スカGと共に伝説を作った「904カレラGTS」を徹底解説
更新日:2024.09.09
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1963年に発表されたポルシェ904カレラGTS。レーシングカーとしての生い立ちですが、ホモロゲーションを取る意味合いもあり、100台以上生産され公道も走れるヒストリック「スーパースポーツカー」として知られています。日本のクルマ文化ともゆかり深いこの一台に触れてみましょう。
コンセプトは「サーキットへ自走していけるスポーツカー」
ポルシェ904は「サーキットを走るため」ポルシェが開発したスペシャルモデル。現在でいうところの「カレラGT」あるいは「ポルシェ918スパイダー」のご先祖といえるモデルですね。ホモロゲーションを獲得するために製作もされているので、公道も走れるモデルが市販されています。
貴重な走行動画がUPされていますが、これは6気筒のモデルなのだとか。ボクサー独特のエンジン音で走り去る姿は時を超えても美しく、またどこか未来的でもある、不思議な魅力を感じてしまいますね…。
優れたデザインと走行性能
パワーユニットは当初は4気筒モデルでしたが、その後6気筒、8気筒と進化していきます。
初期モデルはDOHC水平対向4気筒1,966ccエンジンを搭載、180PS/7,200rpm、20.5kgm/5,000rpmを発揮。優れた空力と、軽量ボディ(650kg!)も相まって、最高速度は260-262km/hを記録したそうです。
エキゾーストを公道仕様へと躾けたモデルでも、155馬力/6,900rpm、17.2kmg/5,000rpmを発揮、最高速は250kmを発揮したそう。現代の感覚でも優れた運動性能といえますが、繰り返しますが、このモデルは1963年に作られたものなのです。
シャーシは箱型断面の鋼板プレス製ラダーフレームを採用、そこにFRP製ボディを接着させています。このデザインは「フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェ氏」が担当しており、航空機メーカーのハインケルが製造したとされています。その甲斐あってか、わずか650kgの軽量ボディとCd値0.34を実現しています。
そういえば、どことなく航空機の香りがするデザインでもありますよね。
初期モデルはDOHC水平対向4気筒1,966ccエンジンを搭載、180PS/7,200rpm、20.5kgm/5,000rpmを発揮。優れた空力と、軽量ボディ(650kg!)も相まって、最高速度は260-262km/hを記録したそうです。
エキゾーストを公道仕様へと躾けたモデルでも、155馬力/6,900rpm、17.2kmg/5,000rpmを発揮、最高速は250kmを発揮したそう。現代の感覚でも優れた運動性能といえますが、繰り返しますが、このモデルは1963年に作られたものなのです。
シャーシは箱型断面の鋼板プレス製ラダーフレームを採用、そこにFRP製ボディを接着させています。このデザインは「フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェ氏」が担当しており、航空機メーカーのハインケルが製造したとされています。その甲斐あってか、わずか650kgの軽量ボディとCd値0.34を実現しています。
そういえば、どことなく航空機の香りがするデザインでもありますよね。
GT-Rとの因縁を作ったクルマ…
1964年5月に鈴鹿サーキットにて行われた「第2回日本グランプリ自動車レース大会」での生沢徹の駆るスカイラインGTとの勝負は今でも語り草になっています。
トヨタのワークスドライバーとして契約をしていた式場 壮吉氏(現自動車評論家・実業家)、個人エントリーという形で、GT-IIクラスに自前のポルシェ904を持ち込んだのでした。
予選でフロントをクラッシュして急遽修理を余儀なくされ、サーキット到着まで紆余曲折あったそうなのですが、大会本部が「観客はポルシェが目当てだから」と決勝レースのスタートをわざわざ遅らせる措置をとったのだとか。今よりも杜撰というべきか、よく言えばのどかなレース運営でもありますね。
トヨタのワークスドライバーとして契約をしていた式場 壮吉氏(現自動車評論家・実業家)、個人エントリーという形で、GT-IIクラスに自前のポルシェ904を持ち込んだのでした。
予選でフロントをクラッシュして急遽修理を余儀なくされ、サーキット到着まで紆余曲折あったそうなのですが、大会本部が「観客はポルシェが目当てだから」と決勝レースのスタートをわざわざ遅らせる措置をとったのだとか。今よりも杜撰というべきか、よく言えばのどかなレース運営でもありますね。
決勝では案の定、904に乗る式場氏がトップを走り、スカイラインGTの生沢氏がそれを追う展開。周回遅れを抜きあぐねた904をスカイラインGTがパスし、1周のみ、スカイラインGTがポルシェ904の前を走るという展開に観客は大歓声だったそうです。
結果的に、後続のスカイラインに10秒以上の差をつけて優勝したポルシェ904でしたが、この一件が、現在にいたる「ニュルブルクリンク公式タイム」でのポルシェと日産GT-Rの火花散る戦いに繋がっているのですから、まさに日本にもその爪痕を大きく残したモデルといえます。
結果的に、後続のスカイラインに10秒以上の差をつけて優勝したポルシェ904でしたが、この一件が、現在にいたる「ニュルブルクリンク公式タイム」でのポルシェと日産GT-Rの火花散る戦いに繋がっているのですから、まさに日本にもその爪痕を大きく残したモデルといえます。
伝説を作ったポルシェ904、その価格は…
2015年1月には約160万ドル(約1.9億円以上)で落札されたこともある、超プレミアムヒストリックカー、でもあります。
前述の「第2回日本グランプリ自動車レース大会」が開催された1964年当時、ポルシェ904の日本での販売価格は571万円だったそうです。この当時の大卒初任給が2万円、の時代ですから、現在の価格では約6000万円、という事になります。それから50年が経過しているわけですから、状態の良い904であれば2億近い価格でも納得してしまうところですね…。
先の日本でのレース、ドライバーの式場氏がトヨタのワークスであった事から、「トヨタが購入し、日産をつぶす為の陰謀だったのでは」なんていう都市伝説もあったそうです。実際はそんな事は全くない、と当時の関係者が否定していますが、それほどに高いポテンシャルを持ったクルマだった事が偲ばれます。
いずれにしても、日本とポルシェ、また日産との「今に至るご縁」を紡いだのもこのポルシェ904だった、といえますね。
前述の「第2回日本グランプリ自動車レース大会」が開催された1964年当時、ポルシェ904の日本での販売価格は571万円だったそうです。この当時の大卒初任給が2万円、の時代ですから、現在の価格では約6000万円、という事になります。それから50年が経過しているわけですから、状態の良い904であれば2億近い価格でも納得してしまうところですね…。
先の日本でのレース、ドライバーの式場氏がトヨタのワークスであった事から、「トヨタが購入し、日産をつぶす為の陰謀だったのでは」なんていう都市伝説もあったそうです。実際はそんな事は全くない、と当時の関係者が否定していますが、それほどに高いポテンシャルを持ったクルマだった事が偲ばれます。
いずれにしても、日本とポルシェ、また日産との「今に至るご縁」を紡いだのもこのポルシェ904だった、といえますね。