埋もれちゃいけない名車たち vol.53 航空機軍需から庶民の足へ「BMW・イセッタ」

アヘッド BMW・イセッタ

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決まりごとも指示も何もないのだけど、ここで御紹介する車種を考えるとき、僕はなるべく巻頭特集のテーマに沿っていたり関連していたりするものを選ぶように心掛けている。その方が心に残りやすいかも、みたいに考えているからだ。今回は〝飛行機、自動車、オートバイ〟。それを聞いた瞬間、考えるまでもなく1台のクルマが頭の中に浮かんできた。BMWイセッタ、である。

text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.169 2016年12月号]
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vol.53 航空機軍需から庶民の足へ「BMW・イセッタ」
BMW・イセッタ

vol.53 航空機軍需から庶民の足へ「BMW・イセッタ」

そもそも、BMWが航空機用エンジン・メーカーを起点にしているのはよく知られる話。BMW自らが誕生の年とする1916年は、BFW(バイエリッシュ・フルークツォイク・ヴェルケ)=バイエルン航空機工業という名称だった。

BMW(バイエリッシュ・モトーレン・ヴェルケ)=バイエルン・エンジン工業となるのは翌1917年のことで、青い空と白い雲をイメージしたと言われるエンブレムが特許事務所に登録されたのもこの年だ。

第1次世界大戦にドイツが敗れ、航空機が生産禁止されると、BMWはオートバイ用エンジンの開発と製造、次いで1923年からはオートバイそのもののメーカーとしての歴史をスタートしている。

そして、1929年からの英国オースティン・セヴンのライセンス生産を経て、初めての自社開発車を1932年に発売し、自動車メーカーとしての歴史もスタートしている。以来、BMWは2輪と4輪の双方を作るメーカーとして世界中で知られている。

僕がBMWの歴史上のクルマ/オートバイ達の中からイセッタを選んだのは、それはオートバイのエンジンを搭載した4輪車(3輪仕様もある)であると同時に、バブルカーと呼ばれたカテゴリーに属する1台だったからだ。

BMWイセッタの場合は、イタリアのイソ・イセッタの車体にBMWがオートバイ用エンジンを搭載したライセンス生産であるため少々事情は異なるが、バブルカーは第2次世界大戦後、軍需を失った航空機メーカーがモノコックフレームや大型アクリル成形などの航空機技術を用いて製造した、ひとり乗りもしくはふたり乗りのマイクロカーというべきものが多かった。

バブルカーとしては後発のイセッタも、構造的にも歴史的にも存在的にも、ちょっと無縁とはいえないのだ。

イセッタの特徴は、冷蔵庫のように前面がパカッと開く1ドア2シーターの、愛嬌のある独創的デザイン。BMWは1955年からライセンス生産を開始、そして1957年にはよく似たデザインのまま車体を大型化、4シーター化を図ったBMW600へと発展。

シリーズ全体で本家より圧倒的に多い16万台を製造したが、次第に〝ちゃんとした自動車〟に取って代わられるようになった。

どちらも時代の徒花的存在ではあるけれど、大戦後のドイツ庶民の暮らしを支えた文化遺産なのだ。

BMW・イセッタ

BMWイセッタは、イタリアのイソが1953年に発表したイセッタのライセンス生産版で、1955年に発売が開始された。車体は冷蔵庫や3輪トラックなどを生産していたイソから供給されるほぼそのままだったが、BMWは自社のオートバイ用245ccエンジンを搭載、後に298ccへと排気量を上げた。

リアのトレッドが極端に狭い4輪仕様と完全な3輪仕様が存在する。1957年には全体を大型化して標準に近い4輪仕様となった“600”へと発展。一時は簡素ながら安価なシティコミューターとして庶民の暮らしを支えたが、経済の発展とともに役割を終え、1963年に生産中止となった。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。
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