伊丹孝裕が観た『CLOSER TO THE EDGE マン島TTライダー』生と死を浮き彫りにするマン島TTレース
更新日:2024.09.09
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時速にしておよそ230キロくらいだろうか。5速で切り返すその高速S字コーナーに入った直後、目に飛び込んできたのは、四方八方に散らばり、プラスチックとアルミの細切れと化したバイクの残骸。そして、そんなパーツの一部のように横たわっている人間の身体だった。
text:伊丹孝裕 [aheadアーカイブス vol.123 2013年2月号]
text:伊丹孝裕 [aheadアーカイブス vol.123 2013年2月号]
伊丹孝裕が観た『CLOSER TO THE EDGE マン島TTライダー』生と死を浮き彫りにするマン島TTレース
映画『CLOSER TO THE EDGEマン島TTライダー』
■2013年3月30日(土) オーディトリウム渋谷にてロードショー
■公式サイト www.laidback.co.jp/tt
©2011 cinemaNX Productions
一切の装飾がない、黒づくめのレーシングスーツとヘルメット。すぐにあの人だと分かった。
「助からない」
完全に脱力し、生気のないその様を見て、そう直感していた。
後続のライダーに危険を知らせるため、狂ったようにイエローフラッグを振り回すオフィシャルの横を、スピードを緩めてパーツ片を避けながらやり過ごし、一呼吸おいてから再びスロットル全開。その瞬間、死を迎えようとしているライダーへの思いはあっさりと捨て去られ、僕の脳裏に浮かんだのは「パーツがタイヤに刺さっていませんように」という自身のマシンに対する心配だった。
こうして当時の胸の内を掘り返すたびに、自分はかくもドライな人間だったのかと思い知らされる。思わぬ冷淡さが露わになったことを思い出して時折気が重くなるが、そういう一面を自覚した上で僕は生きている。
もちろん、レースは純然たるモータースポーツだ。命のやり取りをする競技でもなければ、それを軽んじる場でもない。むしろ、多くのシーンで感じるのは、〝生〟への強烈な執着だが、それが強ければ強いほど、時に〝死〟という形でライダーに降りかかってくるのだ。
そして、それが最も色濃く表れるのがマン島TTなのだと思う。
■2013年3月30日(土) オーディトリウム渋谷にてロードショー
■公式サイト www.laidback.co.jp/tt
©2011 cinemaNX Productions
一切の装飾がない、黒づくめのレーシングスーツとヘルメット。すぐにあの人だと分かった。
「助からない」
完全に脱力し、生気のないその様を見て、そう直感していた。
後続のライダーに危険を知らせるため、狂ったようにイエローフラッグを振り回すオフィシャルの横を、スピードを緩めてパーツ片を避けながらやり過ごし、一呼吸おいてから再びスロットル全開。その瞬間、死を迎えようとしているライダーへの思いはあっさりと捨て去られ、僕の脳裏に浮かんだのは「パーツがタイヤに刺さっていませんように」という自身のマシンに対する心配だった。
こうして当時の胸の内を掘り返すたびに、自分はかくもドライな人間だったのかと思い知らされる。思わぬ冷淡さが露わになったことを思い出して時折気が重くなるが、そういう一面を自覚した上で僕は生きている。
もちろん、レースは純然たるモータースポーツだ。命のやり取りをする競技でもなければ、それを軽んじる場でもない。むしろ、多くのシーンで感じるのは、〝生〟への強烈な執着だが、それが強ければ強いほど、時に〝死〟という形でライダーに降りかかってくるのだ。
そして、それが最も色濃く表れるのがマン島TTなのだと思う。
これは、僕が2010年のマン島TTに出場した時の忘れがたき体験の一部である。
ライダーの名はマーティン・ロイヒ選手。もじゃもじゃ頭で痩せっぽっち。メガネをかけていつもせわしなく動き回っている神経質そうなおじさんだった。それでも妙な親近感があったのは、お互い〝ニューカマー(初出場者)〟だったからだ。
ニューカマーは、レーシングスーツの上からオレンジ色のビブス(ベスト)の着用が義務付けられているので、すぐにそれだと分かるのだ。
そんなこともあって、2週間以上にも及ぶ長いパドック生活の中でお互い意識するようになり、いつしか顔を会わせるたびに、「アーユーOK?」「エブリシングOK?」と声を掛け合うようになっていた。
聞けば、年齢は48歳と言うからとんだオールドニューカマーだ。だがマーティンさんは誰よりもストイックだった。レーシングスーツもマシンもボロボロではあるが、それがやけに清々しい。なぜなら、この年の参戦はあくまでも通過点で、翌年に自作の電動マシンで挑戦するための足掛かりにしようとしていたからだ。
本業は大学教授。未来のモーターサイクルの研究と開発の場としてマン島を選び、オーストリアから参戦してきていた。
そのマーティンさんが、いともあっさりと死んだ。
後で聞くと病院搬送後に一時意識は戻ったというが、それも長くは持たず、まさに夢半ばの出来事だった。
1907年の初開催以来、マン島TTではこうした悲哀が少なくとも二百数十人回も繰り返されてきている。なのに、なぜマン島TTは人々を惹きつけて止まないのだろう。
それは人それぞれだとは思うが、確かなのは、マン島という凝縮された空間の中で、剥き出しの生と死を感じられるからなのは間違いない。
それだけではなく、生の歓びと死の悲しみが次々と目の前に沸き起こる非日常的な時間の密度がそこにあるにも関わらず、まるでそれが日常のように、自然に受け入れられる不思議な浄化感に包まれている。
実際、僕はマーティンさんの死に直面しながらも、わずか10分後には遠慮のない歓びを爆発させていた。それは夢にまで見たマン島TTのチェッカーを受け、そのリザルトに自分の名を残すことができたからに他ならない。不謹慎さなど微塵も感じていなかったのは確かだ。
ライダーの名はマーティン・ロイヒ選手。もじゃもじゃ頭で痩せっぽっち。メガネをかけていつもせわしなく動き回っている神経質そうなおじさんだった。それでも妙な親近感があったのは、お互い〝ニューカマー(初出場者)〟だったからだ。
ニューカマーは、レーシングスーツの上からオレンジ色のビブス(ベスト)の着用が義務付けられているので、すぐにそれだと分かるのだ。
そんなこともあって、2週間以上にも及ぶ長いパドック生活の中でお互い意識するようになり、いつしか顔を会わせるたびに、「アーユーOK?」「エブリシングOK?」と声を掛け合うようになっていた。
聞けば、年齢は48歳と言うからとんだオールドニューカマーだ。だがマーティンさんは誰よりもストイックだった。レーシングスーツもマシンもボロボロではあるが、それがやけに清々しい。なぜなら、この年の参戦はあくまでも通過点で、翌年に自作の電動マシンで挑戦するための足掛かりにしようとしていたからだ。
本業は大学教授。未来のモーターサイクルの研究と開発の場としてマン島を選び、オーストリアから参戦してきていた。
そのマーティンさんが、いともあっさりと死んだ。
後で聞くと病院搬送後に一時意識は戻ったというが、それも長くは持たず、まさに夢半ばの出来事だった。
1907年の初開催以来、マン島TTではこうした悲哀が少なくとも二百数十人回も繰り返されてきている。なのに、なぜマン島TTは人々を惹きつけて止まないのだろう。
それは人それぞれだとは思うが、確かなのは、マン島という凝縮された空間の中で、剥き出しの生と死を感じられるからなのは間違いない。
それだけではなく、生の歓びと死の悲しみが次々と目の前に沸き起こる非日常的な時間の密度がそこにあるにも関わらず、まるでそれが日常のように、自然に受け入れられる不思議な浄化感に包まれている。
実際、僕はマーティンさんの死に直面しながらも、わずか10分後には遠慮のない歓びを爆発させていた。それは夢にまで見たマン島TTのチェッカーを受け、そのリザルトに自分の名を残すことができたからに他ならない。不謹慎さなど微塵も感じていなかったのは確かだ。
どんな選択をしても、人は死に向かっているのならば、漫然とそれを待つよりも、少しでも生きている自覚を感じていたい。そういう気持ちのくすぶりがライダーをマン島へと向かわせ、そこで強烈なパワーへと換えられていく。
マーティンさんもまた、日常から踏み出すか留まるかの選択を前にして、そこに足を踏み入れたのだ。
結果的に、それが幸福だったかどうかは分からない。それでも、マン島TTに自身の未来を託し、生き抜こうとした輝きを僕は知っている。
ここでは、生き様も死に様も、必ず誰かが見ているのだ。だから僕は、その人たちのことをこれからも伝えていく。
そして、いつかまたTTライダーとしてあの島に戻るつもりだ。
マーティンさんもまた、日常から踏み出すか留まるかの選択を前にして、そこに足を踏み入れたのだ。
結果的に、それが幸福だったかどうかは分からない。それでも、マン島TTに自身の未来を託し、生き抜こうとした輝きを僕は知っている。
ここでは、生き様も死に様も、必ず誰かが見ているのだ。だから僕は、その人たちのことをこれからも伝えていく。
そして、いつかまたTTライダーとしてあの島に戻るつもりだ。
▶︎2010年のマン島TTでは完走が精一杯だった僕ではあるが、この年のトップライダー達の姿を克明に追ったドキュメンタリー映画がこれだ。優勝こそないものの野性味溢れる走りとキャラクターで人気のガイ・マーティンを軸に、彼らがなぜTTレースに憑りつかれ、そこで何を感じているのかを刺激的なカメラアングルとともにあぶり出していく。転倒、炎上、爆発、激突、滑落、そして死…そうした狂気と悲劇に、ライダーとその家族がいかに向き合い、乗り越え、人生に歓びを見い出していくのか。スリリングなシーンを通し、TTレースに挑む者の強さを感じて欲しい。
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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。