RX-7(FD3S)を走らせないのはスポーツカー殺し!?
更新日:2020.01.06

最後のマツダ RX-7(FD3S)の生産が終了してから今年2017年で15年が経ちます。法律で定められた部品保管期間はとうに過ぎ、部品供給はメーカー次第になっています。それでもなお、RX-7は走らせた方がいい。なぜかと言えば、走るために生まれてきたからです。
ピュアスポーツは置き物でも飾り物でも無い!
そんなRX-7に対し、最後のモデルであり一番新しいFD3S型にさえ、「もう走らせない方がいい、もったいない」などと信じがたいことを言って、引導を渡そうとする人もいます。
燃費が悪くてスポーツカーとしても経済性が悪い、壊れたら部品が出ない、今となっては高性能でも無いのだから過去の遺物だ、と言うのです。車庫の奥でホコリを被せたり、博物館の一等地にでも飾れということでしょうか?
RX-7は、初代のSA22Sから一貫してピュアスポーツ。たとえコンビニに買い物に行くのでも、子供を幼稚園に送るのでも、走るかぎりはピュアスポーツなのです。
ただ人や荷物を運ぶだけで無く、そのステアリングを握るだけでドライバーをワクワクした気分にさせ、辛い時にはそのアクセルを踏み込んでいる間は、嫌なことを置き去りにしてくれる、そんな特別なクルマがピュアスポーツなのです。
エンジンに火が入る事も無く、死んでしまったピュアスポーツには、美しいデザインで見る人を魅了したとしても、本当の魅力を伝えることは決してできません。
だからFD3Sは、RX-7は、ロータリーマシンは、そしてすべてのピュアスポーツは走らなければいけない。そのために生まれてきたのですから。
燃費が悪くてスポーツカーとしても経済性が悪い、壊れたら部品が出ない、今となっては高性能でも無いのだから過去の遺物だ、と言うのです。車庫の奥でホコリを被せたり、博物館の一等地にでも飾れということでしょうか?
RX-7は、初代のSA22Sから一貫してピュアスポーツ。たとえコンビニに買い物に行くのでも、子供を幼稚園に送るのでも、走るかぎりはピュアスポーツなのです。
ただ人や荷物を運ぶだけで無く、そのステアリングを握るだけでドライバーをワクワクした気分にさせ、辛い時にはそのアクセルを踏み込んでいる間は、嫌なことを置き去りにしてくれる、そんな特別なクルマがピュアスポーツなのです。
エンジンに火が入る事も無く、死んでしまったピュアスポーツには、美しいデザインで見る人を魅了したとしても、本当の魅力を伝えることは決してできません。
だからFD3Sは、RX-7は、ロータリーマシンは、そしてすべてのピュアスポーツは走らなければいけない。そのために生まれてきたのですから。
偉大なる「無駄」こそが、人を興奮させる
RX-7は、もっとも新しいFD3Sでさえも「無駄」だと考えます。ロータリーエンジンは、不経済そのもの。しかし、それでいいのです。
何もかも効率を良くすれば、結局は1番機能性に優れた形に、すべての製品が集約されて行くでしょう。しかし、そうやって誰もが同じようなクルマに乗る社会は、優れた文化と呼べるでしょうか?
「無駄を楽しむ余裕」があってこそ、味わいというものが出てくるのでは無いでしょうか。
だからこそ、走り続けてほしいのです。どこかに閉じ込めて、飾りにしてほしくないのです。
燃料を入れて、スターターを回し、プラグが点火して爆発燃焼とともにローターが回り続けることができる限り、どこかに閉じ込めずに、いつまでも現役で走り続けて欲しい。いまだにレースや各種モータースポーツで、多くのFD3Sが現役で走っています。
なるべく長く、いつまでも走り続けてほしいと思います。
何もかも効率を良くすれば、結局は1番機能性に優れた形に、すべての製品が集約されて行くでしょう。しかし、そうやって誰もが同じようなクルマに乗る社会は、優れた文化と呼べるでしょうか?
「無駄を楽しむ余裕」があってこそ、味わいというものが出てくるのでは無いでしょうか。
だからこそ、走り続けてほしいのです。どこかに閉じ込めて、飾りにしてほしくないのです。
燃料を入れて、スターターを回し、プラグが点火して爆発燃焼とともにローターが回り続けることができる限り、どこかに閉じ込めずに、いつまでも現役で走り続けて欲しい。いまだにレースや各種モータースポーツで、多くのFD3Sが現役で走っています。
なるべく長く、いつまでも走り続けてほしいと思います。