ユーミンを聴いていた頃

アヘッド ユーミン

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ユーミンの曲ほど、ドライブにぴったりな音楽はない。——と、そう語る人は多い。誰もが持っているありふれた出来事や感情を、切ないほどのドラマに仕立てて、昔も今も、ユーミンの歌は色褪せない。

text:岡小百合 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.118 2012年9月号]
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ユーミンを聴いていた頃

ユーミンを聴いていた頃

▶︎ドライブのBGMに選ぶのはやっぱりユーミン。カセットテープがCD、iPodに変わっても、ユーミンがBGMからなくなることはない。



2年前の8月下旬。思い立って、ひとり、クルマに飛び乗り、海を目指した日があった。
向かった先は、湘南海岸。今も昔も日本一の集客力を誇る、言わずと知れた、夏場の一大リゾートだ。その湘南を目指して、小田原から西湘バイパスをドライブしたのだった。

空がどこまでも真っ青に広がる、快晴の1日だった。右手に横たわった海が、太陽の陽射しを受けて、キラキラと輝いていた。文字通り、絶好の海沿いドライブ日より。何もかもが、それはそれは綺麗で、「これがオープンカーだったら、完璧だった」などと思いながら、我が小さなイタリアン・ハッチバックのハンドルを握っていた。

それと同時に、「でも、やっぱり、これがオープンだったら、何もかもが明るすぎて、ダメだったわよねぇ」とも思いつつ、すっきりと晴れることのない視界に、アクセルを緩めてもいたのだった。後から後からとめどなく流れだす涙を、止めることができなかったから。
▶︎『埠頭を渡る風』『中央フリーウェイ』『DESTINY』……クルマのある風景が、ドラマティックに心に広がる。



恥ずかしながら告白すれば、それは、青春時代を回顧するためのドライブで、はっきりとそういう目的を持って、私は海へと向かったのだった。後ろ向き? ネガティブ? 何とでも言ってくだされ。オ・ン・ナ・40年もやっていれば、いろいろな色の日があるものでしょう?
そんなドライブのBGMに選んだのは、やっぱり、ユーミン。ユーミン、のみ。

生活やスタイルや好みの変化とともに、音楽の好みも変わっていく。だから今は、学生時代のように、クルマに積んだカセットテープの三分の一が、ユーミンのアルバムで占められているわけではない。それでも、18歳で免許を取ってから今まで、クルマで聴くBGMからユーミンの曲を消したことはない。というのは、私だけではないと思う。

そんな風に、彼女の作品が、時を経てなお愛される理由は、時代の気分に対する嗅覚が鋭いから、などと分析されることも多い。けれど私は、むしろ、時代の気分に左右されない、人間のつつがない営みを、誠実にみつめた視線の鋭さの方に、心が惹きつけられるのだ。

その証拠に、ひとり湘南へドライブしながら、ユーミンを聴きつつ鮮やかに思い出したのは…、大学時代のクラスメイトとこの曲を聴きながら学校へ急いだ日、リアシートに座っていた友達がくれた〝きのこの山〟が、妙に美味しかったっけ。なんてことだったりしたのだから。
たとえば『サーフ&スノー』のメロディーに、サーフィンが大好きだったボーイフレンドと、海へでかけた時の、渋滞の長さがよみがえったり。『夕涼み』のフレーズに、同級生のクルマを一緒に洗車した夏休みの暑さを思い出したり。『稲妻の少女』を聴きながら、女友達とクルマの中でそれを口ずさんだ、何気ない通学風景を、当時乗っていたクルマのハンドルの感触と共に振り返ったり…。

何を着て、誰とどこへ行ったのか。大筋のストーリーはもちろんのこと、天気や気温や湿度、木漏れ日の色、通りすがりのひとが着ていたワンピースの水玉模様、カフェバーでオーダーした飲み物の炭酸の泡が、喉を刺激した具合…。そうした些細なディテールこそが、ドラマティックなストーリーを成り立たせる名わき役として、居場所を与えられる。

具体的な固有名詞が満載のユーミンの作品には、そういう効果があるのだろうと思う。誰かにとっては単に次代を映す鏡である言葉が、別の誰かにとっては、ふと立ち止まらざるを得ないキーワードになっているはずなのだ。

つまりユーミンは、誰しもが、心の奥底に、輪郭も色も曖昧なまんま存在させている感情や感覚を、固有名詞を駆使した歌の世界を通して、くっきりと言葉にして見せてくれるひと、なのだと思う。くだらないと決めつけていたことが、本当は大切なことだと気づかされたり。つまらないと感じていたことが、実はめちゃめちゃおしゃれで、とびきりハッピーなことだったと、後からわかったり。

誰の手の中にもある、ありふれた日常が、ユーミンの手にかかるとドラマティックなシーンに変わる。裏を返せば、平凡でありふれた人生など、どこにもないのだ、という真実を、ユーミンの歌はあぶり出してくれるのだ。
フツーを自認している大多数のひとにとって、それはちょっとした勇気になる。生きてみて良かった、と感じられるほどの。だからこそ、ユーミンの歌は、大多数のひとが口ずさまずにいられず、世代を超えて受け継がれてもいるのだろう。
そういうユーミンの歌の中には、クルマがしばしば登場する。それも極上の青春ツールとして、だ。
たとえば『埠頭を渡る風』で歌われた通り、カーブにさしかかったのを都合のよい言い訳にして、運転する彼の方へさりげなく、かつ、大げさに、体を傾けてみたこと―きっと女なら誰だってあるだろうと思う。

あるいは『中央フリーウェイ』に歌われた中央高速道を友達と行きながら、府中競馬場とサントリーのビール工場を確認したことも。『カンナ8号線』にあるとおり、カンナの花が植えられた中央分離帯のある環状8号線の砧あたりで、東名高速を行くか、第3京浜にするか、ドライブの目的地を決めあぐねたデートも。

たくさんの仲間と連れ立って『ワゴンに乗ってでかけよう』のように、スキーリゾートへ行ったこと。『海を見ていた午後』に登場する横浜のレストラン「ドルフィン」まで、地図を片手にわざわざ出かけたこと。『よそゆき顔で』を歌いながら、歌詞に登場するセリカを、恋人の乗るクルマの名前に変えて歌ってみたこと…。

疾走感や、どこかへ移動することの非日常感。そういうクルマが持つ性質によって、とぎすまされる感情や感覚。ユーミンのワザによって描かれた、何気ない日常の一部としての、クルマのある生活風景は、よりドラマ性を濃くしながら心にひっかかってくるのだ。ユーミンの曲が、クルマのBGMとして色あせないのは、そんなことも理由のひとつではないかと思えてならない。
そして、今も私は、クルマの中でユーミンを聴いては、平凡な毎日に折り合いをつけ続けている。40代の半ば―体、心、生活、家族、仕事、どんな角度から俯瞰しても、ビミョーという言葉がぴったりな年の頃だなと、この頃、つくづく、しみじみ、思う。ユーミンの歌が欠かせなかった若い時代と、同じくらいのビミョーさ、だ。

いえ、むしろ、あの頃以上に、揺れ動いているような気もする。娘たちもすっかり大きくなって、社会へ飛び立つまでのカウントダウンが始まっている。うわぁ、この可愛い娘たちのご飯をつくらなくて済むようになったら、一体私は誰のためにキッチンに立ち、何のための食事をするのだろう? などと、空の巣症候群予備軍みたいなことを、考えてみたりもする。

そんな揺れる世代だからこそ、この耳に、ユーミンの曲は、若い頃以上に、深く心に刺さっているのかもしれない。切なさ、優しさ、虚しさ、悲しみ、寂しさ…。人生を歩いてきた道のりの分だけ、頭脳明晰、知恵もいっぱい。になっているとは、ちょっと思えないのだけれど、体得した感情は、その種類も幅も深さも、ぐんと量を増している、とは思う。くみ取ることのできる音も言葉も、20年前よりうんと大きく広がっている今なのだから。
▶︎ありふれた日常など、この世に、ひとつもない。ユーミンはそのことを教えてくれる。


2年前の初夏。学生時代からの大親友が、この世を去った。あまりにも突然のことで、私は彼女から届いた最後のメールを消してしまったことを、今も悔やんでいる。確か、誰かの電話番号をたずねるために送ったメールへの返信で、くだんの電話番号と共に、ちょっとした言葉が記されたものだった。「元気? そろそろ、またドライブに行こうよ」。そんな風だったはずだ。あまりにも日常のにおいにまみれた、どこまでもありふれたメールだった。あれが最後のメールになるなんて、本人だって思っちゃいなかっただろうと、今でも思う。

まるで、ユーミンの歌の世界さながらのエピソードだわ。と思ってみたくなるのは、彼女がユーミンの歌を愛してやまず、ユーミンの曲をかけながら、西湘バイパスをドライブするのが大好きだったことと、無関係ではないかもしれないけれど。

2年前の8月下旬、彼女との記憶をたぐりつつ、快晴の海沿いの道をひとり走った。この原稿を書きながら、そのことを思い出していた私の頭上に、ひこうき雲がひと筋の白い尾を描いていった。
ありふれた日常など、やっぱり、この世にひとつも、ない。
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text:岡小百合/Sayuri Oka
大学卒業と同時に二玄社に入社。自動車雑誌『NAVI』で編集者として活躍。長女出産を機にフリーランスに。現在は主に自動車にまつわるテーマで執筆活動を行っている。愛車はアルファロメオ・147(MT)。40代後半にして一念発起し、二輪免許を取得した。
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