ランボルギーニ イオタに関する3つのミステリー
更新日:2024.09.09
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1969年に発売されたランボルギーニ イオタ(表記時には「J」と書くこともある)は2つの意味で有名です。1つはミウラで世界的に話題を集めたランボルギーニが生産したスポーツカーであること。もう1つはスーパーカー屈指のミステリアスな車であることです。
今回は後者に注目してイオタの謎に迫ります!
今回は後者に注目してイオタの謎に迫ります!
イオタの謎①そもそも、本当にイオタは存在したのか?
1966年から1973年まで販売されたミウラは、ル・マン24時間耐久レースで活躍していたフェラーリを意識して開発されたスポーツカー。軽量化を突き詰め、美しいボディを持ったミウラは元祖スーパーカーとして世界中で話題になりました。
そして、そのミウラが発売された後、1969年に現れたのがイオタでした。
イオタはミウラを元に製作されたと言われています。開発者は当時、車両設計で中心的な役割を担っていたボブ・ウォレス氏。そのことから、イオタは車内で「ボブのおもちゃ」と呼ばれていたようです。
このように、イオタはオリジナルの車ではなく、ミウラの改造車だと考えられていました。
しかし、2008年に出版された福野礼一郎氏の著書によると、イオタはパワートレインやシャーシ部分の一部を除いて、完全にオリジナルであるそうです。
因みに、開発者である等のウォレス氏は「何で改造車ということになっているんだ?」と疑問に思ったそうです。笑
そして、そのミウラが発売された後、1969年に現れたのがイオタでした。
イオタはミウラを元に製作されたと言われています。開発者は当時、車両設計で中心的な役割を担っていたボブ・ウォレス氏。そのことから、イオタは車内で「ボブのおもちゃ」と呼ばれていたようです。
このように、イオタはオリジナルの車ではなく、ミウラの改造車だと考えられていました。
しかし、2008年に出版された福野礼一郎氏の著書によると、イオタはパワートレインやシャーシ部分の一部を除いて、完全にオリジナルであるそうです。
因みに、開発者である等のウォレス氏は「何で改造車ということになっているんだ?」と疑問に思ったそうです。笑
イオタの謎②イオタは何台存在したのか?
イオタの生産台数については「1台説」が有力ですが、「4台説」や「8台説」もあります・・・
というのも、いくつかの部分でイオタがミウラを元にしているためミウラ⇒イオタの改造がしやすく、ミウラをイオタに改造したレプリカがたくさんあるからです。
ミウラよりもイオタの方が価値があるため、販売目的でミウラをイオタに改造する人もいたとか。また、オリジナルのイオタは焼失してしまったという説もあり、今この世にあるのは全てレプリカの可能性もあります。
というのも、いくつかの部分でイオタがミウラを元にしているためミウラ⇒イオタの改造がしやすく、ミウラをイオタに改造したレプリカがたくさんあるからです。
ミウラよりもイオタの方が価値があるため、販売目的でミウラをイオタに改造する人もいたとか。また、オリジナルのイオタは焼失してしまったという説もあり、今この世にあるのは全てレプリカの可能性もあります。
イオタの謎③「イオタ=J」という名前の由来は?
「J」は当時のFIA(国際自動車連盟)の競技規定 付則J項に由来します。(モータースポーツの分類と定義に関する規定)
そのため、イオタの実験車両は「J」(開発コードのようなもの)とされました。
そして、そのJをギリシャ人エンジニアが「イオタ」と呼んだのが由来だと言われています。(ギリシャ語のアルファベットでは「I」が「J」も兼ねていて、「I」は音読みすると「イオタ」)
しかしながら、これに関してはスペイン語の「J」がホタという発音であることや人物名に由来するなど諸説ある状況です。
そのため、イオタの実験車両は「J」(開発コードのようなもの)とされました。
そして、そのJをギリシャ人エンジニアが「イオタ」と呼んだのが由来だと言われています。(ギリシャ語のアルファベットでは「I」が「J」も兼ねていて、「I」は音読みすると「イオタ」)
しかしながら、これに関してはスペイン語の「J」がホタという発音であることや人物名に由来するなど諸説ある状況です。
生産台数、オリジナルの行方、名前の由来など様々なミステリーに包まれているイオタ。しかし、謎があるからこそ現在でもイオタの人気は高いのではないでしょうか?