伊丹孝裕のリベンジPIKES PEAK(パイクスピーク)への挑戦

アヘッド 伊丹孝裕のリベンジ

しかし、結果は転倒によるリタイヤ。頂点どころか最下位という辛酸を舐めた。

そもそもパイクスピークに挑もうと思ったきっかけは、長らくダートが主体だったコースの舗装化が年々進み、'12年にはついに全面的にアスファルトが敷かれたことだ。つまり、サーキット上がりのライダーにも大きな可能性が開けたことを意味し、そういう物理的な条件が参戦へと駆り立てたのである。

ただし、これ自体は最後のひと押しのようなもので、もっと根っこにある本当のきっかけは「その地での先駆者でありたい」という思いだ。

もちろんパイクスピーク自体はすでに'98年もの歴史を持ち、過去も現在も、ライダーもドライバーも問わず数多くの日本人が参戦。4輪部門で過去7度もの優勝経験を持つモンスター田嶋こと田嶋伸博選手を筆頭に、輝かしい歴史を作ってきたことはよく知られている。しかし、こと2輪部門に関して言えば、優勝を果たした日本人はいないのだ。

だからこそ、もし自分がそこに立てるなら…。そう思うと居ても立ってもいられなくなり、即座に参戦に向けて動き出した。'12年の冬のことである。

人生のうちで世界の頂点を目指せるチャンスなどそうはない。それがぼんやりでも目の前に広げられているのだから、これを素通りすることなどできなかった。もしそうすれば後々絶対に後悔すると強く感じ、同時に、誰よりも先に今自分がやらなければ、というアセリも覚えていたのだ。

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俗物的に言えば目立とう精神かもしれないし、大仰めいて言えば存在意義のようなものかもしれない。前号で少し触れたが、いずれにしても自分の年齢を考えると、レーシングライダーとして残された時間は極めて少なく、いつどうやってその終わりを迎えるのかを考えた末、パイクスピークにその時を見つけるのがふさわしいのではないか。そういう結論に至ったのだ。

そう思うようになった理由のひとつに、松下ヨシナリのことは外せない。2輪ファンならずともご存じの方が多いだろうが、松下は昨年5月、マン島TTのプラクティス中にクラッシュし、そのまま命を落とした。

一方、これは今となってはあまり知られていないが、そもそも松下と僕は'07年にチームを立ち上げ、ふたりでマン島TT参戦に向けて動き出したのだ。その時のチーム名は「CLUB TROFE(クラブ・トロフェ)」という。TROFEとは「TT Riders of Far East」の略とし、「極東からTTレースを目指す者たち」という意味とその実現を願ってつけたものだった。

このチームがちょっと変わっていたのは、車両やスタッフ、参戦するレースなど、なにひとつ共通・共有するものがなく、あくまでも「いつかマン島TTに出る」という精神的なつながりをチームの基盤にしていたことだろう。それゆえ、そこに至るためのプロセスにはお互い干渉せず、たまに近況報告と情報交換をし合う程度。実際、目指す方法もスタンスもまるで異なっていたが、結果的に'09年に松下が、'10年に僕が初参戦を果たし、ともに初期の目標を達成することができたのである。その意味で、このユニットは大成功したと言えるだろう。

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そんな僕と松下を、近しい幾人かは「静と動」もしくは「陰と陽」に例えたが、だからこそ上手くやれていた反面、当然決定的に合わないところもあり、時折些細なもめ事やストレスの種を抱えることになった。とはいえ、そういうものをすべてひっくるめて互いに刺激を受け、与えていた仲だったのだ。

ただし、一度だけ互いの利害がまともにぶつかったことがあった。ある年のあるレースで、僕が乗る予定になっていた車両に急きょ松下が乗ることになったことが原因だ。それまでは近しいところにいても互いのテリトリーはうまく避けていたこともあって、降って湧いたようなその話はまさに晴天の霹靂だった。当時の心の内を素直書けば「松下にシートを取られた」と思ったし、松下にしてみれば「自分が選ばれた」ことを受け入れたに過ぎなかった。

そこに至った周辺事情を繋ぎ合わせていけば、松下に否があったわけでも、ましてなにかを画策したわけでもなく、メーカー側にとってもやむを得ない状況だったことは分かったものの、以来、なにかの歯車が欠けてしまったように僕はマン島に戻るチャンスを作れず、一方で松下は着々とTTライダーとしてキャリアを積み重ねていった。そこでの彼の輝きは、おそらく皆さんもよく知る通りだ。

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マン島への後ろ髪がないと言えば無論嘘になる。

しかし、今こうして目の前にあるパイクスピークを自分のリスタートの場に決め、その結果をなんらかの形で残したい。いつかそれができた時、マン島TTライダーとして認められつつあった松下に抱いていた複雑な思いが、本当のリスペクトに変わるのだと思う。

パイクスピークでの表彰台がいつ実現できるのか。この号が出る頃にはとっくに結果が出てしまっているが、その経過はまたあらためて報告したい。

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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。

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