとっての〝名車〟。誰もが認める凄いクルマなんかである必要はなくて、やっとの想いで手に入れた小型車だって、10年落ちのくたびれたスポーツカーだって、傷だらけでいるステーションワゴンだって、あなたがそうだと思ってさえいるのなら、それは間違いなくあなたの〝名車〟なのである。

クルマ好きの数だけ〝名車〟があってもいいじゃないか。他人にとやかく言われる筋合いなんて、どこにもない。耳を貸す必要なんて全くない。あなたの〝名車〟は、あなた自身が決めればいいのだ。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。


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