私の永遠の1台 VOL.23 いすゞ ピアッツァ ハンドリングbyロータス

アヘッド いすゞ  ピアッツァ ハンドリングbyロータス

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幼少期は誰でもクルマに興味を持つが、私は小学校に入ってもその熱は冷めるどころか更にエスカレートしていった。休みの日には両親にお願いしてディーラーでカタログ収集。更に少ないお小遣いをやりくりしながら自動車雑誌を買うようになった頃、あるクルマに出会った。「いすゞ ピアッツァ」である。

text:山本シンヤ [aheadアーカイブス vol.183 2018年2月号]
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VOL.23 いすゞ ピアッツァ ハンドリングbyロータス

VOL.23 いすゞ ピアッツァ ハンドリングbyロータス

1980年代半ば、日本の自動車メーカーはスペシャリティモデルを次々と登場させた。トヨタ・ソアラ、日産・レパード、三菱・スタリオン、スバル・アルシオーネなどなど。どれも角ばったモデルばかりだが、マヨネーズのような流線型のフォルムのピアッツァに、「なんてカッコいいクルマだ!」と子供ながらに驚いた。

その後、ヒトデ型のホイールキャップが特長的な「イルムシャー」が追加されたが、それにはあまり響かず。そして、運命の一台は初めて行った1987年の東京モーターショー(最後の晴海)にいた。当時参考出品車だった「ハンドリングbyロータス」を見て、「これだ!!」と。

「ピアッツァは初期モデルが美しい」と言う人が多いが、私にはブリティッシュグリーンマイカにゴールドのストライプ、控えめな前後のスポイラー、そしてBBSアルミホイールの何とも言えないバランスの良さが刺さった。また、F1も戦うあのロータスがセットを担当したというサスペンションも興味があった。

1988年に販売がスタートしたが3年後の1991年8月に販売終了のニュースを聞きショックを受けた。当時は私はまだ高校1年生でクルマを買うどころか免許すらない状態。両親に「とりあえず買っておいてほしい」とお願いしたが、当然そんな事はできるわけもなく、泣いた。

その後18歳で免許を取得。しかし中古とは言えハンドリングbyロータスは学生に買える値段ではなく、同じいすゞのFFジェミニを購入。この頃はピアッツァ熱に加え〝いすゞ熱〟も高まっており、その勢いのまま何といすゞのエンジニアリング会社に入社、車両開発に携わるようになった。

もちろん、私が入社した時にはいすゞは乗用車から撤退していたのでSUV担当だったが、社内でジェミニを担当していた先輩エンジニアに「イルムシャーは数値でセットアップしたけど、ロータスは何度もトライ&エラーでセットアップしたんだよ」と聞き、ますます欲しくなったのだが、「自分が納得できる個体が現れるまでは」と我慢した。

その後、クルマを開発する立場から評価する立場へと転職、自動車雑誌編集部を経て2013年に独立したが、残念ながらまだ運命の……には出会えていない。発売から30年、そもそも現存する個体自体が少なくなってきているが、私の想いは今も冷めることはなく、毎日中古車サイトを眺める毎日である。

▶︎現在は乗用車の生産を休止している、いすゞだが、昭和を代表する名車ベレットをはじめ、117クーペ、ジェミニなど、数々の名車を生み出している。中でもピアッツァは、日本車離れしたスタイルから当時、外車と間違われるほどの存在感を放っていた。

また、「ハンドリングbyロータス」とは、当時F1の世界においてハンドリングが特に優れていると言われたロータス社が足回りのセッティングに関わった車両に掲げられる名称である。

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text:山本シンヤ/Shinya Yamamoto
自動車研究家。自動車メーカー開発/パーツメーカー開発から自動車メディアの世界に転身し2013年に独立。「造り手」と「使い手」のかけ橋となるように活動し、ジャンルは広く深く。エンジニアの心を開かせ「本音」を引き出す能力を備える。
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