SPECIAL ISSUE クラスレスの時代

アヘッド クラスレスの時代

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徹底した階級社会がクラスレスなクルマを生む。カジュアルなはずのSUVにロールス・ロイスやベントレーなどの超高級メーカーが参入する。誠に、人間とは矛盾を孕んだ不思議な生き物だ。吉田拓生氏にはクラシック・ミニの生まれた背景と、ミニが英国社会に与えた影響を、今尾直樹氏にはSUVにプレミアムモデルが誕生する理由を、それぞれ解き明かしてもらった。

text:吉田拓生、今尾直樹 [aheadアーカイブス vol.181 2017年12月号]
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SPECIAL ISSUE クラスレスの時代
階級社会が生み出したクラスレス
SUVにプレミアムは必要か

SPECIAL ISSUE クラスレスの時代

階級社会が生み出したクラスレス

服装を着崩す、いわゆるドレスダウンという行為が当たり前のように行われている昨今だが、よくよく考えてみるとこれは単純なことではない。ドレスアップをひと通り修めた者にだけ許される高尚な服装術だからである。それはまるで、伝統的なオーソドックスな、そしてコンサバティブなファッションや音楽に対する反動として、英国にパンクという文化が栄えたように。

だが英国車を見回してみると、相変わらずクラスソサエティ(階級社会)に支持されたブランドが多いことに気づかされる。ロールス・ロイス、ベントレー、アストン・マーティンは言わずもがなで、それ以外にもスノッブなブランドが多い。

元を辿れば、草創期の自動車は貴族的で裕福な人たちのための乗り物であり、彼らの資金援助によって成立してきたという事実を考えればそれも当然である。しかし貴族の資金も底なしではない。実際にアストン・マーティンを例にとるまでもなく、事ある毎に倒産直前まで追い込まれ、その都度、新たな資金提供者が現れるということを繰り返してきたブランドばかりなのである。
それでも今日、超がつく高級な英国車の人気が世界的に高いのは、英国の階級社会が持つ独特の雰囲気、伝統や格式にあやかろうという人物が世界規模で多いという背景もある。

草木はもちろん人の気配すらなかった広大な砂漠に、オイルマネーを使って突如として未来都市を築きあげた中東・ドバイはもちろんのこと、英国からの移民も多く、建国してまだ250年も経っていないアメリカ、特に東海岸のエスタブリッシュメントたちも、英国による階級文化の香りを何より好む。英国車=高級という考え方はひとつの正義なのである。
 
一方、階級社会に支配されていない、いわゆるクラスレスな英国車は、今日ではただひとつの例外しか存在していない。ミニである。

今日、世界に普及している前輪駆動のブレッド&バターカーの構成手法に最大のヒントを与えつつ、自らは今なお孤高のポジションに鎮座し続けているコンパクトカーは、英国中のワーキングクラスのみならず貴族や有名人にも愛された初めての存在であり、唯一無二のクラスレス英国車なのである。

1959年に生を受け、都合2000年まで作り続けられたクラシック・ミニは、長寿を狙って作られたわけではなく、結果的にそれ以外のブランドが生き残れなかったと考えるのが正しい。その出自を振り返ると、忘れかけようとしている事実に思いあたる。今日では車名のみならずブランド名も兼ねているように思われる「ミニ」というネーミングが、もともとは車名の一部に過ぎなかったという点である。
誕生した当初のミニは、モーリス・ミニ・マイナーとオースティン・セブンという異なるブランドのバッヂを掲げ、各々のディーラーで販売されていた。この車名の元となったのは戦前の大ヒットモデルに付けられていた名称なのである。

つまりこれはデビュー当初、得体の知れない風変わりな小型車に過ぎなかったミニのヒットを祈願するため、偉大なモデルの名を継承させたというわけなのである。
 
戦前から戦後にかけて、英国にはオースティンとモーリスのみならず様々な自動車ブランドが台頭していた。ミニを生んだ親会社であるBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)だけでも格付けの異なる5ブランドを抱えていた。

高級でスポーティなライレー、若干スノッブなオースティンと、その生みの親である上質なウーズレー。中産階級に愛されたモーリスと、そこから派生したスポーティなMGといった具合である。
階級社会の仕組みの中から産み落とされたクラシック・ミニが、後にクラスレスな気風を帯びてひとり立ちしていった背景には、この稀代の小型車が誕生することになったきっかけも含まれていた。

他に先んじて産業革命を経験し、いつの時代も戦勝国としてあった英国の戦後社会は順調で裕福に思えるのだが、事実は異なる。戦争は全ての国民を疲弊させ、大戦直後の英国には鉄も油も不足していた。そこに追い打ちをかけた危機がスエズ動乱だった。
 
植民地を配下に治め、スエズ運河をも手中にしていた英国は世界中から多くの富を集めていた。だが1952年にスエズ動乱が起き、1956年に運河が英国の支配下ではなくなると、石油の供給が度々途絶え、イギリスではガソリンが配給制になるなど、不穏な空気が蔓延したのである。
 
BMCの会長、サー・レオナード・ロードがミニの生みの親となるエンジニア、アレック・イシゴニスに命じたのは、燃料消費の少ない効率の良い小型車の開発だった。クラシック・ミニのコンセプトは機能優先であり、それが英国のクルマ社会にも根強くあった「クラス」という考え方を壊す要因にもなっていく。
 
フロントエンジン・リアドライブ車が一般的だった当時の英国車において、フロントエンジンで前輪駆動のクラシック・ミニは突然変異のような存在だった。まさにトラディショナルに対するパンクのようなものである。
ミニが潜在的に秘めていたパンクの気風は、オーナー像にも波及していった。リバプールの田舎者から成りあがったザ・ビートルズは、国家元首クラスのロールス・ロイス・ファントムを転がすほどの大金持ちになっていたが、そんな自己表現だけに飽き足らず、メンバー4人が揃ってクラシック・ミニを手に入れて注目を浴びた。

新進気鋭とはいえ平民の彼らがロールスを所有することも、またミニのボディに適当に落書きをして乗ることも閉塞感が拭えないでいた英国社会に対する批判を含んでいたのである。

誕生当初のミニにいち早くクラスレスの匂いを焚きつけたビートルズの英断は、若いミュージシャンたちの心も動かした。エリック・クラプトンやポール・ウェラー、そしてデイビッド・ボウイもまた小さなボディに大いなる野心を詰め込みロンドンを駆けまわったのである。

スウィンギングロンドンを代表するデザイナーのマリー・クヮントは愛車であるミニを溺愛するあまり「ミニ・スカート」を誕生させ、モデルのツイッギーとともに一世を風靡した。

ミニが栄華を誇った頃にはロンドン・タクシーの運転手だったポール・スミスという男もまた、クラシック・ミニという格好のキャンバスの魅力には抗えず、モデル末期が迫ったミニのボディをペンキで染め上げ、自らの名を冠した限定モデルをリリースすることでポール・スミス・ブランドのパンクな立ち位置を確認した。

ミージシャンやファッション・デザイナーといった、英国の伝統を打ち破ることで新たな世界観を獲得しようという人物たちのイメージと強く結びつくことにより、クラシック・ミニは「平民のクルマ=質素」というこれまでの常識に立ち向かった。

当初はミニのことを快く思っていなかった貴族階級の間にも、ハラルド・ラドフォードのようなミニをアップグレードさせる職人集団によって仕立てられた個体が普及しはじめ、果ては英国王室の車輛保管庫にもミニが納められることになったのである。
クラシック・ミニがクラスの常識を越え、英国文化を象徴する存在にまでなった背景には、そもそもの概念である効率の良い小型車としての側面と、モータースポーツ界に残した偉大なる戦績が挙げられる。

ミニの前にも後にも、国際レベルのモータースポーツにおいて、排気量の小さなモデルが、クラス分類を越えた相手に勝利し、幾度も総合優勝を成し遂げた記録はない。クラシック・ミニはその出自やデビューのタイミングも良かったが、非凡なポテンシャルにおいてもクラスを超越し、時代を越えて生き抜く術を持ち合わせていたのである。

一方、皆がミニに傾倒したせいもあって、'60年代以降、英国の小型車は急速に力を失っていく。ミニを生み出したBMCもミニを越えるクルマを終ぞ生み出せなかったし、他のメーカーもミニの構造を模しつつ、少し大きなボディを与えることで直接対決を避けたのである。

ロビンと呼ばれる税金の安い3輪の自動車を製作していたリライアント・モーターは、英国車のクラス分けにおいて最下層にあったが、それでも多くの庶民に愛されていた。ミスター・ビーンが度々転倒させ、BBCのトップ・ギアでも酷い扱われ方をして笑いの対象となりながらも、その立ち姿にはどこか旧き佳き、穏やかな英国の街の雰囲気があった。

当のリライアント社は番組に提供するロビンにわざと転倒させるような改造を加え、階級社会における最下層の扱いを喜んで受け入れていたのである。
世紀の変わり目でクラシック・ミニの命脈は絶たれ、BMWミニに生まれ変わった。その陰でリライアントの3輪車の製造がひっそりと終わりを遂げた時、英国自動車産業に根強くあったクラスソサエティは完全に消滅したのである。

上から下まで、あらゆるクラスに向けたクルマが揃ってこそ階級社会が成立する。現在の英国車は、超高級か、ジャガー・ランドローバーのような高級か、もしくはクラスレスなミニしか存在しないのである。
 
クラスレスという考え方が英国の小型車を救い、BMWの擁護のもとで引き続き好評であり続けるのは悪いことではない。けれど個人レベルにおいて現在のミニにあまり魅力を感じない理由は、スノッブな意匠の中に、今にも雨が降り出しそうな、物憂げな英国の匂いが感じられないからである。これもまた全世界でウケるための、クラスレスの功罪といえるのかもしれない。
 
個々の英国像における伝統とパンク、もしくはクラス主義とクラスレスの比率には色々な解釈があっていいと思う。だが'60年代のイギリスに生きたわけでもなく、クラスレスな日本に籍を置くイチ英国車ファンとしては、ドレスアップをそれなりに修めたうえで、ドレスダウンに走ってみたいと思っている。

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text:吉田拓生/Takuo Yoshida
1972年生まれのモータリングライター。自動車専門誌に12年在籍した後、2005年にフリーライターとして独立。新旧あらゆるスポーツカーのドライビングインプレッションを得意としている。東京から一時間ほどの海に近い森の中に住み、畑を耕し薪で暖をとるカントリーライフの実践者でもある。

SUVにプレミアムは必要か

2016年、ベントレー・ブランド初のSUV、ベンテイガ、2939万円がニッポンに上陸し、'17年にはマセラーティ・レヴァンテ、986万7000円が発売となった。

ジャガーにはF-PACE、アルファ・ロメオにはステルヴィオなる中型SUVが新たに加わり、ランボルギーニ・ウルスの量産型が12月4日にサンタガータで正式に発表される。

ホンモノの「砂漠のロールス・ロイス」、カリナンは'18年、アストン・マーティンDBXは翌'19年の登場ともいわれる。ドイツ御三家のプレミアムSUVはセダン同様のラインアップを完成させ、SUVは出さないと明言していたフェラーリだって、最近は口調を変えてきた。

さてはて、お金持ちになぜSUVが必要なのか? 少なくともロールス・ロイスのSUVはいらんだろう、レンジ・ローバーがあれば……とお思いのかたもいらっしゃるかもしれない。ましてフェラーリのSUVなんて。

そもそもSUVというのはカリフォルニアのサーファー文化から生まれたものだから、とは明言できないにしても、主にアメリカで生まれ、アメリカで育った、ということは言える。その意味で、ヨーロッパのクラス文化とは一番遠いところにあったのではあるまいか。

それでもプレミアムSUVは増殖し続ける。いったいなぜなのか?

私なりの答はこうである。ロールス・ロイスのファントムにSUVがあってもいいじゃないか(と岡本太郎の顔のマネ)。カリナンの発表に合わせて必ずや引っ張り出されると予想されるのが、「アラビアのロレンス」ことトーマス・E・ロレンス中佐であろう。考古学者でありながら、第一次大戦中にアラブ戦線で活躍したロレンスは、シルバー・ゴースト・ベースの装甲車を砂漠で愛用した。

晩年、といっても46歳で亡くなったわけだけれど、一番欲しいものは? と訊ねられて、「シルバー・ゴースト1台、それに一生分のタイヤを」と答えた、という。ロールス・ロイスと砂漠に縁がなかったわけではない。

19世紀末に自動車という名の馬なし馬車が登場したわけだけれど、当時の路面はほとんどが砂利だったりして、つまり舗装されていなかった。ということは、自動車というのはそもそもSUVから始まっていた、といえないこともない。
こんにちのSUVの始祖はといえば、もちろん第二次大戦の勝利を連合軍にもたらした偉大な発明品のひとつ、ジープとされる。

戦後、そのジープにならったのがイギリスのランド・ローバーであり、ニッポンのトヨタ・ランドクルーザーであり、成功しなかったけれど、イタリアはアルファ・ロメオMATTA等々だった。ジープ本家にもステーションワゴンがつくられ、それらは主に実用具として使われた、ようである。筆者も自分の目で見たわけではないので、伝聞とさせていただきます。

スポーツ・ユーティリティ・ヴィークルの略であるSUVなる言葉が現れたのがいつかは定かではないけれど、早くとも80年代後半か90年代、日本で広まったのは2000年代に入ってからだと記憶する。はっきりしていることは、プレミアムSUVの嚆矢は1970年登場のレンジ・ローバーであること。こんにちの高性能SUVの隆盛は、2000年発表のBMW X5がきっかけになった、ということである。

X5は当時BMWが親会社だったレンジ・ローバーの姉妹車として開発されたわけだから、この2台は親戚のようなものだ。そして、X5に続いたポルシェ・カイエンが高級高性能オンロードSUVの未来を決定づける。
カイエンというと、当時のポルシェのマーケティング担当重役ハンス・リーデルを思い出す。筆者はカイエンが'02年に発表される前、リーデル氏が来日した際に箱根でインタビューしたことがある。

いまでこそカイエンは成功作だとわかっているけれど、当時のポルシェは911の派生モデルというべきボクスターのヒットで倒産の危機を乗り越え、第三のモデル、カイエンのデビューを予告していた頃で、ポルシェ初のSUVの成否はまったく未知数だった。スポーツカー・メーカーがなんでまた4×4なんぞを出すのか、と筆者を含む世のモーター・ジャーナリストは極めて懐疑的だった(と思う)。

スポーツ・アクティヴ・ヴィークル、SAVとネーミングされたBMW X5がすでにあり、レンジ・ローバーがあって、ポルシェが割り込む余地があるのか。そもそもオンロード用高性能4×4なんて無駄の塊。だれがなんのために必要とするのか。

しかるにハンス・リーデルは自信満々にこんな意味のことを言った。「彼ら(BMW)はわれわれのマーケットを開拓してくれている」

リーデル自身、BMW出身だったから、高級高性能オンロードSUV市場はバイエルン関係者たちが仕掛けた、といってもいいかもしれない。そして、人間の欲望というのは、なるほど必要は発明の母かもしれないけれど、発明は必要の母でもある、という言い回しに納得するものがある。

自動車にせよ、飛行機にせよ、発明された当時、こんなものがなんの役に立つのか。馬車があるではないか、と否定的に見る人びとの声は、いつのまにか消えてしまった。
余談ながら、自動車と同じく19世紀末、ゴールド・ラッシュで賑わうアメリカ西海岸で、労働者のための労働着として登場したのがリーバイスである。いまやオシャレ着としてのプレミアム・デニムなんてのが高級ブランドの代名詞、エルメスやらシャネルやらアルマーニやらから発売されて久しい。周縁からやってきて王の座に着く、というのは、文化人類学上のパターンのひとつのようである。

いまさら申し上げるまでもなく、人間というのはじっとしていられない動物である。その証拠に、一カ所に立ち続けているより、歩いていた方が楽チンだ。退屈するのが大嫌いで、つねに新しいことをしていたい。筆者は寝るのが大好きだけれど、それとて3日も寝続けるのは苦痛で、至難の技だ。

SUVだろうとセダンだろうとハッチバックだろうと、あるいはジーパンだろうと茶碗だろうと、大・中・小、と意味がなくてもつくりたくなるのが人間である。さらに色づけしたり、素材を変えてみたり、足とか取っ手をつけてみたり……、暇つぶしにあれこれ試行錯誤する。高級・中級・低級のクラス分けもその試行錯誤のジャンルであって、ことさら意味を求めても意味がない。

もちろんSUVは4WDをはじめ、余分な機能がついているから高く売れるということはある。だから、つくる。需要があれば売れるし、なければ売れない。人生いろいろ、SUVもいろいろ。人間に近い乗り物である自動車が細分化していくのはごく自然なことなのだ。と鷹揚に構えた方が精神的にもよろしい。

女王陛下にロールス・ロイスのSUVが必要なわけではないけれど、ロールス・ロイスのSUVがあってもいっこうに苦しゅうはない。グラスの底にSUVがあってもいいじゃないか(と岡本太郎の顔マネ)なんである。

多様性こそ人間らしさなのだ。

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text:今尾直樹/Naoki Imao
1960年生まれ。雑誌『NAVI』『ENGINE』を経て、現在はフリーランスのエディター、自動車ジャーナリストとして活動。現在の愛車は60万円で購入した2002年式ルーテシアR.S.。
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