Rolling 40's vol.48 反アンチエイジング

Rolling

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デカいバイクに乗っていると、若いですねとか、元気ですねと言われることがある。それは大間違いだ。ヘルメットは脱毛を促進し、長距離を走った後は腰が曲がっている。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.118 2012年9月号]
Chapter
vol.48 反アンチエイジング

vol.48 反アンチエイジング

きっと乗るたびに半年くらいずつ寿命を削っていると思う。しかし歳を重ねるほどにバイクが楽しくなってくるのだから困ったものだ。

44歳を半分過ぎ、泣いても笑っても折り返し地点は過ぎ去っている。自らを振り返ると良いことと悪いことは「半々」ぐらいだと理解し始めた。その割合は全体比からしたら相当幸せな部類であるとも分かっている。御の字というやつだ。

そんな立ち位置の私は、色々な物を歳相応に得てもいるが、同時にハッキリと大きな物をそれ以上に失い始めている。多岐にわたる喪失物は、物質的なもの、肉体的なもの、精神的なものと枚挙にいとまがない。

最近25年くらい前の写真を見て心底驚愕した。そのフレームの中で笑っている私に感じたことは、失った若さというよりも、男の子を授かっていたらこんな子供だろうなというものだった。ちなみに実在する長女とその写真の自分は3歳しか違わない。当然であろう。

同年代の仲間同士で大酒を飲むと、ボーイズトークはおのずとフルコースとなる。

「①仕事の会話→②不景気→③捨てきれない夢→④品性下劣系→⑤健康」

①~④は多少の順番の入れ替わりあるものの、最後に⑤が必ず来る。ちなみに若い時はそれらと全く趣が違っていたはずだ。

「①夢⇄②品性下劣系」

この二つのみが繰り返されるだけだったはずだ。再生と破壊のみが繰り返される純粋世界。健康についてなど誰も口にもしなかった。その変わり様に自ら恐怖したときもあったが、ここ数年は、私はもう完全に諦めている。勘違いしないでほしい、諦めるということは反対に肉体的健康を強く意識しているということだ。

若さの泉が枯れ果てたことを受け入れ、健康を意識した食生活や生活習慣、適度な運動などを嫌々ながら受け入れているということだ。年寄り臭い言葉を羅列してしまったが、若さの泉が枯れ果てたことを知ったということは、反対に新しい「泉」を掘り始める切っ掛けだと思っている。

考え方の違いだ。30代、その枯れやすい泉に頼り過ぎていたと気が付いたのだ。そこから自由になれた今、やっと次の泉を掘り当てたような気持ちになっている。

「老人力」という言葉が少し前に流行ったが、「中年力」というようなものなのかもしれない。10代から20代への弾けるようなエネルギー感の残像に縛られ過ぎていた30代とやっと決別できたということだ。遥かに冷静で虎視眈々とした視点で物事を見られるようになった。

そういう変化を極端に嫌う仲間もいる。いつまでも昔と何も変わらぬままでいようと、行動や服装まで、執拗なまでに若さを意識し続ける。年寄りじみるよりか幾分か良いとは思うが、そんな輩がとても「痛々しく」感じられるときがある。

どんなに若作りしても、化粧を重ねても、本当の若さは再現できるはずもなく、中年女性がセーラー服を着ているかのように、どこか妖怪じみた奇怪なものになっていく。

犬を飼い、その終生を供にすると分かることがある。犬の一生は短く、故に人間の一生よりも色濃く成長と老年変化が見られる。生まれてほぼ一年で成犬になり、7歳くらいである転機を迎える。今まで当たり前のように飛び越えていた段差に引っ掛かったり、それを飛び越すことを嫌がるようになる。犬の1年は人間の7年くらいと言われるので、ちょうどその年齢が人間でいうところの50歳あたりだ。

「半年前まではあんなに元気だったのに…」しかしその半年は人間でいうところの40代前半と50代の体力の差があるのだ。7倍の速さで老いていく犬の姿に、私は人間の一生を重ねてしまった。7倍とはいえ、きっと自分の一生もそんなものである。抗うよりもその時間をどう受け入れるかの方が大事なはずだ。つまり、抗っているような暇自体がないのだ。

今の自分に興味を持たず、昔の自分の再現ばかりに終始していては、反対に老化を早めるようでもある。数年前にとあるバイクメーカーが、バイクに乗っていると「若返る」という科学的データーを発表した。笑止千万。「乗れば」若くなるのではなく、若さがあるからバイクなどという不条理なものに「乗る気」になるのである。

また私たちバイク乗りは、抑えきれない何かを確かめるようにバイクに跨る。何かを得ようなどとは思ってもいない。ましてや若さの泉を求めるなど噴飯ものである。販売促進のための提灯記事とは分かっていたが、そんなことも分からずバイクを作っているのかと文句を言いたくなった。

どんなに屁理屈を並べても、バイクなんてものは「愚の骨頂」なのだ。自分の子供には絶対に乗ってほしくない。こだわり続けているのは青春や若さへの渇望ではなく、今の自分と激しく向き合うためだ。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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