ひこうき雲を追いかけて vol.43 クルマ軸

アヘッド 景色

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先日、知り合いのカメラマンが「仕事で自分と同じ機種の、別のカメラで撮影することがあったんですけど、同じカメラなのに全然違うんですよね。思うように撮れなくてイライラしてしまいました」と言うのを聞いて、「なんか分かるなあ。クルマだって、同じ車種でも自分のと試乗車だとやっぱり違うものね」

text/photo:ahead編集長・若林葉子 [aheadアーカイブス vol.159 2016年2月号]
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vol.43 クルマ軸

vol.43 クルマ軸

そんな話をしたすぐ後に、また別の知り合いから、彼の趣味である万年筆の話を聞いた。「ものすごく高価な万年筆を触らせてもらう機会があってね。キャップを取って、また嵌めた瞬間、驚きました。すっと吸い込まれてピタッと収まるその具合。素晴らしいんですよ」 

思わず、「クルマもそうですよね。ドアを閉めたときの感触で良し悪しが分かるってことありますよねー」そう答えて、はた、と気づいた。いつの間にかクルマを軸にものごとを考えるようになっている、と。

機械にはめっきり弱いが、パソコンのスペックで、「CPUがクルマで例えるとエンジンのようなもので」と言われると「ほー」と納得するし、この間など、デパートで、一粒ダイヤが幾つか並んだネックレスを見て、「きれい。DS3のデイライトみたい」と思ってみたり。

エスプレッソメーカーを探していて、日本製とイタリア製のどちらにするか迷ったときには、自分の中にある日本車とイタリア車の違いを基準に選んだりもした。

そうは言っても、私はマニアではない。マニアではないが、10年という長いか短いかも分からない月日を、好きか嫌いかも分からないまま、来る日も来る日もクルマの情報を扱い、クルマに乗り、クルマのことを考えているうちに、自分の中心にクルマがどん!と居座るようになってしまったのだろうと思う。

昔は、モノに対する男性特有の偏執狂的とも思えるほどのこだわりに辟易していた節もあるが、この世界にはそういうオトコたちがたくさんいて、そういうオトコたちの中にはいい仕事をする人も多い。だから、今は呆れつつも、敬服するようになった。この仕事をしなければ、男女の本質的な違いについて受け入れたり、理解したりすることはついぞ、なかったに違いない。

いろんな人が言っていることだが、クルマというやつは守備範囲がとにかく広い。機械であり、産業であり、文化であり、スポーツであり、デザインであり、芸術であり。クルマを通して語られるものは、国という大きなものから、人の人生や男女の違いといった細部にまで及ぶ。思考のツールとして見ると、案外、クルマとは便利なものなのかも知れない。

もちろん、それはいいことばかりではないはずだが、いずれにしても、否応なく、クルマが自分の思考に影響を及ぼしているのは間違いなく、仕事とは恐ろしいものだと思う今日この頃である。

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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。
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