トラックだけじゃない!いすゞの名車3選!
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トラックのイメージが強い「いすゞ」ですが、実は過去には乗用車も製造していました。
今回はそんないすゞの乗用車にフォーカスを当てて、名車と呼ばれる車を紹介します。
いすゞの名車 1.ジェミニ
ジェミニは1971年に、GMと提携し「グローバルカー構想」に基づいて、オペル カデットをベースに開発し、1974年に発売されました。1979年には「80年代のディーゼル車」を目指して、ジェミニ・ディーゼルを発売され、ディーゼル乗用車の代表として広く認知をされたのです。
1985年には2代目となるFFジェミニを発売。カラーバリエーションやTVCMの反響が大きく、2代目ジェミニの総生産台数は約7万4,000台となり、販売台数もいすゞの乗用車史上最大を記録するなど人気の車となりました。
いすゞの名車 2.117クーペ
117クーペは、いすゞのフラッグシップモデルとして、1968年に発売されました。デザインやスタイリングなど、自動車デザインスタジオであるイタリアのカロッツェリア・ギア社に委託をし、当時チーフデザイナーであったジョルジェット・ジウジアーロ氏が担当しました。
117クーペの発売当初は、当時の技術では手作業でしか作れないデザインであったため、少量限定生産車として大部分を手作業で生産していました。そのため、1968年~1972年に作られたモデルは、「ハンドメイド・モデル」や「ハンドメイド117」と呼ばれています。
1970年には、日本で初めての電子制御燃料噴射装置を搭載し、エンジン技術で国内他車と差をつけました。
いすゞの名車 3.ピアッツァ
ピアッツァは1981年に117クーペの後継車として販売されました。デザインは117クーペと同様に、イタリアのデザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロ氏が担当しています。
ジウジアーロ氏は、1979年にデザインカーである「アッソ・デ・フィオーリ」をジュネーブ・モーターショーに出展。そのデザインカーを商品化する形でピアッツァが生まれました。
ピアッツァは、オリジナルのイメージを保ったまま量産化され、その試みに世界中から驚きの声が上がりました。1991年には2代目ピアッツァが販売されましたが、1993年にいすゞの乗用車自主生産撤退により、いすゞの最後の乗用車として生産が終了となっています。
記憶に残るいすゞの車
1993年に乗用車の生産を終了したいすゞ。いすゞが作ってきた乗用車は、爆発的なヒットは記録しなかったものの、特徴的なスタイリングや、日本初の技術を搭載など記憶に残る車が多く、今なお名車として語り継がれています。