今、私が伝えたいこと

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二輪、四輪を問わずモータージャーナリストの役割は、時流に沿った新しい情報や社会的な問題を発信していくことである。しかし情報発信の専門家であるがゆえ常に中立であり、考えていることを率直に語ることは少ない。今回は、自らの想いや普段から感じていることを4人のジャーナリストにフリースタンスで語ってもらった。

text:清水和夫、後藤 武、吉田拓生、小林ゆき photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.161 2016年4月号]
Chapter
なぜマツダとスバルは成功したのか
日本の旧車の現状と行く末
W124の神話性
マン島TTレースの存在する意義

なぜマツダとスバルは成功したのか

text:清水和夫


少し前まで、日本ではハイブリッドと軽自動車しか売れない時代が続いてきた。販売の実績をみても、軽自動車が過半数をしめ、登録された乗用車の約50%がハイブリッドだった。この数字を見せつけられると、どんな豪腕な経営者でもハイブリッドがないと会社が潰れると慄いてしまう。

その当時、ハイブリッドが作れなくて迷走していたのがマツダとスバルだった。
マツダは長い間、自立的な経営ができなくて、日本の銀行とフォードに支配されてきた。それでも経営は赤字が続き、何度も地獄を見てきたのだ。2005年ごろ、まだフォードの支配下に置かれていたときに、「自分たちに何ができるのか」と、自社を見つめなおし、世界の常識を打ち破るスカイアクティブテクノロジーを思いついた。

エンジンとシャシーとボディというハードの刷新だけでなく、デザインの統一感を具現化すべく、クルマ作りの原点に立ち返ったのである。

エンジンは高圧縮ガソリンと低圧縮ディーゼルという業界の常識を覆す先進的な技術を実用化した。全てのスカイアクティブテクノロジーが揃ったCX5に乗ったときに驚いたのはエンジンだけでなく、ドライビングポジションを正しい位置にレイアウトし、視界性能とペダル配置にも気を配っていることだった。

さらに高級車に採用されるオルガン式アクセルペダルの採用など、ドライバー中心のクルマ作りが行われていたのだ。
ペダル配置の最適化に関してはエンジンの搭載位置を前方にずらすなど、基本パッケージにもメスを入れていた。その後、続々とスカイアクティブテクノロジーで開発されたモデルが登場したが、圧巻はCX3というスモールSUVだ。

このモデルは日本ではディーゼルオンリーで市販され、Bセグメントにもかかわらず、オルガン式ペダルが踏襲され、ヘッドアップディスプレイや見やすく使い易いカーナビなど、煩雑な操作が要らないドライバーインターフェイスを実現したのである。

一方でプリウスのシステムをトヨタから供給してもらい、待望のハイブリッドをアクセラで実用化した。しかし結果は悲惨だった。アクセラに占めるハイブリッドの割合は7%前後。ユーザーはマツダにはハイブリッドは期待していなかったことが判明したのだ。この失敗は笑い話で済まさないほうがいい。

つまり、マツダのハイブリッドは売るために企画されたもので、マツダが作りたかったクルマではないことがユーザーにバレていたのだ。マツダの強みは何か。スカイアクティブという技術ではなく、「人間中心のクルマを根っこから作る」という強い信念なのである。それがデザインからもユーザーに伝わり、走ると全身で感じることができる。そこがマツダの魅力なのである。
マツダとならんでスバルも好調だ。アメリカでバカ売れしているのが高収益の理由だが、重要なことはアメリカ人がスバルのどこに惚れているのか。それは10年以上前から続く安全へのコダワリではないだろうか。

スバルは水平対向エンジンとAWDがオンリーワンの技術であると主張するが、現実的には技術という手段の先にある安全という価値をしっかりとアメリカで評価されているからだ。

2012年から始まったスモールオフセットという衝突テストがアメリカの保険協会IIHSで実施されたが、トヨタやメルセデスが対応に遅れたものの、スバルはフォレスターやアウトバック、最近ではXVなどの全てのモデルですでに対応していた。

こうした地道な安全性のこだわりがアメリカで絶大な信頼を築いたのである。

スバルもハイブリッドが作れなくて苦労したメーカーだったが、マツダのハイブリッドの失敗から学ぶなら、ユーザーがスバルに何を求めているのかを見つめ直し、しっかりと自分を意識することではないだろうか。今、スバルに対する期待は大きいはずだ。

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text:清水和夫/Kazuo Shimizu
1954年生まれ。自動車の運動理論・安全技術・環境技術などを中心に多方面のメディアで執筆し、TV番組のコメンテーターやシンポジウムのモデレーターとして多数の出演経験を持つ。近年注目の集まる次世代自動車には独自の視点を展開し自動車国際産業論に精通する。

日本の旧車の現状と行く末

text:後藤 武


最近、ヨーロッパやオーストラリアから2ストロークやクラシックバイクに関する色々なニュースが飛び込んでくる。例えば先日はイギリスで80年代に行われていた「PROAMカップ」というRZ250によるワンメイクレースがシルバーストーンサーキットで再現された。

30台のRZ250がこのレースのためにレストアされ、MotoGPの前座で当時と同じような激しいバトルが繰り広げられた。イギリスのバイクショップIDP MOTOが費用を捻出。イギリスのRDクラブのメンバーがボランティアで参加して実現したレースだった。

PROAMカップから世界GP500まで登りつめたニール・マッケンジーがボランティアとしてマシンの整備に参加し、そして30年ぶりに開催されたこのレースにライダーとしても参加して優勝している。

イタリアでは2スト好きな人たちが集まって「250GP」がスタートした。TZ250やRS250など、最近は見かけなくなった日本製のレーシングマシンによる本気のレースが開催されている。ヨーロッパではTZのミーティングも人気で、毎回数百台のエントリーがある。TZ専門のパーツを扱う業者もたくさんいて、古いレーシングマシンを維持していくための環境が整っているのだ。

日本で使い道がないからとバイクショップの片隅で放置されていた埃まみれのTZやRSはヨーロッパの人達が手当たり次第に買い付けてヨーロッパに持ち帰り、丁寧にレストアして整備され、再びサーキットを走っている。
▶︎ヨシムラとモリワキを代表する往年の名レーサー、グレーム・クロスビーが手掛けた「XR69レプリカ」は、イギリスのハリスによってフレームを完全に再現。フォークもゼロから新作してキャリパーもマグネシウムで製作。マフラーもヨシムラ製にするなど徹底している。ちなみに「XR69」とは「GS1000R」の型式名である。

ル・マンではクラシックバイクの耐久レースが行われ、70年代の耐久シーンが再現された。オーストラリアのフィリップアイランドでは、「クラシックマスターズ」というレースが開催され、世界中からクラシックバイクレースの選抜チームが集結してクラシックバイクレース世界一が決められている。

他にもヨシムラやモリワキのライダーとして知られているグレーム・クロスビーは、自分が乗ったワークスマシン、スズキXR69やモリワキのZを忠実に再現してコンプリートマシンとして販売。

ヤマハ2ストマニア達は最強最速の2スト、TZ750を復活させるためクランクケースのキャスティングを製作し、自分達で新品のエンジンを作りあげた。これらのマシンが世界中のクラシックバイクレースで本気の戦いを繰り広げている。

こういった動きは最近になって始まったものではない。古いレーシングマシンを大切にしようという動きは昔からあってビンテージTZ専門ショップやビンテージバイク用タイヤメーカーも90年代からあった。自分達が愛したモーターサイクルを守ろう、歴史を残していこうというヨーロッパの人達の気持ちはとても熱いのである。
▶︎「CROZモリワキレプリカZ Bike」は、かつてクロスビーがレースで使ったモリワキZの再現車。共に10台限定で発売された。

日本では今、2スト人気が盛り上がりつつある。NSR250やRZ250をはじめとして2ストの中古車価格は軒並み値上がりしていく一方だ。少し前、安く手に入れられて速くて面白い、という2ストの図式はもう存在しない。しかしここでひとつ危惧することがある。一過性のブームで終わってしまうのではないかということだ。

少し前、カワサキのZが大変なブームになった。中古車価格は跳ね上がり、気軽に手を出せなくなってしまった。その結果、熱病のように浮かされたムーブメントは急激にクールダウンした。もちろん好きな人達は乗り続けているのだけれど車両やパーツの値段は高くなったまま。以前のように気軽に乗ることは難しい。2ストでもあと1年、2年で同じことがおこるのではないかと考えてしまうのである。

有名な撃墜王、故坂井三郎氏は、自分が零戦に乗っていた時に使っていたものをすべてアメリカに寄付するのだと言ったことがあった。日本で粗末に扱われていた自分のアイテムをアメリカの人達が歴史的なものとしてどれだけ大切にしようとしているか知っての発言だった。

欧米に比べて、歴史的な遺産、ヘリテイジを大事にする意識は我々が完全に負けている。しかし、古いものが見直されている今だからこそ、欧米のようにヘリテイジを大事にして、その上に自分達独自のモーターカルチャーを築くことができるのではないか。

60年代から80年代にかけて、日本は2ストで世界のレースシーンを席巻した。いわば日本を世界一のバイク大国にした立役者である。そんな歴史をもう一度思い起こしたうえで、今の2ストブームを一過性のもので終わらせないよう、大事にしていけないかと思ってしまうのである。

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text:後藤 武/Takeshi Goto
1962生まれ。オートバイ雑誌『CLUBMAN』の編集長を経て、現在は世界を股にかけるオートバイ、クルマ、飛行機のライター&ジャーナリスト。2ストと言えばこの人、と言われるほど、2ストを愛し、世界の2スト事情に精通している。

W124の神話性

text:吉田拓生


英国の友人、サイモンはバイセクシャルだった。彼らのような人物は幅広い「性」を愛することができるので、結果的に知能指数が高いのだと言っていた。それが直接的に「今、私が伝えたいこと」ではもちろんない。けれど今回の自分のホメ方とは方向性が似ているかもしれない。

古いクルマだけを愛しているわけではない。英国車だけを愛しているわけでもない。かつての愛車はアメ車だったり、フランス車だったり、日本車だったことももちろんあるし、ドイツ車である時期も長い。年式にしたって新車から半世紀落ちまで新旧様々。

ようは気の向くままに雑食。良く言えば、視野が広いのだ。だからといってボクのクルマ知能指数が高い? こればっかりは自分で言っちゃカッコ悪い(言ってるか……)。

クルマ好きなら誰でも、愛車遍歴は壮大な旅としてあるはずだ。大枚をはたいた趣味の結晶、その連鎖なのだから、それはきっとアテのない旅と言うわけではないだろう。それをボクは、いつしか「ホンモノ探しの旅」だと考えるようになった。
サーブやポルシェ、モーガンやランチアには大いに興味が湧いたが、今のところ縁がない。インポーターが撤退するから言うのではなく、惚れ込んで都合5台乗り継いだから言うのだけれど、フォードは気のいい友達だったが、ホンモノかといえばそうではなかった。

あれは引き算から生まれた産物。E30のBMWには大いに感心させられたが、メルセデス190Eに乗り換えたら、ビーエムのイメージはとたんに色褪せた。ホンモノはメルセデス、という結論ほどありきたりなストーリーはないだろう。けれども、これはひとつの真実だ。

イチキューマルに惚れ込んだ好き者が向かう先はイチニーヨンしかない。W124型のEクラスである。W124は「ボディ剛性とはなにか?」、「ロールスピードなんたるか?」といった自動車評論に欠かせない表現を実際に体感するためのシミュレーターとしてある。

実際にギョーカイの中には、今なおけっこうな数のW124オーナーがいる。新車のメルセデスを取材する現場に、編集者、カメラマン、そしてライターであるボク自身がそれぞれ20年落ちのW124で駆け付けたこともあったぐらいだ。

ヤナセの担当も「W124にお金を注ぎ込み続けるオーナーは珍しくありません」と言い切るし、清水和夫先生だってその操安性が「宇宙一」だと断言していた。ホンモノだからこそ今でも熱狂的な信者が多く、補修部品だって純正以外にたくさんのジェネリックが出回り、オドメーター20万キロはヒヨッコ、みたいな話になってきているのである。

個人的には、部分的にヤレが進んで違和感が出はじめる190Eより、バランスよくヤレることでストレスを感じさせないW124の方がやっぱりいい。伝え聞いていた通りのホンモノだと実感している。
ここまでチューコのメルセデスをホメちぎっておきながら、しかし「今、私が伝えたいこと」のオチは「みんなでW124を買いましょう」ということではない。W124だけがホンモノだなんて言うつもりは毛頭ないし、ボク自身そろそろ新たな発見を求めて旅に出なければ、と考えているところでもある。

今回のオチは「ホンモノを探すための視野はできるだけ広く持ちましょ~」ということ。新車主義の人も多いし、認定中古車じゃないと色々コワい、輸入車は不安だ、7人乗れないとヤダ、軽自動車なんて安っぽくてキライなんて人もいるだろう。けれどもそんなチッポケな概念に縛られていたら、探し物は見つかるまい。

戦前のベントレーにはスロットルペダルとブレーキペダルの位置が逆のモデルがある。アストン・マーティンDB7はニューポートパグネル製ではないし、実はけっこうユーノス・ロードスターの部品が使われていたりする。KTMクロスボウをドリフトさせるのはF40を滑らせるより難しい。けれどみんな、ガッツリと、紛うことなきホンモノなのである。

じゃあホンモノ、ホンモノって、一体ホンモノの基準はどこにあるのか?  

とどのつまり、自分が納得できるクルマがあれば、それがホンモノなのである。出会いを求めて本誌あたりを熟読していれば、それなりに「W124はスゴイ」、「○×は意外とダメだ」とかなんとかヒントが書いてあるので的は絞れるだろう。それでも、決めるのはあくまで自分であるべきだ。

さぁ、出発の時間ですよ。

●メルセデス・ベンツ W124
メルセデス・ベンツが1985〜1995年にかけて製造したミディアムクラスであり、初代Eクラスのこと。安全最優先の高いボディ剛性、人間工学に基づく機能重視のデザイン設計が“メルセデス・ベンツらしい乗り味”“ドイツ車らしさ”を生み出し、世界中で支持を集めた。「最善か無か」という開発哲学を体現した最後のモデルとして、未だに人気が衰えない名車である。なお「W124」はコードネームであり、吉田氏の愛車は、直列6気筒のE320。


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text:吉田拓生/Takuo Yoshida
1972年生まれのモータリングライター。自動車専門誌に12年在籍した後、2005年にフリーライターとして独立。新旧あらゆるスポーツカーのドライビングインプレッションを得意としている。

マン島TTレースの存在する意義

text:小林ゆき


マン島TTレース。現存する世界最古のオートバイのレースとして知られるとともに、世界でもっとも危険なスポーツと呼ばれることも多い。だが、本当にTTは世界一危険なスポーツなのだろうか。死という側面だけをクローズアップされすぎてやしないか。

TTは112年前から変わらず公道でレースを行ない、これまで同じコースを使う別イベントも含めて248人のライダーが亡くなっている。数字だけを見ると多いように感じるかもしれないが、他のサーキットではどうだろう?他のスポーツにおける死者数はどうだろうか?

TTにおける各種データは、非常に細かいところまで整理され公表されている。それは、マン島の歴史的成り立ちにも関係している。マン島はイギリス属領ではなく独立した地域で、リベラルなお国柄が特徴だ。

千年以上の歴史がある世界最古の近代的民主主義議会「ティンワルド」発祥の地でもあるこの島では、全ての議論が文章で保存され公開される。マン島の法律で開催が施行されるTTも同様に各種データが公開される。

片や、日本でも海外でも、TT並みにデータの蓄積がある事例は少ない。TTは情報が公開されているがゆえに、事故死者数の数字だけがセンセーショナルに扱われてしまっている感がある。

とはいえ、TTでは毎年のように死者が出ているのも事実。にも関わらず長く歴史が続いているのはなぜか。それを繙くには、TTの発祥にまでさかのぼらなくてはならない。
そもそもTTは、大陸での国際レースで勝てなかったイギリスの自動車連盟が、レース開催が難しかったグレートブリテン島以外でテストの場所を求めたことと、観光振興の目玉が欲しかったマン島政府の思惑が一致して始まった。

メーカーにとっては〝走る実験場〟、マン島政府にとっては観光振興による経済的メリットがあった。それだけではない。TTを取り巻く人びとに愛されて支えられてきたのは、TTを支える人までをもリスペクトする文化、そしてTTが時代に合わせてさまざまなチャレンジを続けてきたことにある。

60㎞もの道路を閉鎖して行なう公道レースという性質上、コースマーシャルの存在は欠かせない。初期のTTは、チームワークを期待されて海軍予備兵や地元の炭鉱夫、農民などに依頼したという。

ボランティアであるマーシャルは、長年の活動に対して大英国勲章が授与される例もある。マーシャル活動は大規模な国際レースを支えているという誇りに、そして地元民にとってのアイデンティティとなっていった。

TTは歴史が長いから伝統を守る保守的なレース、クラシックバイクのレースだという誤解も多い。しかし、TTは先進的なレースであるようチャレンジを続けている。

そもそも公道用マシンの信頼性のテストという意味を持たせて始まったTTは、第二次世界大戦後には第一回目の世界グランプリの地として復活した。世界最高峰のマシンが公道レースを走るということは、マン島だけでなく他の公道サーキットでもスピードと安全対策の意味で問題となっていった。

かくして、70年代には公道サーキットが世界GPの場から外されたわけだが、TTで何も対策がされなかったわけではない。バイクで走りながらコースを見守るトラベリング・マーシャル、モータースポーツに特化した救急組織の結成、コース改修やクラッシュパッドの設置、緊急時連絡方法の進化と訓練……。

また、現在は一般社会でも普及している救急ドクターヘリを世界で初めて採用したのは、TTであった。

現在はTT100周年を機に原点に立ち返り、スーパーバイクなど市販車改造クラスのカテゴリーで構成されているが、サイドカーや50㏄、近年では4サイクル単気筒や650㏄2気筒のクラスなど、常に話題のカテゴリーを取り入れてきた。

最近では、2010年から始まったTT–Zeroクラスが注目に値する。排出ガスゼロを目的としたこのクラスは、クリーンエネルギー政策の目玉という役割も持っている。ここに日本から挑んでいるのがTEAM無限の電動バイクレーサー神電だ。大手二輪メーカーではなく四輪レースチームがいちから作った神電は今年参戦5年目となる。昨年、一昨年はワンツーフィニッシュで2連覇を成し遂げている。

モータースポーツの本質は、人間の能力を遥かに上回るマシンを、人間の知恵と運動能力と、反応でコントロールし〝管理された危険〟に挑むことであろう。そこに人は畏怖の念を抱き、スリルを味わい、そこに挑む選手の勇気を讃える。

TTで発生する死は、決して美化されたりはしない。蓄積されてゆく数字として扱われるのでもない。一人ひとりの死を皆が悼み悲しみ、他方、事故を分析して防止へとつなげてゆく。TTは決してゴーラーが言うところの〝死のポルノグラフィー〟ではないのだ。

さまざまな側面を含むマン島TTレースは、モータリゼーション社会に対する壮大なる挑戦のように思えてならない。

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text:小林ゆき/Yuki Kobayashi
オートバイ雑誌の編集者を経て1998年に独立。現在はフリーランスライター、ライディングスクール講師など幅広く活躍するほか、世界最古の公道オートバイレース・マン島TTレースへは1996年から通い続け、文化人類学の研究テーマにもするなどライフワークとして取り組んでいる。
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