夏の終わり

人生の春の頃に芽生えた想いを、夏の時期が過ぎても人は持ち続けてしまうもの。しかし年齢と共にその気持ちを維持していくことがだんだんと難しくなってくる。

text:吉田拓生、小沢コージ、伊丹孝裕 photo:山下 剛、長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.165 2016年8月号]

Chapter
夏の終わり
農耕民族の挑戦
50代の扉
夏の終わり

夏の終わり

アヘッド 夏の終わり

photo:山下 剛


若い頃と同じやり方で、その想いにしがみ付かず、
かといって手放すことなく、新たな人生の指針に変えることもできるはず。
経験を重ねて、人として熟成してきた今こそ
無意識のうちに培ってきたリアルな自分の想いに気付けるのだ。
夏の終わりは総じて寂しいものだが、次に来る秋という季節は収穫の時期でもある。

農耕民族の挑戦

アヘッド 夏の終わり

text:吉田拓生 photo:長谷川徹


夜の峠に通うワカゾーだった頃の僕には「落ちてもいい日」があった。今日は谷から落ちてもいいや、と思えるくらいアタマとカラダが冴えていて、乗れていて、だから目一杯攻めて走れる日。

ブレーキングのマージンはゼロに近いから、タイミングを見誤れば、前輪から白煙を上げ、アンダーステアが顔を出す。こうなったらあとは運を天に任せるのみである。幸い谷には落っこちなかったから、今こうして原稿を書けているわけだけれど……。

峠の後はサーキットの時代が7~8年ほど続いた。レーシングスーツを安いスパークリングワインで濡らしたこともあるけれど、ガードレール、他車のお尻、サンドトラップ、色々な場所に突っ込んで、その度に安くない代償を払った。けれど気がつけば、そんな熱く焦がれた季節も過ぎ去ってからずいぶん経つ。

趣味、恋、仲間、仕事……オトナの季節は、学生時代のように6年とか3年といった区切りがない。はじまりと終わりに合図のようなものがあったりなかったり、そのあたりは実にテキトー。人それぞれのペースで時は巡り、そして気がつくと秋風が……いやいや、雪に出くわしてようやく、夏が終わっていたことに気づくようなこともあったっけ。

20代の終わりはサーキットと並行してイギリス取材に度々出かけることも、ひとつの季節としてあった。鈴鹿で知り合ったカメラマン、マイク・ギボンとともに、イギリス中のサーキットやモーターレーシング界のレジェンドたちを取材して回ったのである。

移動するクルマの中や、ヘレフォードシャーの丘の上に建つマイクの自宅で、ボクは陽気なイギリス人とカタコトの英語で話し込んだ。イギリスと日本の違い、ポンドと円の感覚の違い、そしてモーターレーシングを通した死生観についても。

彼の地で様々なレジェンドを取材してきて、彼らが必ず備えている「自分を強く信じる力」のようなものには強く心を打たれた。と同時に自分の中にはそれが欠片も存在しないことに気づきはじめていた。宗教的な理由なのかもしれないが、彼らは必ずと言っていいほど来世の存在を信じていた。信じることで、モーターレーシングが本質的に含んでいる恐怖に蓋をしていたのかもしれない。

気持ちが揺らぎはじめていた30代のはじめ、ボクの自動車レース人生は筑波サーキットの1コーナーで、強い衝撃とともに一旦終止符を打った。自分の中では結構大きな夏の終わりだった。

あれから10数年が経過した現在のボクは、「本気でサーキットを走れば、昔よりも速く、上手く走れる!」という根拠のないプライドを抱きつつ、しかし夕方になると家の近所のワインディングで、幌を下したMGBを軽く走らせるだけで充分に満足している。20代の頃、ゆっくり走ることとオープンカーを何より嫌っていたのに……。気づけばずいぶんと季節が巡っていたということだろう。

一口に自動車趣味と言っても、車種やヒトの数だけバリエーションがあるし、そこに挑むメンタリティも違う。「MGBを軽く走らせている」と記したボクにも自分なりテーマがある。

今から50年以上も前に設計されたMGBだけれど、気持ちのいいロールスピードの作り方とか、キレイなトラクションのかけ方、シンクロメッシュに頼らない完璧なシフトチェンジといった、クルマと対話しながらお互いの精度を高めていく愉しみには終わりがないのだ。若い頃には気にも留めなかったようなドライビングの細部に拘ることが、今現在の自分にとってのクルマ趣味なのである。

だが結局のところ、季節は巡り続ける。つまりボクがまたサーキットに向かう時が来るのかもしれない。だからこそ、自宅のガレージに今なお古びたレースカーを眠らせているのである。

かつて目の当たりにしたイギリスのヒストリックカー・レースでは、表彰台の面々が全員白髪というのが当たり前だった。自慢のお爺ちゃんの活躍を、子供や孫たちが祝う。これこそ自動車文化が生まれる瞬間だ! と強く思った。狩猟民族の彼らは、歳をとるほどに五感が鋭くなるという話もある。体力が衰えた分を研ぎ澄まされた感覚が補うからこそ、イギリスではジジイがめっぽう速いのだ。

農耕民族である自分に同じことができるか、それはわからない。ただひとつ確かなことは、次にモーターレーシングを再開するとしたら、それは過去の焼き直しではないということ。速いに越したことはないけれど、それよりもクルマとの対話をじっくりと愉しみたい。そう、現在の僕がMGBでそうしているように。

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text:吉田拓生/Takuo Yoshida
1972年生まれのモータリングライター。自動車専門誌に12年在籍した後、2005年にフリーライターとして独立。新旧あらゆるスポーツカーのドライビングインプレッションを得意としている。東京から一時間ほどの海に近い森の中に住み、畑を耕し薪で暖をとるカントリーライフの実践者でもある。

50代の扉

アヘッド 夏の終わり

text:小沢コージ photo:長谷川徹


50歳を目の前にして今までにない焦りというか戸惑いを感じている。振り返って見ると40歳の壁なんて大したことはなかった。衰え始めてはいたが、意外に変わりがなかった。

しかし、50歳の壁は違う。次元が違う。単純に走ってもスピードが出ない、蹴ってもボールが飛ばないだけでなく、沸き上がる力というか、粘りが出てこない。だから逆にトライアスロンに打ち込む社長とか、そういう人の気持ちがよく分かる。

まだまだ俺たちは若い者に負けない、人生は終わりじゃないという心意気なのだろう。あるいは50代で30代とか20代の異性とやり直す男女がたまにいたりするが、本当にシビれる。なにがきっかけかはともかく、今から本気で人生をやり直すつもりなのか? と驚く。

一方、それでいて深夜にテレビを点けると50代でもいつまでも若くありたい、いつまでも本気で20代と競おうというようなテクニカルな美容広告が続出してたりして少々萎える。

体力アップはわかるが見てくれだけ若くていいの? 問題は気持ちじゃないの? と言いたくなる。なにより時計を逆回しするように、無理やり自分の姿カタチをチューニングするのはカッコいいことなのか? と思う。人の風貌は千差万別だし、完全否定はしないが。

非常に感覚的な物言いにはなるが、若々しくいたいのはわかるし、パワフルで居続けたいのもいい。個人的には50代で20代とつきあおうが本人同士が幸せならいい。ただ、見ていると、それらは結果的に訪れるようだ。

トライアスロンも年の差結婚も意外と狙ったものではない。実際、トライアスラーの中には「人生の別のトビラが開く」と言う人もいるし、逆に20代と結ばれた50代男が、合コンしまくって結婚を決めた! などとは聞いたことがない。そうではなく職場の上司と部下でとか、仕事のトラブルでとか、成り行きでそうなる人が多いようだ。

おそらく年の差は偶然超えるものなのだ。狙って超えるものではないのだ。もちろんそういうケースもあるとは思うが。

人が人を心底魅了するのはみてくれではないと思う。もちろん多少はそれもあるけれど、年の差婚の若い側に理由を聞くと口を揃えて「最初は結婚するなんて考えられなかった」という。ひと目惚れ!なんてあり得ない。

問題は感動的な生き方なのだ。どんなに逆境でもめげない、不平不満を言わない、不満をパワーに変えていく、なによりも結果を出す人。そう言うバイタリティや目標を見つける人に人間は惹きつけられる。

飜って例えばスポーツカーだが、単純に日本で持ってる人を見ても正直さして憧れない。昔は年を取ったらオープンカーとか、スポーツカーとか言われた部分もあったが、今見ると単純に生活に余裕があるんだなと思う。憑きものが落ちたように普通に見える。

それよりも今もラリーに出て頑張っているとか、日本一周をしたとか、50代で初めてハーレーに乗った、みたいな人に憧れを感じる。つくづくモノを持っているだけでは憧れない年代になっているのだ。もう妙にカタチばかり整えて他人と比べる人生はやめたい。人はいくつになってもどういう目標を持ち、どう頑張っているのか、どうもがいているのかというのが大切なんじゃないのだろうか。

しぶとく、タフに、力強く前向きに生きる。そこに若さも年寄りも関係無いと思うのだ。というか年を取った方が、本当のその人の凄さがよく見えるのかもしれない。頑張り屋である、コツコツ型である、ガンコ者である。自分の見てくれではなく、自分の志であり、ハードルにもがく人生。それが若々しくあり続ける人生ということではないだろうか。

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text:小沢コージ/Koji Ozawa
雑誌、ウェブ、ラジオなどで活躍中の “バラエティ自動車ジャーナリスト”。自動車メーカーを経て二玄社に入社、『NAVI』の編集に携わる。現在は『ベストカー』『日経トレンディネット』などに連載を持つ。愛車はロールスロイス・コーニッシュクーペ、トヨタ iQなど。

夏の終わり

アヘッド 夏の終わり

text:伊丹孝裕 photo:山下 剛


人生を変えるレースにする。

本気でそう思い、勝てる車両を用意し、それをさらに強固なものにするためのスタッフとモノ、資金を整えて臨んだ今年のパイクスピーク。にもかかわらず結果はクラス5位、2輪部門19位、4輪も含めた総合順位は全98台中49位という内容に終わり、タイムに至っては前回より27秒も下回る11分25秒566・・・・・・と、どこをどう切り取っても理想には程遠い数字が並ぶことになった。

今回に限ったことではないが、どんな結果にも必ずついてまわる「タラレバ」を挙げるならたくさんある。あるけれど、だからといって「次こそは!」というテンションでもない。なんと言うか「自分はそこに至っていなかったんだな」と、とてもフラットな気持ちで受け入れ、「それでもやれることはやったじゃないか」とサッパリしているのだ。意外なほどに。

レースを終えてしばらく経った頃、「威儀を正す」という言葉を思い出していた。別に家訓というわけではないが、日常生活におけるすべての立ち居振る舞いを作法通りにこなす様やその時の心の持ち様を示したもので、歩くことにも止まることにも座ることにも寝ることにも決められた手順があり、それにきちんと従うこと。誰に見られるためでもなく自分で律して守ること。

そうすれば自分の中に強固な気概や気骨が形作られること。なにかを成そうとする時、それらが指針になること。そういう意味合いのすべてが詰まっていた。その昔、なにかにつけて叩き込まれた言葉だ。

それに照らし合わせるなら、今回の結果はどこかにほころびがあったのかもしれないし、もしなかったのなら自分の力量が勝つには及ばなかったというより他ない。だからこそ、なにのせいにするでもなく納得できているのだ。

これまでの自分なら、あらゆるタラレバをかき集めて新たな挑戦のモチベーションに変えていた。いつも心の内にあったのは「次は上手くやれる」、「今度は大丈夫」という確信めいたもので、気持ちを切り換えて次に一歩踏み出そうとする時の拠りどころにしていたのだ。

それでもなお上手くいかないことの方が多かったものの、ほとんど思い込みとも言える確信が途切れることも揺らぐこともなく、レースを続けるための糧になってきたのである。

アヘッド 夏の終わり

それが今、薄らいでいる。レースの辞め時や限界を感じていると言ってもよく、そんなことは今まで微塵も考えたことがなかったため、唐突な心境の変化に我ながら少し驚いている。バイクに乗り、原稿を書く。

そういう仕事のほとんどすべてをレース参戦のための手段に変え、それを可能にする環境を作ってきたにもかかわらず、やけにあっさりと終わりの近づきを受け入れようとしているのだ。

もともとレースはただただ楽しくて、漠然とした憧れに突き動かされて飛び込んだ世界だ。そこに明確な理由や動機があったわけではないから辞める時も案外そんなものなのかもしれない。さみしいとか、残念とか、まだやれるはずという後悔でもなく、かと言ってホッとしたとか、嬉しいとか、せいせいしたという見切りでもない。

ひとつ言えるなら、飽きっぽい性分の自分がよくもまぁしつこく踏みとどまれたということだろう。初めてレースを知ったのは10歳。いつかサーキットを走ろうと夢見たのは15歳。そしてモータースポーツの入り口に立ったのが18歳。

そうやって振り返れば、バイクという乗り物を通してずいぶん長く、楽しく、刺激的な時間の中に身を置いてこられたなぁ、と思う。今年45歳を迎える今の今までが、まるで終わらない夏休みのようでもあった。

アヘッド 夏の終わり

レースに出ること。特にそれまで勤めていた会社を辞めた'07年以降は、それありきの仕事であり、生活だった。正確に言えばそのためにフリーランスになることを選んだわけで、なにかにチャレンジするためといえば対外的な聞こえはいいものの、否応なしに巻き込まれた家族はたまったものではなかったはずだ。

なぜならその当時、子どもはまだ3歳にもなっておらず、妻にとっての生活は育児そのもの。そんな時にチャレンジだの夢だの言われたところで、なんの栄養にも安らぎにもならないのだから無理もない。

にもかかわらず、面と向かって応援はしないまでもなにも言わずに見ていてくれたことは本当に感謝している。幼かった娘は今では小学6年生になり、妻は変わらず子どものために余暇のほとんどを使いながらフルタイムでの会社勤めも続けてくれている。僕より少しばかり年上のため、五十路の声が聞こえる日もすぐそこだ。

ふとそれを思った時、子どもとの密な時間がまだあるとすれば、それはあとどれくらいなのだろう。まだ体力が十分にあり、その気になればなんでもできた三十~四十代の時期を家事と仕事と育児に費やした妻にはこの後どんな人生の楽しみが残されているのだろう、と考えさせられ、胸がキュッと締めつけられた。

僕の生活の中心がなんであれ、その土台を守っていてくれていたのは他でもない僕の妻だ。帰る場所があり、だからこそ自分の時間を自分の好きなように使えていたこと。そういうこれまでのわがままに対する「ごめんなさい」と「ありがとう」が急に押し寄せてきて、それもまた辞め時を模索している今の心境に少なからず影響している。

アヘッド 夏の終わり

今すぐやりたいことやいつか叶えたい夢。本当は誰もがそれを持っているはずなのに、ほとんどの人はそれに向かって動き出せなかったり、そのきっかけが掴めなかったりするままだ。そうでなければ時間はまだまだ残されていると思い、先送りしているか。
 
ライダーという人種の多くが、そうでない人よりも感覚的に分かっていることがあるとすれば、時間には限りがあるということだろう。たとえば「死」という時間の停止。それはある日、唐突にライダーの残された時間を奪っていくが、いつ何時降りかかってくるかもしれないそのリスクを知っているからこそ、沸き起こる欲求を先送りせず、それに忠実であろうとする。

そういう意味で僕は本当に幸せだ。マン島TTに鈴鹿8耐にパイクスピーク。そのいずれにおいても誇るような結果を残せていないものの、ひと昔前は夢物語だと思っていた舞台の数々を目指す機会に恵まれ、実際に立ち、しかも生きている。その上、言葉や文字でそれを表現できる場もあるのだから贅沢なことこの上ない。
 
一方でいつまでもそこにいられないことも分かっている。だからこそ、その贅沢を今度は誰かに、とりわけ家族に分けてあげられるのなら僕の人生はほとんど完璧と言っていいだろう。

先日、妻が何気ない会話の中で「私の人生は年齢を重ねれば重ねるほどよくなっていくんだって」とそんな風なことを言った。だとすれば、そのための土台を少しでも早く固めてあげるのがこれからの僕の役割に違いない。

会話の最後に「あ、でも今が悪いってわけじゃないよ」とつけ加えることを忘れなかった妻。そんな気遣いに応えるためにも幸せな人生を送らせてあげたいと強く思ったのだ。

アヘッド 夏の終わり

夏の終わりというテーマにレースの引き際をなぞらえると、どうしてもある種のやるせなさやもの哀しさが漂いそうになる。とはいえ、もしレースに出なくなり、サーキットから足が遠ざかり、なんなら生活の糧が今の仕事でなくなったとしてもバイクには乗り続けているに違いない。接し方が少しずつ変わっていくだけだ。

これまではエンジンをチューニングし、サスペンションのセッティングを繰り返し、車体姿勢を探り、タイヤテストに時間を割く。そんな風にタイムを短縮するという一点にのみ注力する極めてフィジカルな接し方だった。

これからはそのバイクを眺めているだけで気持ちが穏やかになり、家族とのひと時を後回しにしてまでは乗らないけれど、そのぶんいつもよりちょっと早起きして磨き上げたり、時には旅をしてみたり。例えばそうやってゆっくりと心と時間が満たされていくメンタルな接し方が待っているのかもしれない。

夏から秋へ季節が移ろうように、バイクに対する熱や距離感も乗り手の心模様とともに変わっていく。あるいは季節が一巡して再び夏がくるようにバイクに対するスタンスが昔と同じところに戻ってくることもあるかもしれない。そうやってバイクのある人生がこれからどんな風に変化していくのか。それを想像するのはとても楽しい。

思っていたような方向ではなかったものの、そういう意味では今年のパイクスピークを終えたことによって少しずつ人生が変わりつつある。今はバイクとそれを取り巻く環境に思いを巡らせながら、次の一歩を踏み出す準備段階のようなものだろう。

いずれにしても、これからも様々な道を走り、そこで見たモノ、感じたコトを言葉に換えていく人生を送りたいと思う。それにはやはりバイクがいい。体いっぱいに空気を感じ、季節の狭間を自由に行き来できる乗り物だからこそ伝えられることあるのだ。

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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年京都生まれ。2輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTや鈴鹿8時間耐久ロードレースを始めとする国内外のレースに参戦してきた。本文中にある通り、近年はアメリカ・コロラド州で開催されているパイクスピークにエントリー。これは現存するモータースポーツとしてはマン島TT(1907年〜)、インディ500(1911年〜)に継ぐ歴史を持ち、ゴール地点は標高4300mを超える高地を舞台に繰り広げられることから「The Race to the Clouds(雲へ向かうレース)」とも呼ばれている。競技方法はコース全長20km、コーナー数156ヶ所の山岳路を封鎖し、山頂のゴールに向かって一気に駆け上がるタイムアタック方式を採用。参戦3度目となる今年はハスクバーナ・701スーパーモトで出走し、ミドルウェイトクラス(501cc〜750cc)において5位というリザルトを残している。

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