三好礼子 バイクとクルマのその後に

18歳でのオートバイ日本一周ツーリングに始まって、バイク三昧、砂漠三昧の日々。いつも人よりちょっと先に、楽しいことを見つける天才。それが三好礼子という人だ。バイクとクルマのそのに、彼女が見つけたものとは…。

text:若林葉子 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.126 2013年5月号]

Chapter
三好礼子 バイクとクルマのその後に
「私は富士山に試されているだけなのよ、自分の"好き"を」
「困ったときは動物にきくの。シカ道にイノシシ道…」
「道を走り、道を探し、道をつくる。こんなに面白いことはない」

三好礼子 バイクとクルマのその後に

アヘッド 三好礼子

思えば、2008年にaheadの取材で初めて朝霧高原に暮らす礼子さんを訪ねたとき、彼女はちょうど変化の時期にあったのかも知れない。16歳でオートバイに乗り初め、高校卒業と同時にプレスライダーの仕事に就き、18歳(1976年)のとき、オートバイで日本一周。旅の相棒はSUZUKIのハスラー250だ。

アルバイトをしながら1年で3万㎞を駆け巡った。女性が一人でオートバイに乗って旅をするなんてことは考えられない時代。『ミスター・バイク』誌に綴った旅日記は世のオートバイ乗りに鮮烈な印象を与えたのだった。

当時の礼子さんのことが話題にのぼると、周りの男性諸氏はあの頃礼子さんがいかに美しかったか、どれだけ礼子さんに憧れたかをみな繰り返し語る。それほどに礼子さんは一世を風靡したのだった。

残念ながら一回り以上年下の私は当時の礼子さんを知らない。しかし、片岡義男の小説『彼のオートバイ彼女の島』の挿絵に使われた写真など、当時の礼子さんはみずみずしく、健康的な色気に溢れている。彼らがそう言うのも当然だ。
 
20代はオートバイショップを経営する傍ら、モトクロスにいそしみ、チームを作って鈴鹿8時間耐久レースに参戦するなどオートバイ三昧の日々。そして31歳(1988年)で、パリ・ダカールラリーに初めて出場。3度目の挑戦で二輪部門で完走を果たす。そうやって30代は二輪四輪問わずラリーにのめり込んだ。

住み慣れた東京を離れて現在の朝霧高原に移り住んだのは1995年。36歳の頃、体にさまざまな不調が現れたのがその切っ掛けだった。2000年、ラリーに一区切り付けると、アイガモ農法によるお米作りに挑戦する。自宅に「フェアリーカフェ」を開いたのは2005年。私が初めて会った2008年には、パートナーの上土井良弘さんと、ポニーとヤギと犬と猫とにわとりのいる大家族となっていた。

礼子さんは動物たちと畑やカフェという朝霧高原での暮らしそのものを自分の中心に位置づけているようだった。ただ私には、どことなく礼子さんが何かを探しているような、何か自分の中のバランスをとりあぐねているようなそんな感じがしていた。

アヘッド 三好礼子

Reiko Miyoshi
1957年12月生まれ。
国際ラリースト、エッセイスト。
トレイルランニングに情熱を傾ける今も、
クルマとオートバイはなくてはならない存在である。
現在の愛車はルノー「コレオス」。
何百キロ走っても全然平気と、愛車に乗ってどこまでも行く。

アヘッド 三好礼子

「私は富士山に試されているだけなのよ、自分の"好き"を」

アヘッド 三好礼子

「突き詰めるといえば聞こえはいいんだけど、やりすぎちゃうのね」

「根がまじめだからとことんやらないと気が済まないんだけど、結局それは自分も他人も疲れさせちゃうってことに気が付いたのがここ数ヶ月」

当時の礼子さんの言葉である。しきりに自分にとって「やり過ぎない」ことがいかに大事かを言葉にしながらも、インタビューの最中も、いろんなことが気になって仕方がないようで、立ったり座ったり、別の資料を探しに行ったり、終止じっとしていることがなかった。

また「癒し」についてもよく話した。「本当に癒されなきゃいけない人が来たら癒されるし、その人が癒されるとまた自分も癒される」「だれだれのためになんていうより、自分のためにやっている方が結果として人も癒されるんですよね」といったふうに。

そんな取材を通しての出会いだったのだが、2010年の夏、ラリー・モンゴリアに礼子さんと一緒に参戦することになり、その年は頻繁に連絡を取り合い、一緒に練習をし、何度か礼子さんの家に泊まったりもした。それは私にとってはドライバーとしての初挑戦であり、ナビゲーターを務めてくれた礼子さんにとっては10年ぶりのラリーだった。

礼子さんは帰国後のインタビューで、「この10年、自分にとってラリーとは何だったのかを考え続けてきた。そしてモンゴルの地で、私は地球を駆けることが好きだったんだと分かった」と語っている。そしてこの頃、礼子さんはすでに「トレイルランニング」という次の目標をしっかりと見据えていたのだった。

モンゴルから帰国して間もない2010年の初秋、礼子さんは信越五岳トレイルランニングレースを走った。その名の通り、斑尾山、妙高山、黒姫山、戸隠山、飯縄山という5つの山を結ぶ全長110㎞を22時間以内に走るレースである。礼子さんは制限時間ぎりぎりでゴールし、このレースで最後の完走者となった。

私はこのとき、アシスタントとして礼子さんをサポートしたのだが、なるほどこれはクルマを使わないラリーだと思った。実際トレイルランニングにはまるラリー仲間も少なくはなく、それだけこの2つの競技は共通するものがあるのだろう。

その後2011年、2012年と続けて、世界最高峰と言われる100マイル(161㎞)マラソン、「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」に出場し見事完走している。

自分が選手として走ることと並行して、今、礼子さんが情熱を傾けているのが、「ウルトラトレイル・マウントフジ」だ。静岡県と山梨県の2つの県と10の市町村を結んで富士山を一周する100マイルレース。2012年の春に第一回が開催され、彼女は実行委員の一人として、このレースの実現に大きく貢献した。

オートバイやクルマで人のつくった道を走り、砂漠の道なき道をルートを探しながら走り、今は道をつくる毎日だ。

「私ね、若い頃からゴミを拾うことが夢だったの」と笑う。

10代でのオートバイ日本一周。時は高度経済成長真っ盛り。日本中、海岸線はゴミだらけだった。海辺でひとりおにぎりをかじりながら、いつか日本中のゴミを拾いたいと思った。でも若いときは他に面白いことが山ほどある。立ち止まってはいられなかった。

ゴミ拾いを始めたのは朝霧高原に移り住んでから。犬の散歩がゴミ拾いの時間になった。が、突き詰めるのが生来の性格。気がつくと10‌㎞歩いたなんてこともしばしば。数年も経つと家の近くでゴミ拾いをする場所はなくなっていた。そんな頃、このレースの企画が持ち上がった。

「それでみんなに呼びかけたの。ゴミ拾おうよって」。礼子さんは自分で言い出したたことは自分でやる。

人はあてにしない。基本は一人。それが彼女のスタンスだ。「100人来てくれたら、今日ははかどるなってうれしい。二人なら、今日は密なゴミ拾いができるなってそれもうれしい。一人なら一人で愉しい」 

もし誰かが呼びかけたとして、自分だったら……きっと忙しくて行けないだろう。そう考えると、誰も来なくて当たり前。ひとりでも来てくれることがどんなに有りがたいことか、と彼女はそう考える。だから彼女の周りには自然と人が集まるのだろう。

そして「ゴミを捨てるのは悪。拾うのは正しいこと」と考えているわけではない。「ゴミってね、もー面白いの。この間もコカ・コーラの初期型の瓶が出て来たり。まぁ先は長いからいちいち感動もしてられないんだけど、プルトップの歴史が見えたりね」と本当に楽しそうに話す。

自然に帰る素材しかなかった頃にはゴミを埋めるのは悪いことではなかったはず。それが次第に素材が変化していった。今は林業の人も、山を登る人もゴミは捨てなくなった。だからやっているうちにまた時代は変わって、ゴミを捨てないことが当たり前になり、きっとゴミはなくなっていくはずと信じている。

「私はね富士山に試されているだけだと思うの。おまえの〝好き〟はどれだけ本当なのかってね」

「困ったときは動物にきくの。シカ道にイノシシ道…」

アヘッド 三好礼子

ルートを作るには行政や地権者の許可をとり、ゴミを拾い、倒木を整理し、少しずつ道をつなげていく。

「困ったときは動物に聞くの。シカ道やイノシシ道、それが基本」 

何度も挫折しながら、みんなで力を合わせてひとつずつ克服していく。必ずできる、というビジョンだけは持っている。だから何があっても動じない。それはラリーのたまものだと言う。

「ほら、慣れてくると、あのときなんでここでリタイアしちゃったんだろうって不思議に思うじゃない? それはテクニックがついたということもあるかもしれないけど、それ以上に考え方の変化が大きいと思う。人は少しずつでもちゃんと育っていくものなのよね」

「道を走り、道を探し、道をつくる。こんなに面白いことはない」

アヘッド 三好礼子

久しぶりに会うといつまでも話が尽きないのだが、礼子さんは5年前に比べるとずいぶん落ち着いた、と思う。やり過ぎないことが大事、そう思っていてもついやり過ぎてしまう。そうした方がいいと頭では分かっているけど、体はそうしてくれない。

5年前の礼子さんはそんなふうだった。でも今は、人に任せるべきことは任せ、自分の仕事であっても時と場合に応じて〝ここまで〟と割り切ることができるようになったという。新しい目標を見出して、その目標に向かううち、礼子さんもまた育ったのだ。

「私は道が一生のテーマね。基本はオフロード。道を探したり、開拓したり、それが面白い。道には時間軸がある。砂漠の大地も昔は森だったり、人の住んでいた後だったり、戦争の後だったり。歴史と文化と全てが詰まった上を行く。それを見つけるのが面白いのよ。ただ〝速く〟じゃないの。ときには道を外れることも、コワいけれど面白い。トレイルランニングもラリーも人生の縮図よね」

やると決めたらやる。でも無理にはやらない。大河の流れの中で、その〝時〟がくるのを焦らず、動じず、静かに待つ。必ず出来るというビジョンだけは持ち続けて。
 
これから進んで行く礼子さんの道の先には、いったいどんな風景が待っているのだろう。

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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。

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