小沢コージのものくろメッセ その17 褒めることの難しさ

アヘッド ものくろメッセ

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先日、同学年の女性と話していて、褒められるとヤル気になる上司の話をしたら「バカみたい。子供だね」と笑った。それは違うよと反論しようとして空しくなってやめたが、残念ながら彼女は人間のことがあまり分かってないのだと思った。

text:小沢コージ [aheadアーカイブス vol.153 2015年8月号]
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その17 褒めることの難しさ

その17 褒めることの難しさ

あるいは部下を本当の意味で育て、子供を育てた経験が少ないのだなと思った。一方そういう彼女の気持ちが全く分からないでもない。彼女は、いわゆる明らかなお世辞で喜ぶ、あるいはいかにも褒められたい幼稚な存在をバカにしているのである。

確かにいい歳をした大人が、見え見えのお世辞で喜ぶのはどうかと思う。たまにそういう人も確かにいて、傍から見てると結構恥ずかしい。だが人は基本、人に褒められること、あるいは認められることで頑張れる生き物なのだ。それが原点であり、それこそが「承認欲求」なのである。

人は何をしていても不安が付きまとう。自分がどういう風に動き、どういう風に見られるかが気になる。それを全く必要としない超マイペース人間もたまにいるが、たいていの人はそれほど強くない。

「お疲れ様!」「がんばったね」「よくできたじゃん」「この料理おいしい!」「貴方がいてくれてよかった」「お帰り〜」と心底言ってくれる仲間や家族がいて、初めて人はいつも以上に頑張れるものなのだ。

ただし、褒めるという行為には、結構なレベルでウソが付きまとう。特に日本は挨拶感覚で「凄いね」「キレイ」と言ったりするので、敏感な人ほど褒められて喜ぶことを嫌う傾向にある。特に微妙にキレイな女性は、そこに真実を求めたがる。

そう、大人は真実の褒めに敏感なのだ。本当に「凄い」というときと、カタチばかりの「凄い」は違う。だから「褒め上手」という言葉もあるのだ。上手な褒めは人を幸せにし、人にパワーを与えるのだ。

そういう意味で、自動車評論は褒めの連続である。今どき良質な悪口が許されてないこともあるが、実は僕らは上手な〝褒めプロ〟にならなければならないのだ。

上手な褒めをするために重要なこと。それは対象物を「見る」ことと「理解する」ことである。女性を「キレイ」というのは簡単なようで結構難しく、意外なほどなかなか相手に響かない。そこには「なぜキレイと思ったのか?」「どこがキレイなのか?」「自分はそれでどうしたいのか?」をちゃんと含めて伝えなければならないからだ。

そして上手な褒めをするためには、素直でなければならない。心に余裕がない、あるいは心が病んでいる場合、人はあまり他を褒められない。やはり自分がちゃんとしていることによって、他人の良さが理解できるのだ。それと、いろんな経験を積んでいなければならない。

例えば重い病気をした人、もしくは本当に苦しい失恋をした人、そういう人は上手な真実の褒めをできる可能性がある。さらに他人の気持ちをる想像力。それも重要だ。そして僕自身、まだ本当の褒め上手になれているかは自信がない。まだまだ人に力を与えているかどうかよく分からない。

ただ、人としていろいろと積み重ねて少しでも上手になりたいと日々思っている。

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text:小沢コージ/Koji Ozawa
雑誌、ウェブ、ラジオなどで活躍中の“バラエティ自動車ジャーナリスト”。自動車メーカーを経て二玄社に入社、『NAVI』の編集に携わる。現在は『ベストカー』『日経トレンディネット』などに連載を持つ。愛車はロールスロイス・コーニッシュクーペ、トヨタiQなど。
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