Araiヘルメットが伝えてきたこと

ahead アライ

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ベッテル、バトン、ハミルトンなど多くのF1ドライバーをはじめ、ペドロサやヘイデンといった、モトGPライダーからも絶対的な信頼を受けているのが、埼玉県大宮市に本社のある「アライヘルメット」だ。

text:伊丹孝裕 [aheadアーカイブス vol.112 2012年3月号]
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Araiヘルメットが伝えてきたこと

Araiヘルメットが伝えてきたこと

日本国内でヘルメットの着用が義務化されたのは'65年からであるが、アライはヘルメットがまだファションに過ぎなかった頃から、その有用性を説き、JIS規格の制定に参加するなど、安全意識に対する基礎を作ってきたパイオニアでもある。
 
その頃、ヘルメットメーカーとして唯一ブランドが確立されていたのはアメリカのベル社くらいだった。'70年代に入り、モータリゼーションの発達とともにアライの製品を手にするユーザーは増えたが、そのロゴの上に“BELL”のステッカーを貼る。そんなユーザーも後を絶たなかったという。品質には自信がある。

しかし、世の中にそれを知らしめるにはどうしたらいいか。そんなジレンマの中、アライが打ち出したのが“アライニュース”という新しい広告スタイルだった。

「広告というのは自社製品の宣伝を自社で作るもの。ある意味、自作自演ですからユーザーは核心部分が分からなかったりします。

そのため、我々がまず積極的に行ったのはレース活動です。ドライバーやライダーに製品を使ってもらい、安全性や信頼性を引き上げていきました。

それは国内だけではなく、アメリカなど海外でも同様です。そうした我々の活動をユーザーの方々に知ってもらうには、ニュースとして流せば届きやすいだろう、と。それが'77年3月から雑誌に掲載し始めた“アライニュース”の始まりなのです」と、同社の専務・原田重行さんが語ってくれた。
 
“ニュース”とは、その名の通り、“新鮮”な情報を客観的に正しく報道すること。アライが斬新だったのは、その前提に極めて忠実なことで、例えば、絶対曇らないと自信があったシールドを星野一義選手にテストしてもらったところ、たった2周で突き返されたエピソード('78年11月)などを率直に掲載したことだ。
 
他の広告と異なり、とにかく情報がリアルなのがアライニュースの特徴。雑誌でも知り得ない選手の声や海外のレースシーンを広告を通して知ることができたのだ。
 
原田さんは入社して間もない'82年頃からこのニュースを担当。以後、「自分達が信じるものは他には負けない」という強烈なメッセージが散りばめられていく。こうしたニュースの数々は現在も続けられ、いわば思いの詰まった社史そのもの。「ヘルメットで人が救えるんだ」というアライの誇りそのものなのである。
アメリカでの実例を紹介しながら、ヘルメットの着用義務の賛否を問う。(1980年5月号)
アライレーシング留学制度を設け、ロードレースライダー育成に努めてきた。この号では、レースの世界を志すライダーに、心構えを説く。(1983年4月号)
事故に遭い、アライのヘルメットに命を救われたアメリカのライダーからの手紙を掲載。ヘルメット選びの重要性を訴える。(2007年10月号)
頭部を保護するギアとして、ヘルメットをどう選べばいいのかを紹介。(1989年7月号)
ロードレース世界選手権250ccクラスで活躍する原田哲也選手の活躍を紹介し、エールを送る。(1999年2月号)
スネル規格が新たに改正されたことを受け、その変更内容を紹介。(1990年4月号)
アライニュースは同社のホームページで過去の記事を含めて閲覧することができます。
http://www.arai.co.jp/jpn/top.html
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text : 伊丹孝裕/Takahiro Itami

1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
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