トヨタ博物館に行こう!

トヨタ博物館

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トヨタ車だけでなく世界の歴史的なクルマが収蔵されているというトヨタ博物館。プリウス発売20周年にあたる今こそ訪ねてみたい。自動車はどこから来て、どこへ向かっているのだろうか。初代プリウスから見れば未来のクルマとなる「プリウスPHV」で、トヨタ博物館に向かった。

text:まるも亜希子、世良耕太 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.174 2017年5月号]
Chapter
トヨタ博物館に行こう!
プリウス PHVで行く香嵐渓・足助宿
21世紀に間に合いました。歴代プリウス

トヨタ博物館に行こう!

text:まるも亜希子

咲かせては散り、散ってはまた花を咲かせる。それを何千、何万と繰り返して、自動車の歴史は現代まで紡がれてきた。遥かいにしえの外国で産声をあげた、フロントガラスも屋根も、ドアさえもない姿を前にすると、あらためてその歩みに費やされた膨大な時間と、命の重みが押し寄せてくるようだ。そしてここから始まる、人類の偉大なる発明をたどる冒険に、少しずつ胸が高まるのを感じる。

名古屋の東隣りに広がる愛知県長久手市は、古くは「小牧・長久手の戦い」の地として、近年では「日本国際博覧会(愛・地球博)」メイン会場の地として日本史に名を刻む。のんびりとその市街地を走っていくと、Tの字をかたどった大きなオブジェが印象的な、トヨタ博物館が見えてくる。

約1万4000坪もの広大な敷地を持つトヨタ博物館は、1989年にトヨタ自動車の創立50周年を記念してオープンした。ガソリン車の黎明期から、世界の歴史をたどることができる自動車博物館は日本唯一と言っていいだろう。

本館と新館の4フロアに展示されるだけでも約160台、収蔵庫を含めると約540台もの貴重なクルマたちが収まり、カフェやレストラン、ライブラリーやミュージアムショップなども常設され、欧米の博物館と比較しても充実した施設である。
▶︎トヨタ博物館は名古屋瀬戸道路・長久手I.C.を降りてすぐ。「T」をかたどったオブジェが迎えてくれる。


数年ぶりに訪れた館内は、2019年に迎える開館30周年に向けて大掛かりなリニューアルが進められており、昨年1月にその第一弾として本館2階、今年1月に第二弾の本館3階が完成したばかり。その経緯を、副館長の浜田真司さんに伺った。

「当館ができたのは、〝日本にも、ちゃんと自動車史を伝える博物館を作りたい〟という、当時会長だった豊田英二、社長だった豊田章一郎の強い想いからでした。展示にあたっては自動車史に造詣の深い五十嵐平逹先生とストーリーを考え、それに必要なクルマを世界中から集めました。開館当初はまだ日本と欧米のクルマには大きな差があり、2階と3階で分けて展示していたのですが、日本車も歴史を重ねてきて、世界で認められ、世界に影響を与えるクルマも増えてきました。そうした事実を、日本の博物館こそが、しっかり伝えなければいけないと考えました。時代の流れの中で、世界と日本のクルマたちや社会的背景がどのように影響しあい、進化してきたのか、それがわかりやすいよう展示に工夫を凝らしたのが今回のリニューアルです」
▶︎トヨタ自動車初の生産型乗用車「トヨダAA型乗用車(レプリカ、1936年)」。理想的な前輪荷重やすぐれた乗り心地を実現し、当時、海外と比べてもきわめて先進的なクルマであった。


9世紀末にタイムスリップしたような空間が、見学のスタートとなる。そこからは、近寄るのも恐れ多いほどのオーラを放つクルマたちが続く。ガソリン車より先に発明された蒸気自動車が、すぐ間近に見られるだけでも滅多にないことだが、隣りに置かれたモニターにそれがトヨタ博物館の敷地内を走っている映像が流れていて驚いた。

「クルマは置き物ではなく動いてこそ、というのもこだわりのひとつで、基本的にすべて動態保存しています。現在は8名の専属整備士が全車のメンテナンスにあたっていますが、一巡するのに4年ほどかかるんですよ」と浜田さん。

100年以上前のクルマともなると、その整備には正しい知識が求められ、小さな部品ひとつが欠けても再生は困難になりかねない。そうしたクラシックカー整備の技術を次世代に引き継ぐという意味でも、トヨタ博物館が果たす役割は大きいと感じる。
▶︎本館3F「モータリゼーションの進展と多様化」(1950年代から現代まで)のフロア。中央はアメリカ車、左手がヨーロッパ車、右手が日本車。同時代のクルマを一堂に見ることができて、とても興味深い。


この2階フロアでは、年代やテーマごとにまとめられた8つのゾーンを歩きながら、自動車の黎明期から1950年代までの歴史をたどり、日本車の誕生にも遭遇する。

まだ馬車や自転車の名残を感じるものから、しだいに屋根やガラスがつき、レバーだったハンドルが円形になるなど、つぶさに眺めていると、まるで先人たちが試行錯誤してきた様子を1台1台が熱く語りかけてくるかのよう。現役のメーカー、消えていったメーカー、技術や構造、デザインの栄枯盛衰も見て取れるのが興味深い。
▶︎諸説あるがガソリン自動車第1号と言われているカール・ベンツによる「ベンツ パテント モトールヴァーゲン」(レプリカ、1886年・ドイツ)。


しかし開館当初から守られているこだわりもある。トヨタ車を特別扱いしないというのも、そのひとつ。エスカレーターで2階に上がると、まず目に入るのはガソリン車第1号とされるベンツ パテント モトールヴァーゲンだ。

一気に再びエスカレーターで3階に上がると、モータリゼーションの進展と多様化を軸とした、1950年代から現代までの展示に進む。世界大戦後、いよいよ白熱してきた日米欧の自動車合戦に突撃していくような気分だ。
▶︎20世紀初頭(明治中期)のアメリカで普及していた自動車たち。およそ半分が蒸気自動車で、電気自動車、ガソリン車が混在していた。右から順に「スタンレー スチーマー モデルE2 (1909 年) 」 、「ベイカー エレクトリック(1902年)」 、「オールズモビル カーブドダッシュ(1902年)。
▶︎あらゆる意味で国産車モータリゼーションの出発点となった「トヨペット クラウンRS型(1955年)」。
▶︎安価で十分な性能を備えた「T型フォード(1909年・アメリカ)」。アメリカのみならず世界の国々に大きな影響を与え、人々にクルマのある生活をもたらした。
▶︎「メルセデスベンツ 300SL クーペ(1955年・ドイツ)」。日本では石原裕次郎も愛車にしていたことで知られている。
▶︎2014年に発売されたMIRAIのコンセプトモデル、「トヨタFCV-R(2011年)」。


戦争のダメージからどのように復興したのか、大きく豪華さを増す欧米のクルマたちに対し、日本車が打ち出した強みとはなんだったのか。開発者たちだけでなく、人々がクルマに抱いた夢や希望、豊かさへの憧れが充満する一角もあれば、交通戦争や排ガス問題などに立ち向かう苦悩を垣間見る瞬間もある。

そして、21世紀目前でのハイブリッドカーの登場。それぞれの時代背景も含めて、目まぐるしく変化してきた世界が5つのゾーンに凝縮されている。
▶︎言わずもがな日本が誇る名車、「トヨタ 2000GT MF10型(1968年・日本)」「トヨタ スポーツ800 UP15型(1965年・日本)」


またこのフロアでは、我が家に初めてやってきたクルマに再会したり、少年のころ欲しかったクルマに久々にときめいたり、自分自身の歩みとリンクする人も多いかもしれない。

時を経てじっくり眺めると、そのクルマが果たした役割や細かな部分のデザインなど、当時は気づかなかった発見があるのが面白い。「最近は、カメラを趣味にされる方の来館も多くて、エンブレムなどクルマの一部分だけを撮るという方や、グループで回ってそれぞれの作品を楽しむ方もいらっしゃるんですよ」と浜田さん。
そうした〝撮影〟が目的という人たちのために、リニューアルでは展示車を囲んでいた柵をなるべく低く目立たなくし、写真の邪魔にならないよう工夫したという。フロアのところどころにはテーブルや椅子が置かれ、浜田さん自身も「ここに座って眺めるといい感じなんですよ」と、お気に入りのスポットがあるらしい。

話を聞いていると、こうした来館者目線の心遣いが随所に感じられる。これだけの歴史をたどってきてもまったく堅苦しい〝お勉強感〟がなく、どこかフレンドリーで居心地のいい博物館になっている理由はそんなところにあると分かった。
▶︎博物館収蔵のクルマ(約540台)は動態保存を基本としている。整備士は8名。クルマの整備が一巡するのに4年ほど掛かる。写真のノートは過去に整備士の方が手書きで記した整備手帳。今はPCで管理されるようになったが、その記録は大切に引き継がれている(整備の様子は一般には公開されていません)。



1階から通路でつながる新館には、日本のモータリゼーションと生活文化展示ゾーンや、期間限定で変わる企画展示ゾーンのほか、18万冊もの自動車関連書籍を収蔵するライブラリーもある。

その一角に子ども向けの「のりもの絵本コーナー」が新設され、利用者がグッと増えたのだとか。生活文化展示ゾーンは来年以降にリニューアルが予定されており、さらに日本のクルマたちとライフスタイルの結びつきを浮き彫りにした内容が検討されているとのことだった。
▶︎ブックカフェ「CARS&BOOKS」(新館1階)ではブックディレクターがセレクトした書籍を片手にゆっくりとおいしいドリンクを楽しめます。


さて、ここらで一息つきたいと思ったら、選書のプロが厳選した本をめくりながら、ハンドドリップで丁寧に淹れるコーヒーがいただける1階の「ミュージアムカフェ CARS&BOOKS」がオススメだ。

リニューアルに伴って約20冊追加したという書籍は、本屋さんではまず見かけないものもあり、時間を忘れて浸ってしまいそう。そしてお腹が空いたら、本館1階の「ミュージアムレストラン AVIEW」へ。以前から人気の名物カレーなど洋食をメインに、新メニューも加わって満足度が高いと評判だ。

スタッフお手製というランチョンマットは期間ごとにデザインが変わり、大事に持って帰る人やコレクションする人もいて、こんなところにも来館者へのおもてなしを感じる。

▶︎国内外の自動車に関する書籍や雑誌が豊富に所蔵されたライブラリにはお子様向けの絵本を集めた「のりもの・えほん・としょしつ」も併設されている。また国内のほぼすべてのクルマのカタログと、輸入車のカタログも幅広く所蔵されている。


こうしてトヨタ博物館を後にして家路につきながら、私は不思議な感覚を味わっていた。見たものはたくさんのクルマたちだったというのに、心に刻まれたのはその姿ではなく、すべてに宿り、生き続けている「想い」なのだと気づいたからだ。

人の気持ちがクルマを動かし、そのクルマがまた人の気持ちを動かす。現代を生きる私たちが、忘れてはいけない大切なものを取り戻し、未来に向かう勇気をもらえる場所。トヨタ博物館には、そんなパワーもあると感じた1日だった。

プリウス PHVで行く香嵐渓・足助宿

東京から長久手市を往復するのに借りたのはプリウスPHV。評判が高いことは知っていたのでわくわくしながらアクセルを踏み出すと、期待を裏切らないすばらしい滑り出しだ。特にEVモード時の滑らかな加速や静けさにはちょっとした驚きを感じる。

EV走行距離はカタログ値で68.2kmとかなりの距離を走れるのだが、調子に乗ってEVモードでがんがん走っていたら気がつくとバッテリーを使い切ってしまった……。慣れてくると、高速道路で電力を貯めて、市街地でEVモードで走るなど、賢い使い方ができるはず。

自分なりの使い方を見つけられるのがほかとは違うこのクルマの楽しみ方だと思う。往復700kmほど走ったが、疲労感が少ない気がするのは走りの滑らかさや静粛性、振動の少なさによるものだろうか。

車両本体価格:¥4,222,800〜(Aプレミアム)
全長×全幅×全高(mm):4,645×1,760×1,470
車両総重量:1,750kg
定員:4名
エンジン:水冷直列4気筒DOHC
排気量:1,797cc
[エンジン]
最高出力:72kW(98ps)/5,200rpm
最大トルク:142Nm(14.5kgm)/3,600rpm
[モーター]
最高出力:53kW(72ps)/23kw(31ps)
最大トルク:163Nm(16.6kgm)/40Nm(4.1kgm)
ハイブリッド JC08モード燃費:37.2km/ℓ
EV走行距離:68.2km
駆動方式:前輪駆動
せっかく名古屋まで行くならちょっとどこかに立ち寄ってみたいと向かった先はトヨタ博物館からクルマで1時間ほどの香嵐渓。ここは紅葉の名所として有名。新緑を思い描いていたのだけれど、あいにくの大雨。でもしっとりと雨に煙る風景も風情がある。

香嵐渓や戦国時代に原型が完成されたという古い町並みの残る重要伝統的建造物群保護地区をぶらぶら歩いたり、足・旅・交通の守護神として信仰されている足助八幡宮をお参りしたり。家族で訪ねてみるのも楽しい。
http://asuke.info/

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text:まるも亜希子/Akiko Marumo
エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集者を経て、カーライフジャーナリストとして独立。ファミリーや女性に対するクルマの魅力解説には定評があり、雑誌やWeb、トークショーなど幅広い分野で活躍中。国際ラリーや国内耐久レースなどモータースポーツにも参戦している。

21世紀に間に合いました。歴代プリウス

text:世良耕太

1997年10月、「21世紀に間にあいました」のキャッチコピーを引っ提げて初代トヨタ・プリウスがデビューした。このコピーは未来を先取りした技術をアピールするのが狙いだが、開発に携わった技術者の実感もこもっていた。クリアすべき技術のハードルは高く、到底間に合わないと感じていたからだ。

'93年9月、トヨタ社内に「G‌21」と名付けられたプロジェクトチームが立ち上がった。地球(Globe)を意味する「G」と、21世紀を意味する「21」を組み合わせたネーミングで、「21世紀に必要とされるクルマの姿を考えて提案する」のがプロジェクトチーム設立の狙いだった。

豊田中央研究所も含め、社内から選りすぐりのメンバーを集めて結成したG21は'93年末に報告書をまとめ、21世紀の乗用車像を提示した。キーワードは資源と環境である。

21世紀になるとエネルギー資源の枯渇や地球温暖化対策、大気汚染がそれまで以上に問題になると予測し、省燃費のコンパクトカーが必要になると結論付けたのだ。燃費の目標は、当時の基幹車種だったカローラの1.5倍、すなわち20㎞/ℓに定めた。

G21は当初、ガソリン直噴エンジンの開発で燃費1.5倍を達成し、21世紀に間に合わせるつもりでいた。実現の目処も立っていた。ところが'94年11月、「燃費2倍」と「ハイブリッドシステムの採用」がトップダウンによりG21に伝えられた。

従来技術の延長線上では、トヨタが21世紀を生き抜くには不十分だとの判断が働いたのだ。生き抜くためには、誰も量産化していない技術を実用化し、世界をリードする必要があると。

燃費2倍の意欲的な目標を達成するためにも、ハイブリッドシステムは欠かせなかった。従来は減速時にブレーキユニットで熱に変換して大気に放出していたエネルギーを、発電機能を持つモーターで回生し、バッテリーに蓄えておく。

そして加速時に、蓄えておいたエネルギーを使ってモーターを駆動することで、エンジンの負担が軽くなって消費する燃料が減り、燃費が良くなる。電気の力を借りてガソリンの消費量を減らすシステムを備えていることが、ラテン語で「先駆け」を意味するプリウスの真髄である。初めての技術だけに問題は山積していたが、不断の努力により21世紀に間に合わせたのだ。

20世紀におけるトヨタの顔がカローラだとすれば、21世紀のトヨタの顔(それもグローバルの)は間違いなくプリウスである。
▶︎1995年の東京モーターショーに“プリウス”のなまえでコンセプトカーが出展された。

■初代
1997年10月に発表された世界初の量産ハイブリッド車。12月の発売時期は、京都で開催されたCOP3(第3回気候変動枠組み条約締約国会議)に合わせたとも伝わる。当初の燃費は28.0km/ℓ(10・15モード)。

ハイブリッド技術に注目が集まるが、室内を広く使うパッケージング面でも新機軸(乗員をアップライトに座らせる)を打ち出していた。マイナーチェンジしてバッテリーを小型・軽量化するなどした。2000年から海外販売を開始。
■2代目
2003年に登場。ハイブリッドシステムはTHS(トヨタ・ハイブリッド・システム)からTHS IIに進化した。高効率の1.5ℓ・直4エンジンに駆動用と発電用の2つのモーターを組み合わせる基本構成を継承しつつ、各コンポーネントの性能を向上。

スタイル優先のトライアングルモノフォルムに変わったのも特徴で、エコを象徴するルックスとして定着。環境意識の高いセレブや知識層が飛びつき、それが飛び火する格好で一気に市民権を得た。
■3代目
2009年に登場。ハイブリッド車のアイコンとして定着したトライアングルモノフォルムは受け継ぎつつ、燃費向上につながる当時最先端の技術を積極的に投入した。室内の温度を下げてエアコンの負荷を低減する遮熱中間膜のフロントガラスへの採用は、ほんの一例。

高速実用燃費の向上を目的にエンジンの排気量を1.8ℓに引き上げたことも含め、ハイブリッドシステムを一新。さらなる高効率化を図り38.0 km/ℓの10・15モード燃費を達成した。
■4代目
2015年に登場。3代目プリウスはエコカーとして世界的に認知され、世界累計販売台数は350万台を突破した。

4代目の開発コンセプトは、歴代プリウスが築いてきた圧倒的な燃費性能というDNAを受け継ぎつつ、走る楽しさを打ち出し、内外装のクオリティを上げ、先進装備の充実を図ること。トヨタの新世代プラットフォームであるTNGAの採用第1号が4代目プリウスであるところに、走りの質感向上に対する熱意が現れている。

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text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/
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