春の海へ 熱海 池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家を訪ねて

アヘッド 春の海へ

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春の海は格別だ。風はまだ冷たくとも、波は、少しずつ力を蓄えたはじめた太陽の光をたっぷりと湛えて、確実に春が近づいていることを教えてくれる。だから、一足早く春を感じたくなったら海へ向かうのがいい。熱海へ行くのはどうだろう。芸術家が愛した場所でゆったりとした時間に浸るのもいい。

text:岡小百合  photo: 長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.172 2017年3月号]
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熱海 池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家を訪ねて

熱海 池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家を訪ねて

梅が咲き、水仙がほころび、沈丁花の花の香りが鼻をくすぐる頃になると、決まって海に心誘われる。夏の賑わいも、秋の切なさも、昨日まであった冬の厳しさの影すらない春の海には、どこか特別な面持ちがあるな、といつも思う。

波が寄せては返す岸辺に立つと、温かい眼差しに包み込まれているような安心感と穏やかさに、体中が満たされていくような心地になる。それを無性に味わいたくなるのだ。

今年初めて出向いた海には、春の訪れを告げる激しい風が吹き付けていた。沖から寄せる波は、波濤を白く泡立たせては砕け、地鳴りのような音を響かせていた。風に巻き込まれまいとするかのように、カモメの群れは一斉に翼を大きく広げながら、波頭で戯れていた。

砂が舞い、髪の毛の隙間にざらざらと潜り込んだ。それでも、陽光を受けてきらめく水面はやっぱり温かく穏やかな表情で、水平線まで横たわっている。この季節の海独特の、なまめかしいとろみをたたえながら。

ただひたすら、ここに居る。そのことにまったく飽きない。人はエネルギーを得たい時には森や山の木々に頼り、逆に放出したい時には自然と水辺に近づくものだと、どこかで聞いたことがある。そんなことと関係があるのかどうかはわからない。

けれど、少なくとも、何かに追われるようにして時をこなす日常を手放す開放感に、これほどふさわしい場所はないような気がする。潮の香りを胸いっぱいに吸い込んでは吐き出しながら、この小旅行に出かけられた幸せを思った。

都心から、クルマで走ること約1時間半。高速道路を乗り継いでたどり着いたのは、伊豆半島の入り口辺りだ。長い時間をかけて波に浸食された海外線にへばりつくようにして、道路が走っている。小刻みにカーブが連続する伊豆の海岸線は、ドライブやツーリングの目的地としても人気が衰えない。

海のすぐ背後には、山々につながる急峻な地形が連なっているから、海沿いの道ばかりか、ワインディングロードにも事欠かない。海に沿っても山へ矛先を向けても、風光明媚な景観と、ファントゥドライブな道が約束されているのだ。


左手に海を確かめながら、潮風が吹く道をゆるゆると走った。免許を取得してから、この道を何度走ったかわからない。そのほとんどが、クルマでの移動だった。けれど、実はここ最近はバイクを走らせて来ることの方が多く、だからクルマでの伊豆行きは久しぶりのことだった。

あらためて考えてみると、歳を重ねるごとに、やりたいことが増えていることに気づく。体力に反比例して、知恵がつき、理解力が増し、それとともに出来ることが増えている。その一方で、自分には出来なくてもいいと、割り切れる事柄も回数も増えてきた。それでも割り切れないことはやってみればいい。

そんな風に単純明快に、受け入れる潔さ、明るさも身についた。そして、それでも割り切れなかったことの一つがバイクに乗ることで、だから一念発起して一昨年の夏に二輪免許を取得したのだ。そうして手に入れた世界の素晴らしさに心打たれ、身体ひとつでシートに跨り、空や大地と一続きになって走る圧倒的な爽やかさに魅了されている。


それと同時に、クルマだけが持つ魅力を、あらためて感じる機会が増えているのは、予想外の実りだった。誰かを乗せ、荷物を積み、思うままにハンドルを切れば前へ進む。生身の身体を風にさらし、常にバランスを保ち続ける張りつめたような緊張感はいらない。

乗車する全員が前を向いて座るシートの配置は、目を合わせる必要がないから妙な鎧がほどけるのか、他愛もない話が、お互い素直に口をついて飛び出したりもする。毒にも薬にもならない他愛もない会話が、そして他愛もない会話ができる他人の存在が、どれほど人の毎日に潤いを贈ってくれることか。そんなことも、今さら再認識し得たのは、バイクに乗れるようになったおかげかもしれない。

特に、暗く冷たい冬を脱いで早春の海を見に来たこんな日は、クルマで走るのが気分だ。そう感じたのは、この日のパートナーがスズキ・スイフトだったこととも無縁ではないと思う。実直という言葉がぴったりなスイフトには、オープンカーやスポーツカーのように煌びやかな華やかさも、無駄に主張してくるような高揚感もない。

鮮やかな赤のボディーカラーをまとっていてもなお、奇をてらったところが一つもない。小さな入江の漁港に分け入っても、そこに立ち込める人々の生活の営みの匂いを邪魔したりすることもない。だからこそ、交される他愛もない会話は他愛もないままの姿で愛おしく、窓越しに広がる海はどこまでも穏やかな表情で窓の向こうに光っていた。


熱海近くまで来て、ハンドルを右へ切り、山へ向けて急な坂を上った。この日のもう一つの目的地に向かうためだ。

伊豆は、徳川家康も入湯したと伝えられるほど、古くから栄えた温泉場があちらこちらに点在し、海の幸と山の幸の両方に恵まれた美食の宝庫でもある。温暖な気候も手伝って、観光地としてだけでなく、別荘地としても知られる場所だ。都市とは違う、ゆったりとした時が流れている。

この地が持つそうした要素が不要な澱をそぎ落とし、生々しい創造のエネルギーを覚醒させるのか、文豪が長逗留して小説を書き上げたとか、芸術家がアトリエを構えているといったエピソードにも事欠かない。

池田満寿夫もそういう一人だ。そして、夫人で世界的バイオリニストでもあった佐藤陽子と共に暮らした家が、山の中腹にそのまま残っている。池田の死後、佐藤によって熱海市に寄贈されたその家は、現在「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」として公開されている。

その名のとおり、共に芸術家だった二人が、自宅兼仕事場として暮らした住まいだという。遠慮がちに海をのぞむその家は、急な階段をのぼった先に建っていた。

「エロスの画家」 ヴェネツィア・ビエンナーレをはじめ、世界の名だたるコンテストで受賞。

ニューヨーク近郊ほか、世界のあちらこちらに居を構え、筆を握ってきた芸術家。絵画や彫刻のみならず、芥川賞作家、映画監督としても知られる奇才。生涯で4人の女性をパートナーとした男。池田満寿夫の名につきまとう、そんな激しさ、華々しさからは想像しがたいほど、その家はひそやか、かつ、穏やかな佇まいだった。


住まいの中に足を踏み入れても、その印象は変わらなかった。家には、そこに住まう人の個性が、どうにもこうにも滲み出るものだ。

家具や調度品の配置をはじめ、展示用に若干の手直しは施されているものの、風呂場を飾るステンドグラスの色彩の組み合わせ方や、ヘラジカの角をあしらったランプシェードの飾り方、ドアにあしらった小さなブロンズ作品などが、芸術を愛する住人のものであったことを物語っている。

その一方で、中古で手に入れたというその家は、小さめにいくつもの部屋が仕切られた間取りや、狭く急な階段などが、いかにも昭和の時代の住居らしい。

とびぬけて豪華でもなければ、まったく奇抜でもないけれど、好きなものをセンスよく採り入れ、心地よい空間を築き上げて生活し、創造の源にもした、贅沢な心の在りようがうかがえるしつらえは、「素敵」という言葉がぴったりのように思えた。熱海での日常を心から愉しみ、佐藤との生活を慈しんだ。そんな残り香が、そこかしこに立ち込めていた。


池田の作品が持つのびやかな線は、人生の賛歌に違いない。理屈や理論や常識を超えて、感情に染み込んでくる明るさと正直さ。それこそが、池田が人の心をつかんだ理由なのではないか。そんな風に感じながら池田の絵を眺めるうち、皮張りのソファーに腰かけて窓の外を見つめながら、夫婦が交すおしゃべりまで、なんだか聞えてくるような気がした。

波は相変わらず、白い波濤を泡立てながら岸辺に寄せている。その向こうに、どこまでも穏やかで温かい春の水面が横たわっていた。なまめかしいとろみをたたえながら。

スズキ スイフトHYBRID RS


車両本体価格:¥1,691,280(2WD、税込)
排気量:1,242cc
車両重量:910kg
最高出力:67kW(91ps)/6,000rpm
最大トルク:118Nm(12.0kgm)/4,400rpm
燃費消費率:27.4km/ℓ(JC08モード)

*写真はセーフティパッケージ装着車(価格:¥1,787,400(税込))
1匹の柴犬から始まって多いときで20匹もの犬とともに暮らした池田満寿夫・佐藤陽子夫妻。「犬は子どもと同じ」そう言っていたという。『しっぽのある天使 わが愛犬物語』(文春文庫)は愛犬との事件に満ちた日々を描いた池田満寿夫氏の著書である。池田満寿夫・佐藤陽子創作の家には家族写真のごとく仲睦まじい愛犬との写真が飾られている。
広々としたリビングルームは、現在は来館者の喫茶室としても使われている。大理石の机などの調度品は昔のまま。昭和に建てられた家らしく、廊下は狭く、階段もやや急。そんなことに懐かしさを感じたりする。
玄関や窓など、家のところどころに採り入れられたステンドグラス。その使い方のステキなこと! こんなお風呂だったら日中、ゆったりと湯船に浸かるのも気持ちいいだろうなぁとうっとり。
氏が生前に使っていた絵筆がそのままに。当時の息遣いまでが伝わってくるよう。
熱海に移り住んでから始めたという陶芸。二階の和室には彼の手による作品が展示されている。熱海市には陶芸を中心にブロンズ、書、版画などを展示した「池田満寿夫記念館」も開館している。

http://www.city.atami.shizuoka.jp/page.php?p_id=633

池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家

上:企画展『ヴェネツィア・ビエンナーレ大賞作品』(第一期展示・5/22まで)に展示されている銅版画「愛の瞬間」(1966年)。第33回ヴェネツィア・ビエンナーレ展にて版画部門大賞を受賞した作品。詩人・富岡多恵子と付き合っているころの作品で、彼女との出会いによって、池田満寿夫の才能は一気に開花した、と言われている。

下:アトリエとして使われていた部屋。右手階上部分は書斎だった。

住所:静岡県熱海市光町10-24
熱海駅から徒歩13分。駐車場は1台のみ。クルマの場合は駅前駐車場に停めて徒歩かタクシーで。

TEL:0557(81)3258
開館時間:9:00〜16:30(最終入館は16:00)
休館日:毎週火曜日(祝日の場合は開館)
入館料:大人300円/中・高校生200円/
小学生以下無料(ただし保護者同伴)

www.city.atami.shizuoka.jp/page.php?p_id=636
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text:岡小百合/Sayuri Oka
大学卒業と同時に二玄社に入社。自動車雑誌『NAVI』で編集者として活躍。長女出産を機にフリーランスに。現在は主に自動車にまつわるテーマで執筆活動を行っている。愛車はアルファロメオ・147(MT)。40代後半にして一念発起し、二輪免許を取得した
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