DREAM パリダカの幻影を追う モロッコ、サハラ、アフリカツインの旅

DREAM パリダカの幻影を追う モロッコ、サハラ、アフリカツインの旅

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第2回 AFRICA TWIN EPIC TOUR
2018年5月13〜19日 モロッコ王国

text:春木久史 photo:Francesc Montero Photography [aheadアーカイブス vol.190 2018年9月号]
Chapter
ティエリーの呪縛
憧れの地へ
父子の夢
消えない夢の熾火
●Africa Twin Epic Tour

ティエリーの呪縛

彼が砂漠で死んでからすでに30年以上が経過しているというのに、ぼくは未だにその若者が見せた夢の呪縛から逃れられないでいる。パリダカの創始者、ティエリー・サビーヌが実際にそのラリーを主催していたのは1978年から、ラリー運営中にヘリコプターの事故で死ぬまでの数年間に過ぎない。

だというのに、未だ、彼が作った幻影を、世界中のライダーが追いかける。ぼくもその一人というわけだ。だが、ぼくはついぞ、パリダカを走ることがなかった。彼が亡くなった時の年齢を追い越したのもずいぶん前で、鏡を見れば、かつて夢を見ていた少年の姿はなく、代わりに、見たこともない老け顔の人物の姿がある。

人は、人生のある時期までは、自分の肉体が衰え、やがて死ぬのだということを意識できないものだが、いつか、それは人によって多少の前後はあっても、老いや死が現実味を持って迫っていることを知り、愕然する瞬間がくる。

その時からだろう、自分に残された時間は少ないことにようやく気がつくのだ。いかに自分が無為に時を過ごし、多くのことをやり残してきたということも。やがて、老いの恐怖にも少し馴れた頃から、今度は残された時間で何をすべきか、何をしたいのか考えるようになる。落ち込んでばかりでは、人は生きられないのだ。また、前を向こう、と。

憧れの地へ

モロッコは、パリダカが本当に「パリ〜ダカールラリー」だった頃から、2007年を最後にアフリカを離れて南米に開催地を移すまで、ずっとメインのステージになっていた土地だ。アフリカツイン・エピックツアーは、その聖地を、やはりパリダカで活躍したホンダのファクトリーマシンをルーツにするアフリカツインで走るという、パリダカファンにはたまらない企画なのだ。

ぼくは、もう少し若い頃には、エジプトのラリーを走ったり、また国際6日間エンデューロという世界的な大会でも完走したりという意気盛んな選手だったこともあるが、今はすでに衰え、正直なところ、このようなハードなツアーに耐えられる自信がなかった。が、貴重な機会である。モロッコには行ったことがなく、どんなところかわからない。いや、どんなところかわからないから行ってみたいのではないか?

走るか、どうか。逡巡の末、決断した。行こう。

スペインのホンダが主催するこのツアーは、昨年に続き2度目の開催。国際空港のあるフェズを基点に、7日間で2000㎞近くを走る。参加するのは、ホンダCRF1000Lアフリカツインのオーナーたちだ。スペイン、ポルトガルのライダーが大半で、イタリア人が少し。定員の60名は、あっという間に埋まり、抽選で参加者を決定したという人気ぶりだ。

エルラシディア、ワルザザード、メルズーガ、エルファードと、かつてのパリダカでビバーク地として名前が知られた街を巡っていく。1日の行程は200〜300㎞程度で、オフロードが多く走り応えがある。序盤は、緑豊かなアトラス山脈を北から南に越えていく峠道。南下していくと、次第に乾燥した砂漠の様相になっていく。サハラである。

サハラの道ではアフリカツインが本領を発揮した。地平線まで続く2本のワダチがピスト(道)である。たくさんのワジ(枯れ川)を横切ったり、またその中を、フロントタイヤをとられながら懸命に飛ばしていく時、憧れの地を走っているとことを思った。

父子の夢

毎日、くたくたになってその日のホテルに到着する。それほど豪華ではないが、小ぎれいなリゾートホテル。モロッコは古くよりヨーロッパからの旅行者を受け入れてきた観光立国でもあり、エキゾチックな雰囲気とホスピタリティが両立し、旅は実に快適だ。ぼくはなぜかポルトガル人たちのグループと馬が合い、大抵、夕食のテーブルをご一緒させていただいた。

「今日はエルラシディアを通ったね。あの看板の前で撮った写真、シェアしてくれよ」 コインブラから来たという人は、偶然、ぼくと同じ年齢だった。就職してバルセロナに住んでいるという息子も、一緒に参加している。ガストン・ライエや、シリル・ヌブーが走っていた頃のパリダカに憧れ、そのままずっと生きてきたというのもぼくと同じだ。

「モロッコには初めてだよ。一度は走ってみたかった。こんなチャンスはないよ」、と幸運をかみしめる。息子が知っているのは、もちろん現在のダカールラリーだ。新しいアフリカツイン、CRF1000Lは「父さんに勧められて買ったんだ。このバイクはいいぞ、って。気に入ってますよ」

父のほうは、ぼくと同じ、比較的オフロードに自信がないライダーのグループで走っているが、息子は上級のグループで走っている。2人が知っているのは違う世代のパリダカだが、その憧れのルーツにあるのは、やはりティエリーが見せた夢だ。

消えない夢の熾火

時には岩山のシングルトラックを延々と60㎞も走るような場所もあり、予想していた以上にハードなライディングが続いた。砂丘地帯ではアドベンチャーバイクの重量に苦戦したり。ガイドとサポートカーもいるツアーではあったが、ボリュームも走り応えも本格的なラリーに近いものだった。最終日、再び、アトラス山脈を越えてフェズにゴールした時は、無事に走り切れたことに安堵した。

ここからぼくたちは、また海峡を越えて現実社会へ戻っていくのである。人生のバケットリスト(死ぬまでにやっておきたいこと)には、ひとつ線が引かれただろうか。

そう、ぼくはティエリーに魔法にかけられた時の少年なんかではなく、すでに夢のひとつひとつをリストラ対象にして、整理しなければならない年齢になっている。本当にやりたいことは何か、ってことをよく考えないといけないのだ。だから、次は何をやろうか、と夢を見る。夢の熾火は、消えるということがない。

▶︎ダカールラリーのサポートチームも運営しているオーガナイザーがツアーをバックアップ。メディカルチームも同行していて安心なのだ
▶︎フェズのホテルで参加者の受付が行われた。メディカルチェックもあり、本格的なラリーと変わらない雰囲気だ。
▶︎実は、ツアーの中盤から、ダカールライダーの、ジョアン・バレダとパウロ・ゴンサルベスもツアーに合流して、みんなと一緒に走ってくれたのだ。みんな本当に大興奮のサプライズだった!
▶︎岩山のトレイルを延々と何十キロも...。想像以上にハードな行程だった
▶︎毎日、ホテルに到着するとバイクはパルクフェルメに預ける。サポートチームが翌日のために整備をしてくれるのだ
▶︎ヨーロッパのすぐ近くで異文化を体験できるモロッコは、昔からヨーロッパの旅行者にとっての憧れの地。そのロマンティシズムは「パリダカ」の成立と深い関係がある
▶︎エルラシディア、エルファード。パリダカに憧れた者なら、この地名を見て、心震えないわけがないのである
▶︎メルズーガのシェビ砂丘にて
▶︎今回、ぼくの愛車になったCRF1000LのMT仕様。軽いハンドリング、低回転で粘り強いエンジンで、どんな道でもライダーを助けてくれた。アフリカをアフリカツインで走るなんて、こんな贅沢があるか!?
▶︎オーガナイザーのスタッフと記念撮影。常にポジティブで参加者を励ましてくれる明るい人たち!

●Africa Twin Epic Tour

スペインホンダが主催するHonda CRF1000L Africa Twinのオーナーを対象としたツアー。2017年に初めて開催され、今年で2回目。7日間の日程で、モロッコの砂漠を堪能する。技量別に5〜6のグループに分かれてガイドのサポートで1日200〜300kmを走る。

参加費用は1,800ユーロ(2018年実績)で、宿泊と期間中の食事が含まれている。2019年も開催予定だが、モロッコでは現在テロリズムの危険性が高まっていることから正式な案内はまだ行われていない。

イベントの運営はスペイン語で行われ、主な対象はスペイン、ポルトガルのユーザー。筆者は、CRF1000Lの開発担当で、現在はスペイン(モンテッサ)ホンダ勤務の工藤哲也さんの紹介によりプレス枠で参加した。

http://www.africatwinepictour.com/

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text:春木久史/Hisashi Haruki
1966年生 北海道在住 ビッグタンクマガジン編集長、frmシニアエディター。自らラリー、エンデューロに出場しながら各誌にレポートを寄稿。戦績: 2006年ISDEニュージーランド大会ブロンズメダル、2001年ラリーモンゴリア総合3位、2006年北京〜ウランバートルラリー市販車部門優勝、2007年ファラオラリー完走ほか。現在の愛車はKTM690ENDURO-R、Husqvarna TE449、KTM250SXF
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