マツダ ルーチェが「広島のベンツ」と呼ばれた理由

マツダ ルーチェ 5代目

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マツダ ルーチェは、1966〜1995年までマツダが製造・発売した乗用車です。時代に合わなかったためなのか、世代ごとにデザインが大きく変わっていました。「広島ベンツ」と呼ばれることもあった不遇のモデル、マツダ ルーチェを振り返ってみましょう。


Chapter
マツダ ルーチェとは?
5代目ルーチェ、メーカー自ら「日本のベンツを公言」
センティアにバトンタッチ

マツダ ルーチェとは?

マツダ ルーチェは1966年に初代が登場。1995年(一般向けは1991年)まで販売されたマツダの上級モデルです。数々の斬新な機能やデザイン、装備でも話題になりました。

初代ルーチェは、当時ベルトーネに在籍していた、ジョルジェット・ジウジアーロ氏がデザインを手がけた美しいラインが特徴(画像はエンジン排気量をアップしたモデルでボンネット上にエアスクープが追加されています)。1969年には、クーペモデルがラインナップに追加されています。

しかし販売は振るわず、2代目ではアメリカ路線に大きく変更。さらにセダン、ハードトップともに4ドアとなった3代目では、縦目4灯のヘッドライトを採用(4ドアセダン)するなど、当時のアメリカの流行を取り入れたデザインとなっていました。

4代目はコスモとデザインを共有化し、世界初のロータリーターボエンジンを搭載。そして1986年〜1991年まで販売された5代目はメーカー自ら「広島のベンツ」と公言するほどの高級感たっぷりの車になっていました。

初代ルーチェ

2代目ルーチェ

3代目ルーチェ

4代目ルーチェ

5代目ルーチェ、メーカー自ら「日本のベンツを公言」

5代目ルーチェは、コスモと分離され、全体的に大人しめで上品な日本人好みのスタイルに一新されました。

日本のメルセデス・ベンツを目指したという5代目は、そこかしこにメルセデス・ベンツのエッセンスを見て取ることができます。

とくに、ハードトップモデルのグリル周りやボンネットマスコット、ボディ下部の樹脂パネル、Cピラーまわりなどに、当時のメルセデス・ベンツの影響が見て取れます。そんなパッケージは、いつしか「広島ベンツ」と呼ばれるようになります。

しかし、5代目ルーチェの大きな特徴は、スーパーモノコックボディです。先代に比べて圧倒的な高剛性を達成。とくに動的剛性は、先代に比べて約5割向上。海外市場もターゲットにしていたマツダらしい発想です。

5代目ルーチェのエンジン

5代目ルーチェのエンジンは、4種類が用意されました。メインは高級車にふさわしいV型6気筒で、ロータリーと4気筒はおまけ的な扱いでした。

このV6エンジンは、当時はまだ3ナンバー車の税金が高額だったことから排気量は2.0L。後にロイヤルクラシックという最上級グレードが追加され、3.0L版が設定されました。

・V6 2000 110ps/5,500rpm 17.1kgm/4,000rpm
・V6 2000 ターボ 145ps/5,000rpm 23.5kgm/2,500rpm
・直4 2000 82ps/5,000rpm 15.2kgm/2,500rpm
・13Bロータリーターボ 180ps/6,500rpm 25.0kgm/3,500rpm

5代目ルーチェにはデジタルメーターも存在

5代目ルーチェの上級グレードには、当時としては新しかったデジタルメーターが採用(ロイヤルクラシックに標準装備)されていました。メーター部が横長なのが特徴。盤面が黒ではないことから、いま見るとやや古風な印象があります。

こちらはデンソー製ということもあって、燃料計の拡大表示やツイントリップなど、トヨタ車のデジタルメーターに似た部分もあります。2段式タコメーターが印象的です。

後期型ではスピード表示に影が付けられて強調されたデザインとなるなど、少しだけデザインが改良されました。

センティアにバトンタッチ

最後のルーチェは発売当初こそ好調だったものの、翌年には記録的な販売台数となった8代目クラウンが登場。さらにセドリック/グロリアのフルモデルチェンジも重なって、販売が落ち込んでしまいます。マイナーチェンジで3.0Lモデルを追加するも、1991年に販売を終了しました。

ルーチェの名前はここで消え、マツダのフラッグシップは、さらに大型化したセンティア/アンフィニMS-9に譲ります。

ちなみに1991年に一般向けのモデルが終了してからも、タクシーや自動車教習車向けの4ドアセダンは生産が続けられていましたが、こちらも1995年12月に強化された安全基準に適合できないなどの理由で生産を終了しています。
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