忘れられないこの1台 vol.34 YAMAHA TRAIL 250 DT1

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1984年10月、巨大なピラミッドのそびえ立つ茶褐色に覆われた大地に立っている自分が信じられなかった。エジプトで開催されるファラオラリーを初めて耳にしたのは、左膝の怪我で入院していた病院のベッドの上だった。

text:打田 稔 [aheadアーカイブス vol.111 2012年2月号]
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vol.34 YAMAHA TRAIL 250 DT1

vol.34 YAMAHA TRAIL 250 DT1

▶︎国内にまだ完全なオフロードバイクが存在していなかった頃、ダートを走れるバイクをスクランブラーと呼んでいた。そんな時代の1968年にオフロード専用バイクとして登場し、世界中で大ヒットしたのがヤマハトレール250DT1だ。国内でもトレールブームを巻き起こし、現在のオフロードモデルの原型になったモデルで、いまでも通用する美しいフォルムは、いまだに人気が高く多くのバイクファンの心を虜にしている。


パリ・ダカが無理でもこれならと安易な気持ちと勢いで出場することを決め、退院から1カ月後にまだ左膝が90度以上曲がらない足でアフリカの砂漠の上に立っていた。このファラオラリーに出場したことで、その後ラリーレイドの虜になってしまうのだが、すべては10代に出会った1台のバイクが導いてくれたと思っている。
 
僕が高校生の頃は16歳になればバイクの免許を取るのがあたり前の時代で、2輪免許が取れる誕生日が待ち遠しかった。その頃、夢中で見ていた二輪専門誌に掲載された1台のバイクに衝撃を受けた。スリムな車体にデコボコした太いタイヤ…今まで見たこともないフォルムにひと目惚れした。そのバイクは『ヤマハトレール250DT1』だった。
 
8月に16歳の誕生日を迎えた僕は、9月に2輪免許試験を受けた。バイクの運転は中学のときから実家のビジネスバイクを引っ張りだして乗り回していたので自信があった。実技試験はあっさりと走り終えた。

しかし結果は不合格。早く走り終えたのが原因だった。諦めきれず、2回目の実技試験を受けた。今度はゆっくり慎重に走ろうと自分にいい聞かせ走り始めたが、コースを半分走ったところでミスコースしてしまい、「あちゃー、また不合格だ…」と思いながらもコースをUターンして指定のコースに戻ったところ、合格してしまった。
 
二輪免許も取り、翌年の春に念願のDT1を手に入れた僕の人生観は大きく変わることになる。
 
DT1に乗る毎日が楽しくてしようがなかった。登ったことのない山の頂上をめざし、入ったこともない獣道を探索し、冒険とチャレンジする楽しさを知った。行ったことのない他県まで足を伸ばし、旅するすばらしさも知った。

バイクさえあればいつでも親元から離れて何でもできると思った。自立することも教わった。バイクを手に入れることは、自由に飛び回る鳥のように、自由の翼を手に入れたような気分だった。それからと言うもの、僕の隣には常にバイクがあった。
 
いま思えば『250DT1』との出会いを機に、常にバイクとともに夢を持ち続けてきたことが、のちに二輪雑誌業界で仕事をすることやラリーレイドで世界中の大地を走るチャンスに巡り会えたのだと思っている。
 
いまもDT1は僕の隣にある。

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text : 打田 稔 / Nen Uchida
1987年から1999年までの12年間、月刊ガルルの編集長を務め、日本にオフロードバイク人気とエンデューロブームを築く。1984年のファラオラリーを皮切りにオーストラリアンサファリ、バハ1000、ラリーレイドモンゴル、パリ・ダカールラリーなど自らも国際ラリーレイドに20回以上出場した。現在、編集プロダクション(有)シフト代表。www.shift-inc.com
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