EVオヤジの未来予想図 VOL.2 自動車失恋記念日

アヘッド EVオヤジの未来予想図

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TVや新聞等のメジャーなメディアが、これほど繰り返しモーターショーを報道したことはなかったかもしれない。それほどにフランクフルト・モーターショーは衝撃的であった。

text:舘内 端 [aheadアーカイブス vol.179 2017年10月号]
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VOL.2 自動車失恋記念日

VOL.2 自動車失恋記念日

多くのメディアが伝えたように、このモーターショーは電気自動車ショーであった。EVへのシフトを鮮明にするドイツの自動車メーカーの地元ということもあるが、ほとんどのブースに必ずと言ってよいほど発売中あるいは間近なEVが展示されていた。

9月12日のプレスデーの初日に私を出迎えてくれたのは、朝8時半から始まったBMWのプレゼンテーションであった。EV一色の内容で、壇上に上がったのはすべてEVであった。

そんなことになるだろうと、5月にはJALの超廉価なエコノミークラスのチケットを購入し、フランクフルト駅前のプチホテルを予約して「いつでも行けるぞ」と待ち構えていた私ではあったが、そんな私の首根っこを押さえて「これでもか」とEV酒を呑ませられたというのが、本当の所である。しかも、けっこうきついヤツを…。

ショーの内容や発表されたEVについては、いろいろなメディアですでに報告されていると思うので割愛させていただいて、感じたところをご報告すると、「勝手だなあ。メーカーは。自動車好きはどうすればいいのよ」という思いが強い。

この連載のどこかで報告させていただくつもりだが、小学3年生で兄の原動機付き自転車に乗って、エンジンの味を覚えた私は、とうとうF1のエンジニアまでやって、どっぷり内燃機関漬けの人生を送ってきた。そんな私にとって自動車は、「私の」ものなのだ。私だって自動車の行く末に関与したいのである。それを黙ってEVにシフトするとは…。

確かに自動車を企画し、生産し、販売するのは、国に許された自動車メーカーである。ユーザーなる人種は、それを買うだけの存在だ。許されるのは、選ぶあるいは買わないという行為のみである。しかも、彼らが生産続行中の自動車の中からだけだ。

それでもほんの少し反逆が許されるのが自動車評論家であり、それとても象の尻を刺す蚊ほどの話だ。

だから、私たち自動車好きは自動車メーカーの動きを、一挙手一投足に至るまで目を丸くして見ている。しかし、気に入った新型車が登場すればよいが、そうではない場合が多くなった。

それで一部の自動車好きはクラッシックカーに向かい始めている。私には彼らの気持ちが痛いほどわかる。それは、せめてもの自動車メーカーへの反逆なのだが、それしか手がないのはなんとも哀しい。

自動車の企画にも生産にも無力で、買わないか、クラッシックカーに向かうという選択しかない哀しい存在である自動車好きに、何の断りもなくEVにシフトするというのは、許しがたい暴挙だ。

25年も前から「内燃機関自動車はまずいよ。そう遠くない将来に自動車なる愛しき存在が無くなる日が来るよ」と言い続けて来た私にしてみれば、「いまさら何を…」なのだが、そうはいっても私たちは無力であることに変わりない。

言い方は下品かもしれないが、これは惚れた女の心変わりなのだ。そして心変わりはいつも突然なのである。

だが、大気汚染と地球温暖化が進み、石油の取り合いと中東からの石油タンカーのルートの確保を巡って中国が覇権を主張し、緊迫する東シナ海、南シナ海の情勢を考えるとき、内燃機関自動車に戻るわけにはいかない。仕方ないと諦めて、EVなる新しい恋人に惚れる工夫をするしかないのかもしれない…。 

しかし、私たち自動車好きを裏切る心変わりはまだあった。フランクフルト・モーターショーは、別名自動運転車ショーでもあったのだ。私たちがハンドルを握れず、アクセルペダルもブレーキも踏めなくなる日が、すぐそこまで来ている。そして、別館には、いたるところにカーシェアーのブースが林立していた。もう自動車は所有すらできなくなる。

これからは、昔話でもして遊びましょうかね。ああ!

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text:舘内 端/Tadashi Tateuchi
1947年生まれ。自動車評論家、日本EVクラブ代表。東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。’94年には日本EVクラブを設立、日本における電気自動車の第一人者として知られている。現在は、テクノロジーと文化の両面からクルマを論じることができる評論家として活躍。
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