「MINI」はレースで活躍し、さらに “サブカルチャー”を育てたクルマだった

アヘッド MINI

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'99年、20世紀の名車を選出する式典がアメリカで行われた。そこで量産自動車のエポックとなったT型フォードに次いで2位に選ばれたのはミニ(クラシック・ミニ)だった。さまざまなクルマが誕生した20世紀において、なぜミニが2位に入ったのか、その理由を考えていきたい。

text:桜間 潤   [aheadアーカイブス vol.113 2012年4月号]

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「MINI」はレースで活躍し、さらに “サブカルチャー”を育てたクルマだった

「MINI」はレースで活躍し、さらに “サブカルチャー”を育てたクルマだった

ミニは1959年に発表された。

もともとは'56年のスエズ動乱が開発の発端だった。中東の紛争がもたらした英国の石油不足。その危機に対応すべく、大人4人が乗れて、低燃費で経済的な小型車を造る必要がミニを産み出したのである。車両サイズも、エンジンも、最低限なものであればいい。

そうした割り切りがミニのサイズを決定し、エンジン、ミッションのレイアウトやサスペンションを決め、可愛いと評されるデザインをも作り出したのである。

その後ミニは小型大衆車の模範とされた。しかし、小型大衆車の先端を行くだけのクルマでは、のちに登場する新たな小型車にとって代わられるのは必然だ。それが、奇跡的にも41年も生産され続けられることになった背景には、ミニが単にスペース効率に優れているということ以外の理由があったからである。

理由の一つは、ミニが思いのほか機敏に走り、そこにモータースポーツマシンとしての可能性が見いだされたことだった。それに目をつけたジョン・クーパーは、ミニをチューニングした。それが「ミニ・クーパー」だ。

ミニ・クーパーは、軽量な車体からくるハンドリングの良さを生かし、サーキットやラリーで次々と勝利を重ねていく。白眉はモンテカルロラリーでの活躍である。

1964年のモンテカルロラリーでは、ミニ・クーパーS(クーパーSは、ミニ・クーパーをさらにチューニングしたミニ)が、ポルシェやメルセデスなどの大排気量車を相手に、雪道に強いFFの特性と軽量な車体を生かして優勝をさらった。

さらに、ミニ・クーパーSは、翌年の1965年にも優勝。1966年こそレギュレーション違反で優勝を逃したものの、その次の年の1967年にも優勝の栄誉に浴している。

そして、ミニが多くのファンの支持を得続けた理由のふたつ目は、ミニがサブカルチャーの道具として、さまざまな人たちの注目を集めた部分にある。

一般大衆のために作られたクルマでありながら、エリザベス女王陛下から、ミュージシャン、デザイナーなどが、ミニを愛車に迎えた。ビートルズの4人は、それぞれが愛車のミニを持っていた。

ジョージ・ハリスンはサイケデリックなペイントを全面に施し、ドラマーのリンゴ・スターは、ドラムを積むためにか、ハッチバック仕様のスペシャルのミニを選んでいる。ミニは階級を超えたクラスレスのクルマだ。リバプール出身の彼らは、ミニを選ぶことで、“成功者として見られないための反抗心”を表現したのかもしれない。

デザインに敏感なデザイナーらも、ミニに熱中した。ミニスカートをデザインして世界にブームを巻き起こしたマリー・クワントは、ミニというクルマが大好きだった。のちに英国だけの販売ながら、自身の名前を冠した限定車が発売されたほどである。

また、ポール・スミスは彼特有のビビッドな色を使ってミニをマルチストライプに塗り上げた。後に、自身でカラーコーディネートしたミニをプロデュース。限定車『ポールスミス・ミニ』として、こちらは日本でも販売された。

日本では、'60年代に流行したアイビー・ファッションのサブアイテムとしてミニの人気が高まったが、当時のミニは若者にはあまりに高価過ぎたため、誰もがオーナーになれた訳ではなかった。

しかし、ミニに憧れを持ち続けた人たちが'80年代後半あたりからミニを買い始めた。すでにヨーロッパでは人気に陰りが出て、生産中止の噂が出ていたミニを継続させ、救ったのである。

長いミニの歴史を最後に支えたのは日本だった。それゆえ、イギリスのミニ・オーナーは日本にリスペクトを持っている。
1959
ミニを設計したのは、サー・アレック・イシゴニス。天才のひらめきが合理性溢れるミニを生み出した。
オースチン・セブンは発表当初のミニの正式呼称。プロモーション活動が大々的に行われた。
1970
ミニはさまざまな派生モデルを持っていた。バンやステーションワゴン、さらに写真のようなジープタイプのモークやピックアップもラインアップされている。
軽量な車体、クイックなステアリング特性ステアリング特性、特異な重心位置などにより、モータースポーツの現場でもミニは活躍した。左の写真は1965年のモンテカルロラリー。この年、前年に引き続きミニが優勝をさらった(ドライバーはティモ・マキネン)。
1980
'60年代末、ミニ・クラブマンが登場。オリジナルデザインのとは異なるフェイスは受け入れらず、短命に終わった。
英国のみならず、ミニは各国に輸出された。写真はドイツのポスター。
1990
'90年代に入り、約20年ぶりにミニ「クーパー」がラインアップに復活した。上の写真で傍らに立つのが生みの親のジョン・クーパー氏。なお、'90年代にはカブリオレなどもあった。
2020
ファッションデザイナーのポール・スミス氏がプロデュースしたスペシャルモデル。氏がデザインする服に用いられるビビッドな色を使い、マルチストライプカラーに仕立てた。
ミニはBMWに引き継がれ、いまや6バリエーションモデルを展開するに至っている。
ミニは2000年に生産を終えた。「ラストミニ」として加えられた最後のバリエーションモデルのひとつがミニ・セブン。ミニが誕生したときの呼称が、30数年ぶりによみがえった。
2012
日本では大小さまざまなミニのイベントが各地で開催され続けている。東日本最大のイベントは「ジャパン・ミニデイ」。西日本の最大のイベントは「ミニ・ジャック」。いずれも多数のミニファンが集うイベントとなっている。
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