特集 取り戻しに行く 2012

アヘッド 取り戻しに行く 2012

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震災による被害、その後に起きた原発事故など戦後最大の国難の年になってしまった2011年。クルマやバイク、レースを愛する私たちにも何らかの暗い影を落としたのではないだろうか。今回は、それぞれの分野の重鎮との会話から未だある行き詰まり感を払拭するヒントを探していきたい。

text:桜間 潤、伊丹孝裕 photo:長谷川徹、菅原康太 [aheadアーカイブス vol.110 2012年1月号]
Chapter
クルマの選択眼を持つと その先の人生観までもが変わる
モータースポーツは、 アイデアしだいでおもしろくなる
ライダーは、何かを得ようとする 情熱が人並み以上にある

クルマの選択眼を持つと その先の人生観までもが変わる

株式会社カーグラフィック 代表 加藤哲也さん

text:桜間 潤

クルマ離れの本質

「クルマ離れの時代と言われて久しいけれど、皆クルマそのものに興味を失ってしまったのではないと個人的には思ってるんです。昔と変わらず今でもクルマファンは熱い想いを持ち続けている。でも、その気持ちに応えてくれるような『欲しいクルマ』が売られていないだけなんじゃないでしょうか」。

“カーグラ”の加藤哲也さんは、クルマ離れの理由ついて語り始めた。

「僕がクルマに乗り始めた頃は、いろいろなメーカーがファン心理をくすぐるクルマをたくさん出していました。シトロエンはシトロエンの、フォルクスワーゲンはフォルクスワーゲンの個性溢れる魅力的なクルマを作っていた。だから、シトロエンファンでもフォルクスワーゲンが気になったし、またそれとは別に、ポルシェの911が欲しくなったりしたんですよ。現代は自動車に正義ばかりが求められるけど、僕個人は反社会的な要素も少しは許容する懐の深さがもう少しあってもいいじゃないかと思っています」。

かつては、メーカーごとに明らかなアイデンティティが存在していたと加藤さんは言う。クルマメーカーは、根ざしてきた地域のカルチャーやそこに住む人々のメンタリティ、そして製品を育む“道”からクルマの個性を醸成していた。たとえばイタリア車が総じて敏捷なのは、半島の真ん中をアペニン山脈が走り、タイトな山道が多いからだという。

つまり本拠地のローカル性を色濃く反映するプロダクトだった。しかし一時クルマメーカーは、グローバル化を目指しすぎて均一化してしまい、個々の魅力を失っている時代があったと主張するのだ。加藤さんは、自動車メーカーが本当の意味での魅力を備えるためには、もう一度原点、すなわち「グローバルよりローカル」の精神に立ち返ることが必要なのだと考えている。

アイデンティティは、 日本車にも存在する

欧州車でも個性が希薄になってきたといわれる中、日本車に個性を求められるのだろうか。 

「個性に乏しいと言われる日本車だけど、僕から言えば『スマート・バイ』という魅力をちゃんと備えている。高品質でありながら価格に見合った、あるいはそれ以上のバリューがあるのが日本車なんですよ。例えば、日産GT-Rやランサー・エボリューションなんかがそう。あの価格であそこまでの性能は日本車でなければ出せないでしょう。それにデザインだって見るべきものがある。たとえば日産キューブのスタイルは海外でも注目を集めていました。ロンドンの街角にキューブを停めたら人だかりになったっていう話も現地で聞きましたし。それにエコカーに関しても先陣を切っている。だから日本車には日本車の個性があると断言できますよ。ただ、その個性が上手く表現されているか、 あるいはこれまで自動車が長年描いてきた文脈に則っているか、 というと疑問があるのも否めないですけどね」。

また、アイデンティティという点では、内外を問わずどのクルマメーカーも独自の魅力をアピールできるクルマを作り続ける姿勢が必要だと加藤さんはいう。

「例えばフェアレディZというクルマがありますよね。僕もしばらく乗っていた。正直言って許せない部分もあります。けれどこれはまさに日産を代表するクルマ。ほんの一時期を除けばもう40年以上も作り続けられている。『もう終わり』というのがありません。いや、あってほしくない。メーカーのブランドを支えるのはこういうフェアレディZみたいなクルマなんですから」。 
 
一人のクルマファンとして、自身の経験を振り返りながら、加藤さんは続ける。

「単に車種ラインアップだけを見て『好き』とか『嫌い』を判断するんじゃなくて、実際に見に行って試乗して欲しいですね。写真だけでは伝わらないものがありますから。そのクルマのデザインに魅力を感じなくても、運転してみると琴線に触れるクルマっていうのが必ずあります。そうなると、『ヤバい、このクルマ、カッコ良く見えてきた』っていうことにもなるんですよ」。

クルマにはいろんなアスペクト(側面)があるのだと加藤さんは言う。見た目では惹かれないクルマでも、別の面からは、全く違う魅力を発見できたりするのだと。またメーカーのイメージや、そのクルマのヒストリーからもクルマを選ぶ楽しみを見つけてもらいたいとも提案する。

「クルマは、世界に通じる窓なんです。外国車を持てば、そのクルマが生まれた国の一面が見える。クルマがきっかけになって、その国の他のプロダクトが気になり始めたり、文化に興味を抱いたりもします。クルマを楽しむって大きな広がりを持てるってことなんだと思うんですよ」。
1959年生まれ。『カーグラフィック』編集長、『NAVI』編集長を歴任。現在は『株式会社カーグラフィック』の代表取締役社長を務める。『NAVI』時代の09年には、「NAVI TEAM GOH」の監督としてル・マン24時間レースに挑んだ経験がある。(写真・宇留野潤)

成熟したクルマ社会 といえる現在の日本

クルマがステータスシンボルだった時代は終り、高級車とプリウスを同じまな板に乗せる話も珍しくない。クルマという物の価値が見えにくい時代になったのだろうか。

「ある意味では、自由にクルマを選べる成熟したクルマ社会になってきたともいえます。例えば大排気量のスポーツセダンから小柄なスポーツハッチに乗り換えたら自分のオリジナリティが表現できたりすることもあるでしょう」。

いま、エコカーが全盛の時代になっている。愛車選びをするにあたって、とりあえずエコカーを選んでおけば後ろ指をさされないという潮流に加藤さんは異論を唱える。

「エコカーを選ぶことに反対するわけじゃありません。でも、エコだからこれが正しいと単純に考えずに、自分が欲しいと思えるクルマ、長く付き合えるクルマを選ぶことが実は求められているんじゃないでしょうか。エコカーが本当に好きならエコカーを買えばいいけど、他に興味のあるクルマがあるのなら、それを素直に選択すればいい。クルママニアが『自分の好きなブランド』を支持して、そのクルマを買うという、いわばタニマチ的な精神がクルマを面白くするには必要なんだと思っていますから」。

最後に、加藤さんはこう語った。

「クルマ選びに関しては、個人の選択眼を身につけて欲しいんです。時流や値段に流されずに、自分が惚れられるクルマを手に入れれば、その先の物を選ぶ基準が変わるし、生活も変わってくるはずです。クルマは、それまで以上の心の豊かさを、きっと持たらしてくれると思いますよ」。

モータースポーツは、 アイデアしだいでおもしろくなる

ハセミモータースポーツ 代表 長谷見昌弘さん

text:世良耕太

モチベーションは、 タイムと順位から

昨年の5月1日、富士スピードウェイでスーパーGTの決勝レースが行われていた。しかし、本来そこに居るべき長谷見昌弘さんの姿はなかった。

「ハセミモータースポーツ」の監督として、前年はGT300クラスでチャンピオンを獲得していた。だが、昨シーズンは参戦するカテゴリーを変更していたのだ。

同日、長谷見さんは土佐の山中をバイクで走っていた。四国で開催されるラリーに参加していたからだ。

「スーパーGTに集まってくれたファンがレース終えて帰宅する頃、僕は山の中でテントを張って、メンテナンスをしていたかな。ラリーが大好きでね。ダートをスライドさせながら走るのが楽しいんですよ。実は、次のシーズンに向けてKTMのバイクを注文してあるんです」。

スーパーGTの参戦を休止して、趣味のバイクに乗る。そんな風に思われるかもしれないが、長谷見さんの場合は少し違う。

「アウトドアなんか好きじゃないし、林道にツーリングに行ったりもしない。ましてテント生活なんて、進んでやろうとは思わない。でも順位のつく競技のためなら別です。自分でメンテナンスするのも全く苦じゃない。走るのが純粋に好きなんです。50年もレースに関わってきているから、タイムや順位が着く世界に身を置いておきたい。そうしないとつまらないというのもあります」。

フォーミュラカーが ドライバーを育てる

00年にGTマシンを降り、4輪のプロレーサーとしては一区切りをつけている。以来、監督として後進の育成に力を注いできたわけだが、どこにいても、なにで走ろうとも長谷見さんの心はレーサーのままなのだ。

「育成と言っても最初は怒ってばかり、自分がドライバーだったから、同じことを求めてしまう。最近はおだてることも覚えましたけどね」。

やがて、長谷見さんのチームに入ると成長すると評判になり、事実、選手たちは、タイトルをいくつも獲得。ドライバーの個性を掴み、最も伸びるところを引き上げる術に長けているのだ。その実績から、昨年は日産の若手育成プログラムの一環として、F3チームの監督に就任。見事、チームもドライバーもチャンピオンに導いている。

「でも、誰でも速くなれるわけじゃないですよ。下地として、フォーミュラでポールポジションを獲れるくらいの速さは持っていないとダメ。話は、そこからでしょう。そういう意味でF3はいいクラス。なぜなら、エンジンに規制があって壊れにくいからコンスタントに走れる。なにより軽いのでコーナリングスピードがすごく速い。この感覚はとても重要です。それと比べるとGTマシンは運動性能が劣るのは否めない。それに、ドライバーが2人で乗るので、セッティングも詰め切れないし、色々な面で中途半端にならざるを得ないんです。もちろんどんなクルマであれ、コツは教えるけれど、最後は素質がものを言う。だから、最初の3戦くらいは文句を言わない。その代わり、ちゃんとポイントは取ってこいってクギは刺しておきます。その後、いかに予選を速く走って、決勝を有利に進めるのかを教えていくんです。そうすると後半戦でチャンピオン争いの権利が巡ってくることになる。じゃないと、本人もチームもモチベーションが最終戦まで保てませんからね」。

そう言いながらも、長谷見さんは「でも……」と続ける。
1945年生まれ。ツーリングカー、フォーミュラ、ラリーと、さまざまなジャンルのレースに参戦し数々のタイトルを獲得。現在はハセミモータースポーツの代表を務め、2011年には全日本F3選手権に参戦する「ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム(NDDP)」の監督を務めた。(写真・上尾雅英)

日本のレース界は、主催者側の理論だけ

「極論すると、今のレース界は、やってる側の人が楽しいだけ。後進の育成にしても、それはレース界の内輪の話であって、ファンの方々にレースの本当の醍醐味を提供できているかどうかは疑問ですね。しかもお金が掛かりすぎて、どんどん縮小していくばかり。興行になっていないんですよ。大前提にある、いかにお客さんを喜ばせるかを忘れてしまっている。僕の立場でそれをあきらめちゃいけないんだけど、失ったもの、取り戻さなきゃいけないものが日本のレース界の中には確かに存在していると思いますね」。

長谷見さんは、昔はいかに賞金が高くて夢があったか、いかに危険だったのか。それゆえにどれだけ魅力的だったのかを語ってくれた。ならば、これから現状をどうやって変えていけばいいのだろうか。

タイヤは同じにして最高速を高めるべき

「スーパーGTに関して言えば、混走している500クラスと300クラスのタイヤを同じにするといい。今のGT500と300は、コーナリング中の速度差があり過ぎて危ないんですよ。タイヤが同じだと、コーナーで腕の差による競り合いが見られるようになるでしょう。その代わり、ストレートはどんどん速くしていくべきです。今、富士スピードウェイでGT500がどれくらいの最高速をマークするか知ってますか。せいぜい290㎞/hです。スポーツ走行で走っているGT-Rやポルシェは300㎞/hを超えている。GT500のワークスマシンより速いんですよ。内輪を納得させるだけの複雑なルールで自分たちを縛った結果、公道を走ってる市販車より最高速が遅いレーシングマシンを走らせている。これは考えなければいけないですよね。スゴイって思ってもらってレースの魅力を分かり易くするんですよ。ファンを楽しませる意識が最初に無くてはならないんです。レースといっても、あくまでも興行なんですから。お客さんに喜んでもらって、また来てもらわないと続いていかないんですよ」。

レースは時代とともに変化していくが、それがメーカーや主催者側の都合であってはならない。レースの醍醐味をシンプルにアピールしていくことでレースファンが満足し、次に繋がっていくのだ。長谷見さんはドライバー、時にはライダーとして今もそれを伝えようとしている。

「経済的なことも含めて状況が整えば、またスーパーGTでも、フォーミュラニッポンでもやりますよ。ただ、僕から見るとまだその時点ではないだけです。今までレースしかやって来なかったんだから、生涯レースには関わっていきますよ」。

『日本は、モータースポーツ文化が育たない』。よく聞くセリフだが、レースに関わって半世紀を越えた長谷見さんを見ているとそれは間違いだということに気付いた。文化というものはカタチではなく、人から人へと引き継がれていく精神的な姿勢のようなものなのだ。

モータースポーツのそれは、長谷見さんを含めた先人たちが開拓し、その上に多くのドライバーが、ライダーが、そしてファンが立ったところであり、これから成熟期へ向かおうとしている段階なのかもしれない。

ライダーは、何かを得ようとする 情熱が人並み以上にある

株式会社出版社 専務取締役 根本 健さん

text:世良耕太

本当に好きなモノには お金や時間も掛ける

「バイクが好きかどうかっていうのは、気持ちの問題でしょう」。

2輪専門誌『ライダースクラブ』のプロデューサー、根本健さんはそう前置きしてから語り始めた。

雑誌業界の中でも、バイク誌を取り巻く環境は特に厳しいと言われている。昨年は、さらに失ったものが多いのではないだろうかと、ネガティブな切り出しをしたことに対しての軽いカウンターパンチだ。

「大変と言われれば大変。だけど、読者やお客さんが減っているわけじゃない。むしろ休日に走っているバイクの数は、増えたような気がしない? ウチで主催するイベントに関しては、サーキットの走行会であれ、ツーリングのミーティングであれ、多くのライダーが集まってきてくれる。確かに不況と全く関係ないとはいえないし、財布の紐は固いよ。でも、どうしても欲しい物や、どうしてもやりたいことには、お金も時間も掛ける。それが趣味だし、どれだけ好きかってことなんだよ」。

バイクはそもそも実用性より趣味性の強い乗り物である。それゆえに、不況や不景気の際には真っ先に切り捨てられても不思議ではない。だが、趣味のモノだからこそ、それが心の拠りどころにもなっているのだ。

「生活していく上でバイクは乗らなくてもいいもの。なのに、わざわざ高いお金を出してまで買って、おまけに転倒やケガのリスクもしょい込むことになるんだから。ライダーであるというだけで、なにかを得ようとする情熱は並みじゃない証拠だよ。だからこそ、我々はその心をしっかりとサポートしなくちゃ。そのためならどんな手間も惜しんじゃいけない。それが雑誌というサービス業の基本。それを忘れているところが苦しんでいるんだと思うな」。

悪い時の結果が実力、 良い結果は時の運

そうは言っても、編集に携わって30年以上。根本さん自身が雑誌の浮き沈みを痛いほど経験してきているはずだが、どのような思考で乗り越えてきたのだろう。

「自分自身にもスタッフにも常に言っているのは、悪くなった時の結果が実力で、結果が良い時は、運や流れに恵まれたって考えろと。どんなにがんばっても売れない時は売れない。逆に、いろんな制約の中で思うようにできなかったなって思っていたものが受け入れられたりすることもある。人はどんな時もがんばったって思いたいでしょ。そうじゃなきゃ自己否定することになるしね。でも、専門誌であればあるほど、世の中の必然からはちょっと離れたところに読者の満足があったりする。だから、景気だのなんだのと現状を賢く分析するだけではダメなんだよ。なぜなら、バイクも雑誌も一見ハードでありながら、実質的には心を豊かにするためのソフトを売っているの。我々の勝負は市場の動向がどうであれ、いかに読者の心の満足を掘り下げられるかっていう点に、尽きるんだと思うな」。

では、バイクそのもの、あるいはメーカーに対して求めることはないのだろうか。
1948年生まれ。'73年に全日本チャンピオンに輝いた後、世界GPに完全なプライベーターとして挑戦。帰国後『ライダースクラブ』の編集長を経て現職に。毎年デイトナ(アメリカ)で行われるクラシックレースには10年以上参戦し続けている。(写真・廣瀬友春/枻出版社)

欧米にあって日本にない 「販売した責任」

「今、最も言いたいのは国産メーカーにだね。自国のマーケットに対して、あまりにもあきらめている感じがする。最新技術がどんどん盛り込まれ、バイク界の花形と言えるスーパースポーツのカテゴリーは、日本車の独壇場だった。性能、信頼性、それに価格において、世界中のライダーから支持されてきたでしょ。それがこの数年、どんどん高価になって外国車との差がなくなってきた。そればかりか、電子デバイスを筆頭に技術面でも追い越されてる。マーケット規模の変化や排ガス規制への対応など、いろいろな事情があるのは分かる。分かるけれど、国産メーカーの人達に危機感やこれからの展望が見えてこないのが問題」。

根本さんはこんな時だからこそ、あえて世界ナンバーワンメーカーのホンダを例に言及する。

「国産車の現在の地位は間違いなくホンダが切り開き、根付かせてきたもの。CB750フォアに始まり、驚異的な開発力と商品力でユーザーの心を躍らせ続けた。NSRシリーズを筆頭とする80年代の市販モデルは、バイクを熱く想う人達に応える誇りと自信に満ちていたよ。バイクは趣味であり、嗜好品。だからこそ、ワクワクさせなければいけない。今のユーザーが欧米のメーカーになびくのは、その昂ぶりを感じられるからでしょう。それはスタイルとか機能の話だけじゃないよ。欧米メーカーの多くは、「販売した責任」という考え方の元に、自分たちが信じてきたもの、やり始めたものを貫こうとする責任感がある。そこをユーザーは感じとっているんだ」。

当時、ホンダでなければ作れなかったNR750の開発に関わり、ライダーとして世界耐久選手権にも参戦した根本さんならではの言葉だ。

負け越してるから、挽回して続けられる

根本さん個人のバイクへの情熱はいつまでも変わらない。現在も毎年アメリカのクラシックレースには参戦。走行会では、まさに休む間もなく走り続け、タンデムしたままでさえ、あり得ないスピードでコースを駆け抜けていく。

「よく考えれば、そもそもバイクなんて世の中にないほうがいいのかもしれない。でも幸か不幸か、すでに存在していて、我々はその魅力を知ってしまった。だからこそリスクも含めた醍醐味を真正面から訴えていかなければならないんだ。他人を無理に引っ張り込む世界ではないけれど、始めたからには続けたいよね。たかがバイクだけど、いくつになっても本当に楽しい。それを知っている我々だから、皆さんに乗ってて良かったって思える場面を提供していかなければならない。雑誌はビジネスだけど、得られるものはお金じゃなくて読者の喜ぶ顔でしょう。もちろん時々は失敗する。でもね、ちょっと負け越したところから挽回するくらいがちょうどいい。それが続けていくためのモチベーションだし。その点では雑誌作りもバイク作りも同じなんだよ」。

そして根本さんは最後にこう締めくくってくれた。

「まあ、理屈はいろいろあるけど、本当のところは、特に深い意味はないんだよ。バイクに乗ってさえいれば機嫌がいい。それだけなんだよ自分は。この歳になってもまだバイクが上手くなってる気がするからさ」。

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text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/
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