深くハマるか、上手くバランスするか

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新しい情報を駆使して賢く立ち回ることが良しとされる現代、時代の潮流を読みトレンドに沿ったことをやる方が周囲の理解を得やすく自分も得した気分になれる。しかしその後しばらくして虚しさを感じることはないだろうか。

text:嶋田智之、後藤 武、吉田拓生、若林葉子 photo:長谷川徹、松川 忍
[aheadアーカイブス vol.160 2016年3月号]
Chapter
深くハマるか、上手くバランスするか
50万円のクルマに100万円かけて乗るのもあり
復活の狼煙をあげた2ストローク500ccマシン
年齢を重ねたことで似合ってくるもの
惚れ込んでからでないと撮れない写真

深くハマるか、上手くバランスするか

話題の新型よりも自分が好きな型遅れのクルマに拘ってみる。
世間の評価を気にせずにサーキット専用のバイクを選んでみる。
一生ものと呼べる一品を思い切って手に入れてみる。
そして利益を無視して仕事に深くハマってみるというのもある。
本当に納得できることが新しい情報の中にあるとは限らない。

50万円のクルマに100万円かけて乗るのもあり

text:嶋田智之 photo:長谷川徹


世の中的に〝クルマにハマってるヒト〟と見なされることが多いようだ。確かに僕はクルマが大好き。目覚めてるときの大半、クルマにまつわる何かしらを考えてるようなところもある。

趣味もクルマ、仕事もクルマ関連のモノ書き。いつでもどこでもクルマ・クルマ・クルマ、なのは事実だ。クルマのない人生なんて考えられない。〝ハマる〟というより、ただ好きなことをずっと続けてきてるだけなんだけどなぁ──というのが正直なところなのだが、〝これまでの人生ほとんどクルマ〟で来られたのを幸福に感じてる自分がいるのも間違いないところだ。

問題はその先、である。「羨ましい」みたいな言葉を聞くと、結構な違和感、である。余程の事情があるなら別だけど、日々の暮らしの中でクルマを楽しむも楽しまないも、あなたの気持ち次第なんじゃないか? と思うからだ。

例えば僕のオンボロのアルファ・ロメオは、買ったときの値段がたった35万円。色々手を入れてきたけど、それでも100万円には達しない。けれど僕の自分のクルマに対する満足感は、あなたが自分の500万円のミニバンに対して感じてるそれよりも、きっと強いんじゃないだろうか、なんて思ったりもする。

アルファ・ロメオは歴史的に〝誰もが認める名車〟をたくさん生み出してきているけど、僕の〝166〟というモデルはその範疇からは大きく外れたいわゆる不人気車。

手に入れた直後、関係者の間に「いったいなぜ?」と波紋を投げかけたほどに。それでも今や大のお気に入りで、他人の目にどう映ろうが、僕にとっては〝個人的な名車〟だ。間違いなく偏愛だけど、間違いなく愛はある。満足感が高くて、当然といえば当然だろう。

──自慢? とんでもない。僕のクルマを自慢をする気もなければ、ヒト様にオススメする気もない。言いたいことはただひとつ。クルマの値段の多寡だとか、他人が作った既存の価値観だとか、そんなものが何かを決定づけるわけじゃない、ということだ。

そもそも、クルマとは自分のために手に入れるもの。自分が満足できるならそれでよし、のはずである。家族の意見には少しぐらいは耳を貸す必要があるかも知れないけど、他人に四の五のいわれる筋合いのものではない。もちろん予算の問題は常について回る。

でも、クルマ好きであれば、限りある予算の中にも1台か2台は惚れてたり気になってたりするクルマがあるはずだ。それが15万円のパンダでも20万円のジムニーでも、30万円のルーテシアRSでも50万円のロードスターでも、80万円のクラシック・ミニでも100万円のシトロエン2CVでも、いいじゃないか。あなたが気に入ってあなたが乗るのだから、他の誰に憚る必要もない。

なぜ? と問われたら、ニヤニヤ笑って返せばいい。そうしたクルマ達に、最初から予算に組み込んでいてもいいしコツコツと徐々にやっていってもいいと思うけど、例えば50万円なり100万円なりの予算や手間を費やして手を入れていけば、それは世界にふたつとないあなただけの1台。金額には換算できない宝物になって、想いもさらに強く入っていくに違いない。
その好例が、ここにあるTCRの加藤さんのロードスター。長年の相棒であるNRAを、彼の好みと想いに沿って進化させている。加藤さんはプロドライバーでありクルマいじりの専門家でもあるから、かけた手間も予算も結構なものだったと想像するけれど、ここまでじゃないにせよ、誰だって似た道筋を辿ることはできるはずだ。

実は僕のアルファ166も、考えた末に見えないところに工夫を加え、通常の166よりさらに気持ちよくコーナリングできるよう仕立てた、いわば自分スペシャル。手が入るたびに愛も情も深くなってきた。見方を変えれば〝自分だけの名車〟に育てたようなところもあるのかも、とすら感じてる。

ヒト様に無理に勧めるつもりはないけれど、もう一度だけ申し上げる。クルマを楽しむも楽しまないもあなた次第。小さなところから始めて小さな幸せを噛み締め続けていけば、実はそれだけで結構ハッピーな気分になれるということを、どうかお忘れなきよう──。
▶︎ロードスターのテクニカルショップ「TCR」の代表であり、パーティレースの常勝者でもある加藤影彬氏のロードスターは、NC型(NRA)初代モデルとなる。

白だった外装をMAZDAの現在のイメージカラーであるソウルレッドにオールペイントした他、NC型2代目のテールランプやヘッドライトユニット、NC最終型のフェイスグリル、ホイールの17インチ化、RS用の6速ギア、純正ハードトップ装着など、2013年に自身がニュル24hレースに出場した際のレプリカ仕様としている。

加藤氏いわく「自分と同じようにND型がデビューしたからこそ、あえて2ℓのNC型にこだわるユーザーも多い」とのこと。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。

復活の狼煙をあげた2ストローク500ccマシン

text:後藤 武


スイスのスッターレーシングが2ストローク500㏄のレーシングマシンを作っているという話を聞いたのは5年前のことだった。しかし2ストロークマシンが走れるレースはずいぶん前にGPから消滅している。ロードレースでは世界的に知られているこのメーカーが、本当にそんなことをしているのか確かめたくて連絡してみたのである。

戻ってきたメールの内容を見て驚いた。エンジンや車体の開発をスタートしていただけではない。独自にリサーチを行っていて、〝2スト500〟のレーシングマシンがビジネスとして成立するだけのマーケットがあるというのである。

スッターの考えは壮大だった。マシンを販売したらユーザーを集めてGP500を復活させるというのだ。2ストが走れるレースがないのなら、そこから自分達で作ってしまえ、と考えたわけだ。

ストリートを走らないのであれば近年厳しくなっている排ガス規制、騒音規制の影響は受けない。2ストロークマシンを新しく作った時、必ずぶつかる壁はクリアすることができる。しかも構想段階ですでに20人を超えるオーダーを受けているという。
▶︎WGP250ccクラスに参戦していたエスキル・スッターが設立したスッター・レーシング・テクノロジーは、2004年から2006年までのカワサキのモトGPマシンの開発協力やモトGP 800cc時代のイルモアX3のフレーム製作、モト2クラス初年度、初レースでの優勝など、世界グランプリでの実績が充分にある。


実を言うとヨーロッパではここ最近、2ストロークブームともいうべき状況が続いている。その中でも特に人気なのがレーシングマシンなのである。例えばヤマハTZミーティングでは様々な年式のTZが数百台集まってサーキットを走る。TZの中古車やパーツの価格は高騰し続ける一方。日本にもバイヤーが訪れてゴミ同然に扱われていたレーサーを片っ端から買い付けていったほどだ。

日本でも2ストロークマシンの人気は高まっているのだが、ヨーロッパのそれは日本とかなり違う。理由の一つはロードレースの文化だ。グランプリはヨーロッパが本場。そこでは50㏄から500㏄まで様々な2ストロークマシンが数多くの伝説を作ってきた。つまりGP≒2ストローク。ヨーロッパの人たちにとって、その思いは強い。

更に日本と違って2ストロークに対する偏見がない。日本ではその昔、二輪で影響力の大きな人たちが2ストロークに対して否定的な発言をしたこともあって、2ストロークは速いだけで魅力のないオートバイというようなイメージが広がった。

しかし欧米では2ストロークも4ストロークもそれぞれが楽しくて魅力的なパワーユニットとして認識されてきた。当然、2ストロークがなくなった時も惜しむ声は日本とは比べ物にならないくらい大きかった。レースの世界が4ストローク化された後、甲高い2ストロークの排気音を懐かしむ声が続々と出てきた。
▶︎スッターMMX500をウイリーさせているのは、1983、1985年にWGP500ccクラスでチャンピオンに輝いたフレディ・スペンサーだ。ロスマンズカラーのレーシングスーツ(当時はNANKAI製)やロスマンズパターン(赤と青の配色が逆)のアライヘルメットが往時を彷彿させる。


このように2ストロークのレーシングマシンに対しての欲求が高まる中、遂にスッターMMX500が完成。メディアローンチが行われたのである。最高出力195馬力、最高速310キロというスペックを誇る最強の2ストレーシングマシン。

レースに関する構想も大きく進化を遂げていた。単に集まってレースをするだけでなくワールドGPバイク・レジェンド(WGBL)というイベントを開催。'80年代のGPシーンをもう一度自分達で取り戻そうというのである。

このWGBLにはMMX500ユーザー達がマシンやトランスポーターを当時のワークスカラーにペイントしてエントリーする('80年代のカラーリングを施されたMMX500はレジェンド500という呼ばれ方をしている)。凄いのは毎回、フレディ・スペンサーやワイン・ガードナーといったロードレース界のレジェンド達が出走すること。

そして希望すれば憧れのライダー達が自分のマシンでレースに出て、一緒にレースをしたという証明書と写真が手渡される。憧れだった昔のチームのオーナーになるようなもの。熱烈なファンにとってみれば夢のような話なのである。このイベントは今年、2016年からスタートする予定だ。

2ストロークをもう一度走らせるというのは簡単なことではない。スッターのような大きなチームであってもマシンを一から開発し、更に巨大なイベントまで成功させるためには想像を絶するエネルギーが必要だ。ユーザーはマシンの購入に約1500万円を捻出する必要があるし、ワールドGPバイク・レジェンドに参加しようとすれば更に費用がかかる。

それでも2ストロークがサーキットを走っていた、あの素晴らしい時間を取り戻そうと多くの人たちが夢中になっている。根底にあるのは〝好き〟の一念。独自の価値観を持ち無我夢中で邁進していく、それこそがハマるということなのだろう。
▶︎ロスマンズカラーに彩られたスッターMMX500。タバコ広告が禁止された現在ではレーシングシーンにおいてこのカラーリングを見ることはできない。NSR、HRC、ロスマンズのマークなど洒落が利いている。マイクを持っているのは1987年のWGP500ccクラスのチャンピオンであるワイン・ガードナー。後ろにフレディ・スペンサーの姿も見える。

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text:後藤 武/Takeshi Goto
1962生まれ。オートバイ雑誌『CLUBMAN』の編集長を経て、現在は世界を股にかけるオートバイ、クルマ、飛行機のライター&ジャーナリスト。2ストと言えばこの人、と言われるほど、2ストを愛し、世界の2スト事情に精通している。

年齢を重ねたことで似合ってくるもの

text:吉田拓生 photo:長谷川徹


一般男性は37歳から42歳ぐらいにかけて、最初の老いを感じるのだと何かに書いてあった。そう言われてみると思い当たるフシがなくもない。疲労回復のスピードが次第に遅くなっていることを実感しているし、視力の方もいよいよという感じになってきた。

こうなると自然と守りの姿勢をとりはじめ、例えば高速道路を走るときのペースなどもずいぶんと落ちてくる。かつては「クルマ雑誌の業界でゴールド免許持ってる奴はモグリだ」なんてまことしやかに囁かれていたものだけれど、最近は自分も人生初(!)、みたいなことになっているのだから笑ってしまう。

だがそれと同時に中年の入り口にさしかかったことで「ようやく上手い具合にハマってきたな」と思うことも出てきている。若い頃に手に入れた分不相応なモノの数々もそうだし、クルマではヒストリックカーとかアシにしているメルセデスといった、かつてだいぶ背伸びをして手に入れた持ち物たちの風格に、こちらの年齢が追いついてきたようにも感じている。

引越しの日雇いアルバイトに精を出していた18歳の時、イギリスの高級靴チャーチを手に入れた。日給5500円の若造が5万5000円もする靴を買うという行為自体が分不相応なのだが、今になって考えてみれば実際にそれを履いた姿も甚だしく不釣り合いなものだったはずだ。

だがあれから25年の歳月を経た今、見た目の違和感はほとんどなくなっていると思うし、革の色艶やフィット感も格段に向上している。分不相応に重ねた年月が、無駄ではなかったのだと思っている。
photo:吉田拓生

昨今のメルセデスは顧客の若返りに必死で、実際に結果を出しはじめているのだけれど、そのブランドイメージが「タイソー」なものであることは今も昔も変わらない。だが20代から乗り続けて40代になってみると、案外それは高級とか風格といったキーワードで語られるものではなく、上質だけれどごく日常的なものなのだと気づかされる。

これがロールスやアストンマーティンあたりだと、50代になってようやくハマりはじめるくらいの威厳の高さで、本当の意味でクルマとドライバーが符合するのは60代になり、髪の毛がすっかり白髪になってからということになる。

誰もが憧れるような上質なクルマというのは、メルセデスが40代、ジャガーが50代、ロールスが60代という感じで、それを所有する側に一定の年齢や風格を要求する傾向にある。

だが実体験から言うのだけれど、それを手に入れるタイミングについては、ハマるとか、ハマらないを気にするべきではない。背伸びしていることを重々承知したうえでできるだけ早くに手に入れて、相応しい風格をあなたが身に着けるその日まで、10年でも20年でも丁寧に使い続ければいいのだ。

実際、40代になった今でも、チャーチの見た目が僕に完璧にハマっているとは思っていない。けれど、共に過ごしてきた25年間という歳月が自分に自信を与えてくれる。時間の経過はそのまま説得力につながるのである。だからこそイギリスの貴族は敢えてま新しい品を身に着けない。

彼らが親の代から受け継いだ旧いモノを好むのはそのためだし、新しく誂えたスーツは自分と同じ体格の執事に着せて年季が入った頃に着はじめるのだという。擦れて薄くなってしまった肘の部分にパッチが当たった頃、である。そんな由来を信じるのであれば、最初っから肘にパッチが付いた吊るしのジャケットなどゆめゆめ買ってはいけないのである。

自動車ブランドの中には今なお、ある年齢に達しないとハマらないものもあるが、持ち手とともに成熟していく1台も存在する。スポーツカーはその傾向が強く、ケーターハム・セブンなどは最たるものといえる。若者が乗っていても経済的な裏付けよりクルマ好きの魂の方がよほど強く感じられるし、歳をとるほどにハマり具合が絶妙に変化し続けて、白髪が交じった頃にまさに絶頂を迎える。

それはまるで、4000回転でパワーバンドに入り、5500回転からカムに乗って、そして7500のレヴリミット手前で鋭く吹け上がるレーシング・エンジンの如し、である。

薄い朝靄がかかった平日の峠で、白髪のドライバーがセブンのコクピットに収まっている風景に出くわしたら、クルマ好きであれば強烈な嫉妬心を抱かずにはいられないだろう。それくらいヒトとクルマがハマった姿は美しく、しかし一朝一夕には完成しないのである。

誰にだって、いつかはハマる瞬間がやってくる。ただその時に、憧れの何かを自分のモノにしている、ということが絶対条件となる。ハマりの境地を目指して分不相応な冒険をしてみようと思っているのなら、そのタイミングは今この瞬間なのである。

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text:吉田拓生/Takuo Yoshida
1972年生まれのモータリングライター。自動車雑誌「Car Magazine」編集部に12年在籍した後、フリーランスライターに。クルマ、ヨット、英国製品に関する文章を執筆。クルマは主に現代のスポーツカーをはじめ、1970年以前のヒストリックカー、ヴィンテージ、そしてレーシングカーのドライビングインプレッションを得意としている。

惚れ込んでからでないと撮れない写真

text:若林葉子 写真・松川 忍 写真協力・モーターマガジン社/RIDE


このページの写真はすべてカメラマンの松川 忍さんが撮ったものだ。1965年生まれというから、オートバイブームの真ん中世代と言っていいだろう。でも、松川さんは若い頃からオートバイに特に強い関心があったわけではないと言う。

初めてオートバイに興味を持ったのは1987年の鈴鹿8時間耐久レース。3度目の優勝を目前にトップを走るヨシムラを懸命に追いかけるヤマハテック21。青いライトのヨシムラと黄色いライトのテック21。

観客が2台のマシンを固唾を飲んで見守る中、ラスト5分。ヨシムラの高吉が転倒。結果、ヤマハが初優勝を飾った一戦だ。「衝撃を受けましたね。その音と匂い。8時間という長い一日の中でさまざまな変化も見ることができますし、8耐はすごいと思いました。オートバイに興味を持ったのはそれからです」(松川)

それでも自分でオートバイの免許を取ったのは30歳だった。写真の専門学校を出た後も、音楽が好きだったからステージ写真を撮りたいと思ったし、ロバート・キャパや一ノ瀬泰造に影響を受けて報道写真を撮りたいとも思った。

縁あってオートバイの写真を撮るようになったが、今でも、人物も撮れば、家電も撮る。「対象に対して、何を撮ったとしても自分らしさが出ていればいいと思っています」 と松川さんは少しも肩肘張っていない。しかし、松川さんの写真はちょっとすごい。
たとえばカワサキ 750SS H2。今では珍しい空冷2サイクル3気筒のオートバイだが、こんな風にエンジンを前方から撮った写真はない。なぜなら、撮ろうにも前のタイヤが邪魔をして隙間がほとんどないからだ。「でも、見たくないですか? 僕は見たいと思ったんです。それで隙間にカメラを入れて撮りました」

ドゥカティ900SSはジウジアーロがデザインしたスクエアタイプのクランクケースが特徴で、ベベルギアのシャフトが通っているところも重要だ。また別の写真ではマフラーに刻まれたコンチの刻印、そしてマルゾッキとブレンボであることがすぐに分かる。
松川さんはそれぞれの意味するところをもちろん理解した上で、一枚の写真におさめているのだ。対する750SSのFRPのタンクの上面はライダーが伏せた時に収まりを良くするために凹みがあることを写し出している。

ヨシムラのテクニカルショップであるブライトロジックが手がけたGSX1100S カタナは、使われているパーツのひとつひとつが同時に見えるだけでなく、繊細なカーボンの網目まで見えるので作り手が何に拘っていたのかがこの写真を見ればはっきりと伝わってくる。

つまりどの写真も、人であれば「何者であるか」が一目でわかるように、そのオートバイが何であるかがはっきりと表明されているのである。

「20年の蓄積はありますが、僕はそんなにバイクに詳しいわけではないんですよ」と本人は謙遜するが、松川さんの写真は相当な知識がないと撮ることのできないものばかりなのだ。

「僕はまず対象であるオートバイをじーっと見ます。で、分からなければ聞きます。分からなければシャッターを押せませんから」

でも、と続ける。「ものの形に惚れていくことが一番大事だと思っています。ここが見たい。ここが撮りたい。そのためにはどこに光を当てたらいいか」 写真を演出する道具は光しかない。目線とライティングのマッチングだ。

面白いのは、松川さんの場合、「ここを撮りたい、と思うと、僕はちょっと引くことが多いんですよね」というところだ。普通、「ここいいなぁ。ここを撮りたいなぁ」と思うとつい夢中になって、どんどん対象に寄って行ってしまう。しかしそういう風にして撮った写真はえてして単なる説明カットにしかならないことが多い。
そういうとき、「引く」ことができるのは、それこそがプロなのかも知れない、と思う。夢中になっている最中でも全体観や客観性を維持できている、ということだ。この撮り方で見る人に伝わるのか、編集者の意図と合っているのか、自分の表現したいことが表現できているか。「引く」ということは即ち、そういったことだと思う。

松川さんがたった一枚の写真でバイク好きのマニアを唸らせるのと同じくらい、私のような知識のない者にも訴えかけてくるのは、単なる説明写真ではないからだ。

説明ではなくてストーリーを感じられるのは、松川さん自身が対象に惚れ込み、いったんはハマっていながら、そういう自分ともう一度距離を取って、それからシャッターを押しているからではないだろうか。知識やテクニックはなければ話にならないが、それらは前に出過ぎると見る者は窮屈だ。

プロでなければ対象との距離を忘れてしまうくらいハマってもいいが、プロはそれだけではダメなのだろう。松川さんの写真にはプロのハマり方のひとつの有り様を見る気がする。

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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。

photo:松川 忍/Shinobu Matsukawa
1965年生まれ。写真専門学校卒業後、田口謙二氏に師事する。人物写真、ブツ撮りはもちろん、ミュージシャンのステージやサッカーに至るまで幅広い被写体の撮影を経験する。独立後はフリーランスのカメラマンとして、オートバイを中心に、家電や人物写真なども手がけ、現在に至る。左ページの写真はすべて『RIDE』(モーターマガジン社)にて撮影したもの。
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