フランス車とは何か?

フランス車とは何か?

アヘッド フランス車

最大出力や最大トルク、カタログ燃費やサスペンション形式、トランスミッションの段数等々を見比べると、なるほどドイツ御三家や一部の日本車の方が上等に見える。残念ながら世の大多数というより、むしろクルマ好きやセールスマンほど「スペックのコレクター」となる罠に陥りやすい。

フランス車にとってスペックは相対的というか、常にドライバーがクルマを支配下に置くためのシャシー・バランスの高さこそが最優先事項。ゆえに乗ってみないと分からない。

が、イタリア車ほどエンジンは官能的ではないし、ドイツや英国のFR車のようなパワーオーバーステアを決められるほどの大トルクも、そもそもリア駆動のシャシーも少ない。でもドイツの普及車や日本車のような弱アンダーステア一辺倒に背を向けた、一級品のバランスがフランス車の奥深さでもある。

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昨年、アルプスでプジョー3008の雪上試乗会の時、氷上サーキットを昔の104ZSで走るオプションがあった。昔のホットハッチだけにどれだけ激しい挙動を見せるのかと、コーナーの進入で筆者がカウンターを切ろうとすると、助手席の教官はいった。

「カウンターなんか当てるな。それはレベルの低いFFの走らせ方だ。ステアリングは切ったら中立に戻して、クルマが踊る(リアが出る)のに任せておけ。出口を向いたらアクセルを踏めばいい」。

果たしてその通り、ロールバー入りの104ZSは氷上で、荷重移動で扱いやすいタックインを示し、優れたトラクションを発揮した。ちなみにドイツとオランダのジャーナリストは、コーナー入口でサイドブレーキを引いてパワーオン、そんな走り方ばかり。要はFRごっこを104に無理強いしていたのだ。

以前、富士の東コースでルノー・スポールのニュル・アタッカー、ロラン・ウルゴン氏の助手席に通訳のため数十ラップ乗った時も似た経験をした。氷上の104とはケタ違いの速度で彼はメガーヌR.S.を駆り立てたが、進入で思い切り角度をつけてもカウンターはゼロか最小限、クリッピングで中立にした瞬間に全開で立ち上がる。

もはやFFと思えない、カートのような素早い挙動だ。自分で開発したシャシーとはいえ、ああも激しく攻められるほどクルマを信頼する様子にも感銘を受けた。

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そういえば一部のジャーナリストがいまだ信奉するアウトバーンの速度無制限ルールは、EU内で制限速度をなるべく揃える方向にある現在、ドイツの守旧派の理屈になりつつある。

その平均移動速度はすでに渋滞などで80㎞/h前後にまで下がり、CO2削減がのしかかる今、時間を性能で買う時代ではない。凡百の高級車がウリにするスペックやその先にある絶対的パフォーマンスは、もはやアクセサリーだからこそ、退廃方向にエスカレートしがちに思う。

パフォーマンスとは別に、フランスの自動車雑誌には、「la vie à bord(ラ・ヴィ・ア・ボール)」という何とも訳しがたい概念が頻出する。オンボード・ライフというか、乗り心地や居住性、快適性も含め、車上の生活感というか。フランス車はドイツ車や一部のイタリア車のように馬ではなく、馬車の延長上にあるので、車内でいかに過ごせるか? が、歴史的に重要な評価軸であり概念なのだ。そして車上での生活または人生に、最低限以上の彩りを求めるのも、「らしさ」ではある。

ちなみにトゥインゴGTに関して、ルノー・スポールのトップ、パトリス・ラティ氏は「非常にバランスのとれたシャシーが出来た」と述べた。シャシー・バランスとは、話のオチになるほどの最重要項目なのだ。

でも日本人からは、エコタイヤ採用だからスポーティじゃない、残念、などの揚げ足とりが挙がる。的外れな。RRシャシーのフロントにわざわざ細めのタイヤをワイドトレッドに配して、直進時の安定性を稼ぎつつ荷重をかけないと曲がりにくくしているのに。そもそも太いタイヤのグリップでより速く曲がれるようになったところで、スポーツとして面白いか? という話だ。

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フランス車のこうしたスローな「人間中心主義」に慣れると、刺激やパワー、豪華さや新技術だけで語られるラグジャリーが薄っぺらくて違和感を覚えるようになる。少なくとも建前上、フランス的な考え方・態度では、贅沢は必要から結果的に生まれることはあるが、贅沢が目的だと公言するのは少々頭の悪い、下品なことなのだ。

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