特集 F1ジャーナリスト世良耕太のモータースポーツの意義を考える

アヘッド モータースポーツの意義を考える

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20世紀に発展を続けた自動車産業は、競争の歴史も積み重ねてきた。クルマという文化は、レースという実践で鍛え上げられ、より速く、より安全に進化し、より多くの人に移動の快適さを与えていったのだ。現在、レースとは一見関係のないクルマであっても、そのエンジンやタイヤは、モータースポーツと無縁ではない。

text:世良耕太 [aheadアーカイブス vol.118 2012年9月号]

Chapter
モータースポーツの 「過去」と「現在」
ハイブリッドがレースを牽引する
肉体を酷使するレース 持久力と瞬発力が必然
モータースポーツは、 企業の人間力を高める

モータースポーツの 「過去」と「現在」

モータースポーツが日本で本格化した頃、つまり50年ほど前は、まだ国産車が発展途上にあったから、レースで技術を鍛える必要があった。高速道路網の整備は始まったばかりで、100キロで連続走行をする場所などなかったからだ。来たるべき高速時代を迎えるにあたり、サーキットは格好の実験場となった。

時速100キロを超えるスピードで連続走行をするにはエンジンを高回転で回し続ける必要があり、そうすると、耐久性に問題が発生した。車体だっておとなしくしていない。市街地を走っているときには影を潜めていた音や振動がたちまち顔を出し開発者を悩ませた。真っ直ぐ走るだけでも大変なことだったが、曲がろうとした途端にまた別の問題が発生してくる。車体の剛性が足りないと旋回時に不安定になることがわかったし、サスペンションの強度も高める必要があった。

レースに参戦してサーキットを走ると、自動車の質を高めるうえでさまざまな役立つデータが集まった。「大げさ」だと思われるかもしれないが、今日の国産車の基礎づくりにおいて、モータースポーツ活動は多大な貢献をしてきた。

ところが、自動車が進化するにつれ、市販車とモータースポーツは少しずつ距離を広げていった。もはや高速道路をおっかなびっくり走らなければならないようなクルマはなくなったし、どんなに過酷な使い方をしても壊れなくなった。ABSESCといった運動性能を制御するハイテクデバイスはドライバーの技量の差を見えにくくするとしてモータースポーツでは排除する方向だし、事故を未然に防ぐ予防安全の分野も、モータースポーツとは縁遠い存在となっている。市販車の開発で注目されるこれらの技術と縁遠いがゆえに、モータースポーツは市販車との結びつきが薄いように見える。

「レースを一所懸命やったって将来の市販車に何の役にも立たないのではないか」
そう感じたとしても不思議はない。だが、モータースポーツと市販車の技術の結びつきは相変わらずあるし、再び50年前と同じような強固な結び付きになろうとしている。

例えば空力(くうりき:空気力学の略)。F1しかりSUPER GTしかりで、レース車両には例外なく「ウイング」の名を持つ飛行機の翼のようなパーツがついている。このパーツや車体のフロア下を通過する空気の力を利用し、車体を強く路面に押しつけるのだ。そのことによってタイヤのグリップが増し、コーナーを通過するスピードが増す。

市販車の場合、サーキットを走るときのような高速コーナリングとは無縁だが、サーキットで鍛えた空力は役に立つ。時速100キロで走っているということは、秒速27・8メートルという台風並みの強い風を受けているのと同じである。この強い風のエネルギーを利用して走行中の車両姿勢を安定させるのである。かつてF1に参戦していたある自動車メーカーの技術者は、「これから、ウチのクルマはどんどん良くなりますよ」と説明してくれた。「空力が良くなると高速走行時の操安性が良くなるんです」。

そう言って胸を張った。空力といえばこれまでは抵抗を減らして燃費を向上させたり、風切り音を減らしたりする技術として知られていたが、操安性(操縦安定性)に効果のある技術として脚光を浴びるようになってきたのだ。サーキットで磨いた技術は近い未来の市販車にどんどんフィードバックされるようになるだろう。

ハイブリッドもそうだ。十分に成熟した技術のように感じるかもしれないが、時速250キロから100キロまで5秒で減速するような過酷な環境を想定したことはこれまでになかった。こうした環境で現象を解析することによって技術は磨かれ、いずれ我々が手にすることになるハイブリッド車に反映されていく。

モータースポーツ活動と市販車の開発は、ひとつのループの中に組み込まれ、お互いを刺激し、質を高め合っている。その傾向は、現在、ますます強くなっていると言えるのだ。

ハイブリッドがレースを牽引する

ハイブリッドが世界のモータースポーツで勢力を伸ばしている。ハイブリッドとは、ガソリンあるいはディーゼルエンジンとモーターを組み合わせた混合システムのことだ。2種類の動力を組み合わせることで、お互いの弱点を補い長所を生かすことが可能になる。その結果、走りに力強さを与えることができるし、効率が高くなって燃費が良くなるのだ。

そのハイブリッドを世界的なブームにまで押し上げる原動力となったのは、1997年に発売されたト↖ヨタ・プリウスだ。トヨタはハイブリッド車のラインアップを拡充中だが、イメージリーダーであるプリウスが牽引する格好でセールスを伸ばしつづけている。トヨタのハイブリッド車は2012年4月末までに400万台の累計販売台数を突破したが、最初の100万台を突破するのに10年を費やした(2007年に達成)ことを考えると、成長のすさまじさを感じずにはいられない。

プリウスが火を点けたハイブリッド熱に世界のモータースポーツが感化された。そう断言してもいいだろう。日本以外の地域、とくにアメリカとヨーロッパは当初、ハイブリッドを静観していたが、ここにきて動きが見られる。ヨーロッパでは現在、乗用車の新車販売台数のうち過半数をディーゼルエンジン搭載車が占める。短中期的にはガソリンエンジンに比べて効率の高いディーゼルエンジンを進化させることで乗り切り、中長期的にはガソリンやディーゼルに簡易的なハイブリッドシステムを組み合わせて効率向上を狙うビジョンを描いていた。

ところが、ガソリンエンジンとモーターを高度に協調させるトヨタ式のハイブリッドが進化するにつれ、考えを改めざるを得ない状況になってきた。ハイブリッドは大化けし、ヨーロッパのマーケットで主流になる可能性が出てきたからだ。プリウスのような高度なシステムを実用化できなければ、世界のマーケットで遅れをとる可能性が出てきた。今ごろ、ヨーロッパの自動車メーカーは危機感を募らせているに違いない。

先行するトヨタのハイブリッドに追いつくためには、短期間で技術力を高めなければならない。それには、過酷な環境でクルマを走らせるモータースポーツが最適だ。技術を鍛える意味だけでなく、市販車とモータースポーツの技術の結びつきをアピールする意味でも、ハイブリッドは格好の材料だ。レースカーにハイブリッド技術を投入することで、「いずれ市販車に役立つ」活動に取り組んでいることを証明できるからだ。

では、レースでハイブリッドを持ち込むと、何がどう役立つのか。公道を走るハイブリッド車と、サーキットを走るハイブリッド車で異なるのは、止まるまでの時間だ。市販車の場合は通常じわーっとブレーキをかける。ハイブリッド車はこのとき、本来ならブレーキが受け持つ役割の一部をモーター/ジェネレーターが受け持ち、エネルギーを回収してバッテリーに蓄える。じわーっとブレーキを踏むので、電気エネルギーは少しずつゆっくり発生する。

一方、レース車両はのんびり走っていたら勝負にならないので、短時間で減速を済ませる。例えば、時速250キロから100キロまで5秒で減速するといった具合。シートベルトがなければ体を支えられないほどの激しさだ。このときは「じわーっと」などとのんびりしたことは言っていられず、どばっとエネルギーが発生する。既存のハイブリッドシステムは、短時間に発生する大きなエネルギーを効率良く回収できるようにはできていない。だから、その技術をモータースポーツで鍛えようとしているのだ。鍛えて市販車にフィードバックすれば、もっと応用範囲の広いハイブリッドになるし、モータースポーツの世界では必須の「小さく、軽く」を徹底することで車両の軽量化にも結びついて、効率はずっと高くなる。

それが、危機感を抱いたヨーロッパに限らず、ハイブリッド先進国の日本のモータースポーツにおいてもハイブリッドが増殖する背景にある。F1はハイブリッドの一種であるKERS(カーズ)を2009年から導入している。6月に行われたル・マン24時間レースは、アウディとトヨタのハイブリッド対決が注目され、量産車との技術的なリンクよりも「レースで勝つ」ことを優先したアウディに、ひとまず軍配が上がった。ル・マンは最上級カテゴリーにワークス体制で出場するメーカーに対し、「燃費を現在より25〜30%向上させる」ため、2014年からハイブリッド車での出場を義務付けることにした。

日本のSUPER GTでも変化は起きている。GT300クラスにトヨタ・プリウスとホンダCR─Zのボディをまとった車両が現れた。ハイブリッドの技術をファンにアピールすると同時に、過酷な環境で「技術を鍛える」狙いだ。

肉体を酷使するレース 持久力と瞬発力が必然

車載カメラの映像に映るドライバーは、いとも簡単にマシンを操っているように見える。ステアリングの動きはスムーズで、まるでレールの上を走っているよう。テレビゲームがうまい人のプレイに似ている。

レーシングカーは慣れてさえしまえば、誰でも簡単に運転できるのだろうか。答えはノーである。モータースポーツの場合は、陸上競技や球技などのように、肉体の動きを外からダイレクトに感じ取ることはできない。競技相手との視線のぶつかり合いはないし、たとえ鋭い眼差しをしていたとしても、ヘルメット越しに表情を読み取ることは難しい。

だが、間違いなく、レーシングドライバーは他の競技のアスリートと同じように肉体と精神を酷使している。トップカテゴリーのレース時間は1時間半から2時間だが、その間レーシングドライバーはずっと、ハードな運動を続けているのだ。心拍数は緊張からではなく運動のためにずっと毎分160回前後で推移している。その意味で、長距離ランナー並みの持久力が必要と言えるだろう。

マラソンならペースを配分できるが、モータースポーツの場合はスタートからフィニッシュまで常に全力↖を強いられ、一瞬たりとも体力を温存するゆとりがない。100m走の集中力で長距離を乗り切る持久力が求められる。

それだけではない。「ボクサー並みの瞬発力も必要だ」と長年ドライバーのフィジカル面をサポートしてきた専門家は解説する。つまり、瞬時に反応するたくましい筋力も必要。タイヤのグリップ力や空力性能が飛躍的に向上した現代のトップカテゴリーでは、操舵力をアシストするパワーステアリングは必須で、このデバイスがなければ競技は単なる筋力勝負になってしまう。筋力の勝負ではなく技量の勝負にするためにアシスト装置を取り付けているが、必要最小限のアシストでしかなく、相応の筋力は必要だ。スピードを究極のレベルで追求するF1は、空力性能を高めるためにコクピットをスリムにするが、かつて、ドライバーの肩幅よりも狭いコクピットを設計したデザイナーがいた。

ドライバーはどうするのかといえば、腕を前に突き出して肩をすぼめ、運転するのである。当然、力は入れづらくなるが、速さを追い求めるためなので文句は言っていられない。
ステアリングはアシスト付きだが、ブレーキは繊細なフィーリングを必要とするのでアシストなしが一般的だ。SUPER GTの場合、必要な制動力を発生させるのに毎回約100kgの踏力を必要とする。

乗用車の場合は20㎏から30㎏程度で、タイヤがロックするまで踏み込んだとしても50㎏くらいでしかない。レーシングドライバーは腕だけでなく足の力も求められる。

SUPER GTは、箱形のクルマということもあり、夏場は、ドライバーの生命を危険にさらすことになるので、エアコンやクールスーツの装備が欠かせない。だが、人間が剥き出しになるフォーミュラカーにエアコンは、ついていない。吹きさらしだからエアコンなど無用と感じるかもしれないが、エンジンの熱などが伝わるので、コクピット内の温度は平均50℃に達する。その環境で耐火スーツに身を包み、心拍数が200回/分に達するようなハードな動きを一瞬たりとも休むことなく1時間半から2時間続けるのである。

また、忘れてはならないのは、G(重力加速度)の存在だ。乗用車を運転する際も、ブレーキを踏めば体が前に、カーブを曲がれば体が横に持っていかれる、それがGだ。乗用車の場合は「急」がつく操作をしても制動時、旋回時ともに体重相当の力が前方、あるいは左右方向に加わるのがせいぜいだが、レース車両の場合はそれぞれ4Gに達する。

人間の頭部は約7㎏なので、旋回時には28㎏の重りを顔の横に載せた状態になる(ドライバーは首を鍛えるし、ゆえに太い)。からだ全体に掛かる巨大な重力を跳ね返さないと、適正な姿勢を保つことはできない。Gが掛かっている際は脳に酸素が行き渡りづらくなる(意識が朦朧とした状態に陥る)ので、ドライバーは心肺能力を鍛え、大きなGが掛かった状態でも脳に十分な酸素が行き渡るようにしている。

レーシングドライバーはレースがある週末以外はフリーなのではなく、基礎体力を高めるべくトレーニングをしているのが通常(だが、「トレーニングしてるぜ!」と自慢せず、黙々とやるのが彼らの美学)。過酷な環境に耐えられるだけの筋力と持久力がないと、体がもたないからだ。
マラソンランナーの持久力とボクサーの筋力があっても、速く走れるかどうかは別問題だ。戦闘機パイロットのような優れたバランス感覚と素早い状況判断能力が求められる。これはトレーニングで鍛えるには限界があり、だから優れたドライバーとそうでないドライバーが生まれる。

また、シュミュレーション技術が高度に発達しているので、現在は手持ちの車両がサーキットを何秒で1周できるのかをかなり正確に計算で導き出すことができる。だが、ときにその数値を超えてみせるのが一流のレーシングドライバーだ。踏力や握力といった数値では評価することのできない、人間の特別な能力が「速さ」や「強さ」の根源にあるのだ。

モータースポーツは、 企業の人間力を高める

一部の人たちにとって、モータースポーツ活動は「お遊び」に見えるようだ。ときに、モータースポーツ活動を行う企業の別の部署の人たちからもそう見えるようで、「あいつらは会社の金で遊んでいる」ように見えるらしい。本当にそうだろうか。

筆者はそうは思わない。好きなことに打ち込んでいる姿が楽しそうに見えるのは当然だ。楽しんだ挙げ句に「あぁ、楽しかった」で終わってしまえば会社に何の利益ももたらさないが、多大な利益をもたらすのがモータースポーツ活動だ。

市販車がモデルチェンジするサイクルは短くて4年だから、開発に携わるエンジニアが自分のした仕事に関して客観的な評価を受けるのは4年ごとである。近年はモデルチェンジのサイクルが長くなる傾向にあるので、評価を確認するのにもっと辛抱強く待たなければならない。
「このクルマのここはオレがやったんだ」とはっきり言えるような仕事に携わっているならまだ幸せだ。効率化を推し進めた裏返しで技術の細分化が進み、自分が携わった業務がどこに役立っているのか、はっきりとした自覚がないまま過ごしている技術者も多いことだろう。その場合、モデルチェンジした新型車を見て「自分はこれをやった」と誇らしげな気分になったり、愛着が沸いたりするのだろうか。

モータースポーツの場合はシンプルでスピーディだ。シリーズ戦の場合は早くて1週間、インターバルが空いてもほぼ1ヵ月で結果が出る。結果とはすなわち「勝ち負け」だ。与えられた命題に対する答え合わせが1週間から1ヵ月のインターバルでやって来て、たいてい落第して帰ってくるのだ。たまに合格点をもらえることもあるが、だからといってその次の試験(レース)で及第点をもらえる保証はなく、だから研究開発の手を緩めることはできない。

次の試験がすぐにやって来てしまうので落ち込んでいるヒマはなく、急いで打開策を考える必要がある。そのプロセスを通じて、役に立つアイデアと無駄な取り組みに対する選択眼が育つ。有益か無益かを瞬時に判断できなければ、あっという間に試験日を迎えてしまうからだ。
モータースポーツの場合、自分の専門分野だけに集中したのでは不十分。エンジンの動弁系が専門であっても、エンジン全体は言うに及ばず、シャシーや空力の開発部門と協調しなければ結果に結びつかない。レースに勝つということは結局のところ総合力であり、特定の技術だけ優れていても効果が薄いからだ。

そういう開発に身を置いていると必然的に車両全体について明るくなる。市販車の開発に携わるエンジニアからはときどき「それは私の担当外なので答えられません」という返答を受けることがあるが、モータースポーツに携わるエンジニアから、そんな言葉は聞いたことがない。
ごく短期間に成果が求められるモータースポーツに携わると、技術者は技術を早くモノにする仕事の進め方が身につく。早くモノにするには、自分ひとりがしゃかりきになってもだめで、社内外の組織を効率的に動かす必要があり、そのプロセスを通じてコーディネート能力が身につく。そうしてモータースポーツで鍛えられたエンジニアが市販車開発部門に移ると、モータースポーツで身につけた仕事のやり方で業務に取り組むから、早く、効率的に、優れた技術を実用化することができる。

モータースポーツ活動を通じて鍛えた特定の技術が市販車に生かされるのは、もちろんである。それよりも、モータースポーツ活動を通じて技術者自身が鍛えられる。モータースポーツは人を育てるのだ。ひとまわりもふたまわりもたくましくなった技術者が市販車開発部門に戻ることによって結果的に、優れた市販車を生み出していく。

優秀な技術者を育成する有益な企業活動として、モータースポーツ活動は機能している(積極的に機能させるべき、とも言える)。景気が悪くなると真っ先にモータースポーツ活動を縮小する動きが出てくるが、会社を立て直すなら何よりもまずモータースポーツ活動に力を入れるべきだ。社内外の組織を巻き込んで効率的に、短時間で優れた技術をまとめられるスペシャルな技能を持った技術者が育つのだから。
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text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/
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