特集 ミニチュアカーに昂る

クルマが趣味という人はもちろんのこと、クルマがそんなに詳しくなくても好きなクルマがある人に、ミニチュアカーは同じ悦びを与えてくれる。運転に自信がなくても、ガレージがなくても、たとえ免許を持っていなかったとしても、憧れのクルマを手に入れることができるそれがミニチュアカーの世界。

text:伊丹孝裕 photo:長谷川徹、桜間 潤、原富治雄

Chapter
KYOSHO 京商 ー今なぜミニチュアカーなのか
EBBRO ブロ ー「タミヤ」出身というプライドと拘り
TAMIYA タミヤ ーF1で認められた世界の「TAMIYA」
独自のこだわりを提案するミニチュアカー専門店

KYOSHO 京商 ー今なぜミニチュアカーなのか

text:伊丹孝裕、世良耕太 photo:長谷川徹、桜間 潤、

「京商」が提案するミニチュアカーの世界

▶︎アルピーヌ・ルノー(¥14,490)と、カウンタックLP5000S(¥14,490)は、1/18スケール。歴代ポルシェ他1/64スケールはコンビニ専用モデル(¥500)。その他は1/43 スケールモデル。


子供のオモチャか、趣味人のコレクターアイテム。ともすれば、そんな両極端なイメージで語られがちなのが、“ミニチュアカー”の世界だ。ところがここ数年、そうしたイメージが急速に変化している。子供でもなく趣味人でもない、ごく一般的な大人がミニチュアカーに熱くなっている。

例えば某コンビニ。そこには100分の1スケールのフェラーリが缶コーヒーと共に陳列され、お菓子の棚には64分の1スケールのランボルギーニが並ぶ。そんなシーンに物欲を刺激され、ふと手を伸ばした人も少なくないはずだ。

実はこうした状況の背景には、ラジコンで世界的に有名な「京商」の存在がある。誰もが立ち寄れるコンビニというスペースを活用して、言わば日本最大のミニチュアカーショップを作り上げてしまったのだ。

こうした手軽なミニチュアカーだけではなく、マニアをうならせる精巧なスケールモデル造りこそ京商の真骨頂だ。最大12分の1スケールまでの様々な自社ブランドのバリエーションを展開する一方、海外メーカーのディストリビューターとして27社もの製品を取り扱い、常にミニチュアカーの魅力を発信し続けているトップブランドである。

▶︎2004年にスタートしたサークルKサンクス限定の1/64スケールコレクション。累計で1,200種類を超える人気シリーズである。


今回は同社のダイキャストグループに所属する後藤陽輔氏と岡部映広氏にミニチュアカーの魅力について話を伺った。

「ミニチュアカーの魅力は、そのスケール感からくる手軽さにあると思います。私ども京商は、2006年から4年間、表参道ヒルズ内にアンテナショップを構えていました。女性の買い物の付き合いで来た男性がふと立ち寄ってミニチュアカーを買い求める、あるいは女性が男性へのプレゼントとして買って行かれたりしたんですよ。それまでミニチュアカーを手にしたことがなかったり、子供の時に遊んで以来だったりするお客さまが大半でした。大きさや価格帯が違ってもコンビニの場合と同様、きっかけさえあれば誰にでも手に取って頂けることを実感したのです。ミニチュアカーは、クルマ好きには、宝石のようなもの。そう考えてもらうと興味のない方にも少しは理解して頂けるんじゃないでしょうか。自分ではなかなか買わないけれど、自分の物になるとすごく嬉しいという点でも似ていますよね。それにプレゼントしてもらった時、相手が自分の好みや拘りを考えて選んでくれたんだということが伝わるアイテムでもありますから必ず喜ぶ顔が見られますよ」。

▶︎京商は自社ブランド製品のほか、『MINICHAMPS』、『ixo』、『J-collection』、『HOTWHEELS』、『Premium ClassiXXs』など27社の海外製品を販売している。


では、そういったマニアではない人がミニチュアカーを選ぶポイントはどこにあるのだろうか。

「一番多いのは、自分が乗っているクルマや、彼やご主人が所有しているクルマを選ぶケース。もうひとつは、かつて自分や家族が乗っていた、あるいは憧れていたクルマを選ぶ過去を振り返るケース。いずれにしろ、大切なものをカタチに留めて家の中に置いておけることが魅力のひとつだと思います。誰もがコレクションに走る必要はないですし、お気に入りの一台を探し出してもらえると嬉しいですね」。

手に入れた一台を机や本棚、あるいは玄関などにさり気なく置くことも提案してくれた。花や絵画を飾るのと同じように自身の世界観を表現するツールになるからだ。

「写真やビデオって記憶を2次元で残すものですよね。ミニチュアカーはそれを3次元、つまり立体化して残せるのが魅力なんです。それがスーパーカーだったりすると、子供の頃に感じたワクワク感をボディに触れながら思い出して、その頃の気持ちに帰れるんです。イマジネーションで時間を巻き戻すことができるタイムマシンなんですよ」。

現実的には、手に入れられないクルマの数々を部屋の中に飾ることができて、なおかつ何の条件にも縛られないのがミニチュアカーの世界なのである。

昔、夢中になったスーパーカーや、お金があっても買うことができないレーシングカー、今は現存していない“幻の”が付くクラシックカーや限定生産車…。

そんな憧れの対象を上からも下からも自由に愛でて、ガレージを持たなくても自分の生活空間に自由に置くことが許される、そんなクルマ好きの究極のテーブルホビーがミニチュアカーなのだ。

------------------------------------------
text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。

EBBRO ブロ ー「タミヤ」出身というプライドと拘り

text:世良耕太 photo:長谷川徹、桜間 潤

▶︎静岡市葵区にあるEBBRO本社のはす向かいにあるショールーム。現在発売中のミニチュアカーはもちろん、絶版となった歴代モデルまでが集められている。

記憶の中に刷り込まれたイメージの再現

ミニチュアカーは星の数ほどあれど、お気に入りに出会うのはなかなか難しい。クルマに対する思い入れが人それぞれだからだ。

例えば、少年の頃に雑誌で目にしたF1マシンを手に入れたいと思う。穴の開くほどレポートを熟読したので、お気に入りのドライバーが何週目にどうやって先行車を料理し、レースを制したのか克明に覚えている。雑誌で見た記憶しかなくても、記憶の中でそのマシンは、いつも躍動感たっぷりに動いている──。

手に取った瞬間に「そうそう、これこれ」というミニチュアカーが欲しいのだ。実車を忠実に再現していることが重要なのではなく、記憶の中に刷り込まれたイメージとぴったり合うような。

エブロが送り出す43分の1スケールのミニチュアカーは、「そうそう、これこれ」と感じさせてくれるものが多い。かつてよく耳にしていた音楽を聴いた途端、頭の中に当時の状況が鮮やかに浮かんでくるように、エブロのミニチュアカーを手にすると、そのクルマやそのマシンが濃密な印象を与えてくれた時期に、意識がタイプスリップする。どこかに極意があるのだろうか。

「好きなことをやっているだけですよ」とエブロを率いる木谷真人さんは言う。どのモデルを製品化するかは木谷さんの気持ち次第。「これだ」と決めたモデルを図面化するのも自身の手で行うことが多いという。

「精密さだけに頼ると、見た感覚と違ってくるケースが出てくる。そこには手を加え、自分の思っている形に整えます。最後は自分との戦いですね。『ここで終わり』と区切ってしまえば終わりにできる仕事なんですが、それでは済まない。そういう拘りは「タミヤ」さんに教えていただいた部分です。自分が納得するまで作らなければ意味がないと」。

プラモデルメーカー タミヤでの仕事が原点

▶︎EBBROの製品は1/43が基本となる。現行車を中心とする『HOT!』。'60年代から'70年代にかけての国産車を再現した『Oldies』。スーパーGTマシンを精巧に表現する『SUPER GT』。過去から現在に至るまでのレーシングカーを集める『RACING』。また1/20から1/24までのスケールで精緻にクルマやバイクを表現する『Premium Collection』などもある。

1950年生まれの木谷さんは、世界的なプラモデルメーカータミヤの出身。1998年に独立し、エブロを立ち上げた。北海道で学生時代を過ごしていた木谷さんは、タミヤ(当時の社名は田宮模型)が1967年に発売した12分の1スケールのプラモデル、ホンダRA273を手にし、衝撃を受けた。「まったくレベルが違う」と。“将来のことなど何も考えていなかった”木谷青年の心は決まり、静岡に出てタミヤの門を叩いた。

実は、1996年から97年にかけて、タミヤは43分の1スケールのダイキャスト製ミニチュアカーを販売していた。そのプロジェクトを担当していたのが木谷さんである。

「プラモデルの型を香港で作っていたので、その要領でダイキャスト用の型を作りました。完成品に組み立てる工場は、ドイツレーベルの知り合いに紹介してもらいました。ところが時代が早すぎたのか、結局タミヤはダイキャストから手を引くことになりました。せっかくいろんな人の協力で始めたのにやめてしまうのは惜しいと感じたのです」。

そこで、木谷さんは腰を上げたのである。タミヤという組織が大きくなるにつれ、企画が通りにくくなっている時期でもあった。

「社内でやりたい、と会長(田宮俊作氏)に伺ったところ、『そんなにやりたいなら自分で金を出して作ればいい』と言われました。それを真に受けて、やれるんじゃないかと思ってしまったんですよ。手持ちの資金で初期投資分くらいにはなるだろうと。製品化に至る一連の業務を通じて、43分の1のダイキャストカーを作るのにどれくらいの投資が必要かが分かっていましたから。できるかもしれないと」。

売り言葉に買い言葉ではないが、木谷さんはタミヤを離れてエブロを立ち上げ、43分の1スケールのミニチュアカーを自らの責任で世に送り出すことになる。いや、「世に問う」と表現した方が当時の状況を正確に描写しているかもしれない。

エブロのスタートは3点の作品から始まった

(右)『ZENT CERUMO SC430 SUPER GT500 (2011)』(1/43スケール、¥7,140)。
(中)『KEIHIN HSV-010 SUPER GT500 (2011)』(1/43スケール、¥7,140)。
(左)『SG CHANGI IS350 SUPER GT300 (2011)』(1/43スケール、¥7560)。


退職した木谷さんは、タミヤから退職金を受け取った。30年近く務めた会社を辞めたのだから当然の話だが、退職金にしては額が大きかった。田宮俊作会長の、木谷さんを応援する気持ちが乗っていたのだ。

「タミヤという会社は、無茶苦茶カッコイイですよ」と木谷さんは相好を崩した。「会長の気持ちを受け止め、受け取ったお金は全部投資に回しました。おかげで最初に3点も作ることができました。SR311フェアレディとKPGC10(スカイラインGT-R)、それにNSXです。古いクルマを作りたかったのです。日本の自動車の歴史をミニチュアカーで再現したかった」。

NSXを初回のラインアップに入れたのはリスクを回避するためだったが、杞憂に終わる。

「なんでこんなものを出すんだ、と関係者からびっくりされましたが、結果的には売れて、お客様の支持は得られました。『日本のこの時代のが欲しかった』という声をいただけたのはありがたかったです」。

トヨタスポーツ800に2000GT、ホンダS800に日野コンテッサ……。日本の自動車の歴史が手のひらに載るスケールでよみがえったのである。

「きちんと作らなければミニチュアカーは日本に定着しない」。

木谷さんのそうした熱い思いは、手のひらに載せた小さなクルマからひしひしと伝わってくる

現代の日本のレースも応援していきたい

(右)'66年の日本グランプリにエントリーした『ダイハツ P3』(1/43スケール)。
(左)'69年の日本グランプリのウィナーカー『DAY&NITE Special』(1/43スケール)
価格はともに¥7,140。


乗用車だけでなくレーシングカーが充実しているのもエブロの特徴だ。やはり、木谷さんが胸を熱くした時代、日本のモータースポーツの黎明期をにぎわしたマシンが充実している。しかしそれだけではない。最新のスーパーGTのラインアップも極度に充実しているのが特徴だ。

「結局レースが好きなんですよ。宣伝のためというのではなく、シンパシーを感じるチームやドライバーを応援したい気持ちからスポンサードもさせてもらっています」。

スーパーGTの43分の1モデルもまた、拘りの固まりである。例えば右頁写真のZENTセルモSC430。このモデルが発売までに時間がかかったのにはワケがある。

「色がなかなかできなかったのです。色見本をいただいて調合するんですが、バランス点がなかなか見つかりませんでした。それに、メッキが大変。メッキの上にクリアコートを施し、その上にさらに塗装してから、マスキングしてみたいな手の込んだことをやっていますから」。

唸るしかない仕上がりである。

実物を目の前にすると、技術力の高さと思い入れの深さを感じずにはいられない。

エブロ初のプラスチックモデルを発売する

▶︎『ロータス72C』1/20(予価¥6,090)のプラモデルキットを製作するにあたり、タミヤに了承を得ようと出向いた。そこで田宮俊作会長から、「同型のエンジンを卸してもいい」という申し出を受ける。しかし木谷さんはその話を断ったという。これ以上タミヤに甘えてはいけないという自戒と、自身が企画する製品への自負が見える。


そして今、「なんでやるのと聞かれても、好きだから、としか答えようがない」気持ちで3月の発売に向けて準備中なのが、20分の1スケールのプラスチックモデルのキットだ。第1弾は、左頁写真のロータス72Cである。なぜ72Cなのかという理由を聞くと、またも思い入れの深さと拘りが伝わってくる。

「1970年に雑誌の表紙になったのを見て、衝撃を覚えました。前作の「49」は、普通の葉巻型なのに、これはウェッジシェイプと呼ばれる全く新しい形をしていたのでびっくりしましたね。模型を作る立場で言うと、72Cはモノコックがむき出しで、じかにペイントしている。72Eは、その上にボディシェルを被せて二重構造にした。72Eも出したかったので、そのためにはベースになる72Cが必要だと考えたんですよ。本当にバカみたいでしょう」。

モデル製作のハードルを下げるために成形色を赤にし、デカールを貼るだけで完成する作りにしている。作り手への心配りも忘れていない。

ミニチュアカーにしてもプラモデルにしても、売る側に情熱がなければ、製品化は前に進まない。その点、エブロの製品は木谷さん自身が納得した逸品ぞろい。ファンの心を打つのは、好きなことに打ち込んだ仕事の跡や思い入れの深さが、製品からにじみ出ているからだろう。

「作りたいから作っている」と言いながらも、「欲しがってくれるのはうれしい」と言うあたりに、木谷さんの人柄が表れている。

TAMIYA タミヤ ーF1で認められた世界の「TAMIYA」

text:世良耕太 photo:原富治雄

ホンダのF1が導火線だった

静岡の一模型メーカーだった「田宮模型」を世界の「TAMIYA」に育て上げたのはF1だった。

モーターを内蔵したプラスチックモデルで争うスロットレーシングカーのムーブメントに乗り、業績を上げ、精密な戦車模型の商品化に成功したタミヤは、F1の模型化に乗り出した。決断したのは当時、模型の企画・設計に携わっていた田宮俊作氏である。田宮模型の2代目にして、現タミヤの代表取締役会長だ。

俊作氏は1965年のメキシコGPでホンダRA272が優勝したニュースを目にし、「次はF1」との思いを強くした。ホンダが四輪車事業に進出して間もない時期の出来事で、世界的な快挙に違いなかった。だが国内では、大きく報道されることもなく、製品化しても売れる保証はなかった。

その背中を押したのはイギリスのタミヤの代理店だった。

ヨーロッパではF1が認知されているだけでなく、ホンダのF1活動と初優勝が広く認知され、好意的に受け止められていることを教えてくれた。だから「必ず売れる」と。

1966年、ホンダの好意により、開幕戦モナコGPに向けて空輸の準備にあった新型のRA273を、羽田空港の倉庫で撮影することを許された。タミヤのスタッフは慌ただしく撮影し、模型づくりの基礎とした。

ホンダの創業者である本田宗一郎氏のお墨付きをもらった「1/12ホンダF1 RA273」は、1968年にドイツで開催された世界最大級のホビーショーに出展されると、大評判を呼び、タミヤのF1模型がヨーロッパに定着する火付け役となったのだ。

(上段)  '66年のホンダF1 RA273(1/12 ¥9,240)。
(中段左)  '77年のウルフWR1(1/12 ¥9,660)。
(中段右)'76年「F1イン ジャパン」のタイレルP34(1/20、¥3,570)。
(下段)'87年にセナと中嶋 悟がドライブしたロータス99T(1/20 ¥2,730)。


現代に比べれば情報の管理が緩かったのだろうが、タミヤの仕事ぶりが評価されたことも無視できない。

他のF1チームに取材の打診を行うと、「レースの現場では取材が大変だろうからウチのファクトリーに来い」という誘いまで来たという。その頃はまだ、ロイヤルティ(著作権使用料)という利権の概念が希薄で、フェラーリを相手にしてさえ、創設者のエンツォ・フェラーリに製品を贈呈すれば済んだそうである。ときには、F1チームの方から「取材しに来ないか」と打診してくることもあったという。

ビジネスとして、その身を結んだのが1977年に発売したF1模型20分の1スケールの第1弾「タイレルP34」だった。日本初開催、76年のF1グランプリで富士スピードウェイに姿を現し、当時の少年たちのハートをわしづかみにした「6輪たいれる」である。

このときタミヤはティレル(現在の表記)に対して数千万円のロイヤルティを支払った。タイレルP34は日本でも大成功を収め、ロイヤルティに見合ったビジネスとなったが、ヨーロッパでもタミヤの名を不動のものにする効果もあった。

これ以降、タミヤの元にはビジネスを求めてF1チームが声を掛けてくるようになる。販売の主力はあくまでヨーロッパで、売上の7割から8割はヨーロッパが占めた。

▶︎'91年から'93年までタミヤがスポンサードしていたチーム・ロータスのロータス102B。フロントウィングにTAMIYAのロゴ、リアウィングにはタミヤのシンボルである星のマークが貼られている(ドライバーはミカ・ハッキネン)。


日本での販売に変化が現れたのは、1987年に鈴鹿サーキットで日本グランプリが開催されるようになってからである。日本人初のフル参戦F1ドライバー、中嶋悟選手や、セナ、プロスト、マンセル、ピケ選手らの活躍。そして、テレビ中継の開始とあいまって、F1人気が爆発した。日本が好景気に浮かれていたこともあり、多くの日本企業がF1チームをスポンサードし、ブランドロゴが車体をにぎわせたのだ。

タミヤも1991年から93年にかけてロータスをスポンサードした。それまでにティレルやウルフをレース単位で支援したことはあったが、年間を通じてのスポンサードは初めてだった。従来のスポンサー活動と決定的に異なっていたのは、車体にロゴを貼って宣伝をするのが目的ではなく、財政難に陥ったチームを救うのが目的だったことである。

ビジネスは抜き。俊作氏がロータスの経営陣の人柄に惚れて行ったピュアな行為だった。世界の「TAMIYA」に育て上げてくれたF1に対する恩返しの意味もあったのかもしれない。

ロータスはロータスで、財政的な苦境から脱した後も無償でマシンにロゴを掲出し、タミヤに敬意を表した。1991年のロータス102Bが、現在もタミヤ本社ビルに展示してあるのは、友情の証と言えよう。

-----------------------------------
text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/

独自のこだわりを提案するミニチュアカー専門店

ミニチュアカーを手に入れたいと思う方に個性豊かな3店舗を紹介しよう。

TMT ー「絶版モデル」のみを取り扱う

西麻布の一角で、絶版ミニチュアカーのみを販売する店が『TMT』である。並べられるのは、CORGIやDINKYなどの海外メーカーから、トミカ、ダイヤペットまでと幅広い。「実車が走っていた当時に発売されたミニチュアカーは、当時の空気をリアルに伝えてくれる」(内藤 徹代表)と、絶版車にこだわっている。「造りは精巧じゃないかもしれない。でも、パッケージも含めて郷愁感を誘われるのが絶版ミニチュアカーの魅力ですね」とも。

■Data
東京都港区西麻布1-12-1宅間ビル1F
TEL:03-5414-8030
http://www.minicar-tmt.com/

ミニカーショップ イケダ ー常時5,000種類を在庫

オープンしたのは1976年という老舗の専門店。約36年にわたり、ミニチュアカーファンの支持を得てきたのが『ミニカーショップ・イケダ』である。クルマを中心に、オートバイ、航空機など、常時5,000種類を在庫している。「他店にないものがあるというところで勝負したい」と池田直治社長は語る。初心者から、コレクターまで足を運ぶ理由がそこにあるのだ。なお、同店ではミニチュアカーの魅力と知識を伝えるフリーマガジン『minicar magazine』を毎月発行している。

■Data
東京都荒川区西日暮里2-25-1ステーションガーデンタワー201
TEL:03-3806-7779
http://www.minicar.co.jp/

GREASE ーミニチュアカーの世界に飛び込む扉になる店

お台場のトヨタMEGA WEBの中のヒストリーガレージにあるミニチュアカーショップが『GREASE』だ。クルマ好きが集まるヒストリーガレージにミニチュアカーの店舗を構える理由は、国内外のかつての名車を見に訪れて、ワクワクした心そのままにミニチュアカーを手にしてもらいたかったからだという。ミニチュアカーファンはもちろん、これまでミニチュアカーに縁がなかった人でも楽しめる店が『GREASE』なのである。単にミニチュアカーを販売するのではなく、ミニチュアカーの世界を楽しんで欲しいというのが、責任者の森田静雄さんの考えだ。よって、『GREASE』のミニチュアカーは、“いかにカッコ良く、いかに実車に近いイメージで見てもらえるか”を考え、照明や、車両の配置角度までこだわっているのだ。

■Data
東京都江東区青海1丁目-3-12 パレットタウン
メガウェブ ヒストリーガレージ
TEL:03-3599-0601
http://www.grease-shop.co.jp/