TOWARD 2020 自動車の未来を考える

TOWARD 2020 自動車の未来を考える

アヘッド 自動車の未来を考える

私たちの暮らし、クルマをめぐる環境も変化していくはずだ。
私たちが不安に思っていることの根っこにはどんな問題があるのだろうか。
あるいはクルマをめぐって、どんな明るい未来を描けるのだろうか。
日本におけるEVの第一人者である舘内 端氏と、
柔軟な発想で「スマートドライブ」を提案する
小山薫堂氏にお話をうかがった。

舘内 端の"自動車と身体性"をめぐる旅

アヘッド 自動車の未来を考える

photo:三浦康史

若林 館内さんは、「クルマでいちばん大事なことは身体性だ」ということをご自身のブログでもおっしゃっています。まず、その意味を教えてください。

館内 人間という存在は、霊性、精神とかあるといわれていますが、ともかく神経もあるし、痛い熱いもある、言葉も発する。それはすべて身体を経由しているわけです。つまり、人間というのは身体で世界を知る。

で、自動車というのは身体の拡張で、ものを知っていくためのツールだと思っているんです。世界はこうなっている、ということを知っていくツールのひとつである、と。バイク的な世界、自転車の世界、徒歩、ランニングの世界もあるんですが、それぞれでそれぞれの世界を知っていくことによって人間というのは存在できている。

ところが全自動運転車の登場は、最終的には運転によって世界を知るという行為が奪われていく。だったら、自動車なんて、どうでもいいものになってしまう。だから、おやめなさい、ということです。

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▶︎舘内氏らの手がけた『電友1号』はFJ1600の車体を電気フォーミュラカーにコンバートしてつくったコンバートEV。1994年2月に完成し、3月にアメリカのEVレースに出場した。(写真・矢嶋 修)

若林 それと電気自動車(EV)とはどうつながるのですか?

館内 私は「日本EVクラブ」の代表ですが、EVなんてのはそういう意味ではメチャクチャな存在で、本当にバイワイヤです。身体が喜ぶような加速の仕方だとかピックアップだとかはコンピューターでできちゃう。

で、とくにエンジンの技術者たちが100年にわたって追求してきたのはオートマチックな動力なんですよ。排気音がないとかブルブル振動しないとか爆発音が聞こえないとか、アクセルを踏んだら非常に素直に反応するとか。

若林 なるほど。

館内 だからEVが出てきたら全滅しちゃう。エンジンのエンジニアたちが目指していたところにEVがある。EVは彼らの努力がゼロでもできちゃうんですよ、彼らが目指してきたものが。そのいい例がテスラです。

イーロン・マスクが自動車エンジニアを呼んできてやったら、い~いクルマができちゃった。テスラ・モデルSの最新型は0-100㎞/h加速2.7秒。マセラティ・ギブリが5.6秒だ、すごいだろ、って威張れなくなっちゃった。EVが出てきたらそうなる、といっていたのは俺なんだけど、どうするんだ、って。

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▶︎日本EVクラブオリジナルのEV組み立てキット『ジャメ・コンタント・オマージュⅡ』。原付四輪のナンバーも取得できる。現在は生産停止中。(写真・三浦康史)

若林 ということはEVのほうが身体性があるということなんですか、内燃機関よりも。

舘内 擬似的にそう見せかけることができる。ま、エンジンの方がダイレクトではあります。たとえばエンジンの爆発感覚は、心臓の鼓動によく似ている。リズムがね。人間が呼吸するように呼吸する。振動がない世界は死の世界ですけど、ちゃんと振動がある。リズミカルな排気音が聞こえてきて、それが洗練されているとかいないとかが、昔の自動車評論のテーマだった。

ただ、自動車評論家のいう進歩とか発展とかは、じつはそのエンジン車の特性をことごとく奪うものだった。だって、エア・サスペンションとかつけるんだから、それでは乗ってる自分が路面を感じなくなる。

若林 う~ん。

館内 そうすると路面という世界がわからない。わからないまま目的地に着いて、私は世田谷の松原から知らないうちに御殿場に来ちゃった、ということになる。
 
これは中村雄二郎さんという、僕の大好きな哲学者が言ってる話ですけど、バリ島に「パリン」という病がある。バリでガムランのうまい小学1年ぐらいの男の子がいて、その子の演奏をほかの村でも聴きたいというので、クルマに乗せてその子の村からほかの村までつれていったら具合が悪くなっちゃった。

村に戻っても治らない。祈祷師のところに連れて行ったら、祈祷師がこの子は「パリン」だと。自分が移動した村まで歩いて行けば、自分が何をやったかがわかって治ると。いまの現代人はだから、みんな「パリン」になってるんです。

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▶︎2009年にミラEV(日本EVクラブ製作)で東京〜大阪555.6kmを途中無充電で走行。電気自動車1充電航続距離世界最長記録(ギネス世界記録認定)。2010年にはさらに航続距離を伸ばし、自ら記録を塗り替えた。(写真・高橋 進)

若林 以前、鈴鹿まで歩かれましたよね、日本橋から。なんで歩こうとなったんですか? いまの「パリン」の話とつながるんですか?

館内 鋭いことを聞きますね。正直にいうと誰も信じないので誰にも言ってないんですけど、ある日、「歩け」といわれたんです。

若林 天から?

館内 そう。鈴鹿まで歩いたのは'92年の10月です。このときは自動車が排ガス問題でむずかしいところにきていた。それと石油問題とで、このまんまじゃ、俺、レースやれない。

レースといってもドライバーとしてではなくて、レースカーの設計ですけど、好きなものですから、このままじゃいけない、と10年ぐらい、個人的に悩んではいたけれど解答は出ない。どうしたらいいのか、と考えていた時に降ってきたわけです。自分が考えたみたいじゃないみたいに、「歩け」と。

若林 ははぁ……。

館内 理論的にいうとモビリティ、移動の原点は人間の足だと。だったら歩いてみよう。目立ちたがり屋だから山の中を歩いてもしようがない。東海道を歩きましょうと。

で、僕はモータースポーツで生きている人間だから鈴鹿に行こうと。鈴鹿に行くとF1が300㎞/hで走っている。歩くスピードは、休んでいる時間を入れると平均3㎞/h。3㎞/h対300㎞/hで、どっちに価値があるのか? 同じだ、といったらおもしろいだろうな、と。

それと、自動車がもう少し延命してほしい、もう少しモータースポーツを楽しみたい、というのを考えると、鈴鹿で再生したい。これは悟りを開くための修行、法難だと思ったんです。実際、歩いてみると、足にマメができるでしょ。そのなかにまたマメができる。二重三重のマメができる。ツライと思うでしょ。これを法難だと思って般若心教でも唱えて歩くと、1週間たったら5分で痛みが消えるようになる。

次に訪れるのは、涙。こんなに幸福でいいんだろうかと涙が出てくるんです。そんなふうに無我の境地で1時間歩いて、それ以上歩くと疲れちゃうから5分から10分休む。

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▶︎日本で“EV”と言えば舘内 端氏である。誰よりも早くEVに可能性を見出し、普及活動に熱意を注いだ。(写真・三浦康史)

若林 ……ははぁ。

館内 これまた神秘的なんですが、歩いている最中に身体ががんがん元気になってきて、10月下旬、いまはもう温暖化で寒くないけど、当時は寒い中、夜でも短パン、半袖で歩いていける。身体が蘇ったんです。

それからしばらくして小野昌朗という僕らと同じ世代でレーシングカーの設計をやっていた仲間が、「EVのスポーツカーができたから乗ってみないか」というんで、彼らが東京電力のお金でつくったIZAというのに乗ったんです。これがいいんだ。

音はしないし、当たり前ですけどね、スピード170㎞/hぐらい出て速いし、ビックリした。風切音も少なかった。浮遊状態で、湖面を走るカヌーみたいな感じ。「これはいいや」と思った。

若林 排ガスも出しませんね。

館内 これなら自動車も俺も、まだ生きられるかもしれない、と。それで、'93年に、私の後輩ふたりに声をかけて、金はなんとかするからつくろう、と3人で頭グチャグチャにしながら……。電気初めてですよ、3人とも。モーターなんて触ったことがない。でもレーシングカーはつくっているから、だいたいわかる。

それで、1年かけてつくって、'94年の2月6日にM2という、当時、用賀にあったマツダのアンテナ子会社で発表会をやったんです。この電気フォーミュラカーでアメリカのフェニックスの「APS500」という電気自動車のレースに出ます、と。

そしたら、マスコミが150社来ちゃった。このあいだの浅田真央ちゃんの引退会見には負けるけど。鈴鹿まで歩いて、帰ってきて、「日本EVクラブ」設立なんです。それでEVにどーんと入り込んでいく。それで、家2軒失ったんですよ。

若林 失ったんですか?

館内 より正しくいうと、働いている分をちゃんと家に入れていれば、都内に家2軒分建てられそうな金をEVクラブでつかっちゃった(笑)。その電気フォーミュラカー「電友1号」をつくれ、というのも啓示なんです。金はない。つくり方もわからない。

だけど、なんかの直感でつくれると思うんだね。ともかく、EVは「破壊の神」だと僕は思った。いろんなものを壊していく。だってエンジン・エンジニアなんか立場がなくなってくるでしょう。マニアはマニアで、音も振動もなくなる、ヒール&トウもなくなっちゃう。だれでもつくれちゃう。だれでも運転できちゃう。そこに自動運転なんか加わってごらんなさいよ、自動車は完璧に終わりでしょ。

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▶︎2013年にEVスーパーセブンによる日本一周急速充電の旅を敢行。9月24日に東京をスタートし11月18日に東京でゴールした。(写真・寄本好則)

若林 でも、当時はEVに夢を託されたわけですね。自動運転は当時、すでにあったんですか?

館内 世界初の「レーンキープサポートシステム」を採用した4代目シーマの登場が2001年ですから、90年代の初めは研究段階だった。だけど、人工知能はつくれない、ということはすでに分かっていたんです、僕には。

というのは、『クルマ運転秘術―ドライビングと身体・感覚・宇宙』という本を'92年に出していて、「人間はどのように運転をおぼえていくのか」ということを身体論として書いていたから。書くにあたって、よく分からないから、じゃあ、「僕が今できないことを習得するのはどうしてやるんだろう?」とスキーを始めた。滑れなかったから。

で、自分の身体と頭脳が信号をやりとりしながら、なにをおぼえてなにが効くのかを考えながらスキーが滑れるようになろう、と。だけど、甘いんだよね、私が。スキーが面白くてはまっちゃって。

若林 ふふふ。

館内 はっと気がついたら、自分がどうして取得したかわからない(笑)。たとえば、自転車の乗り方をあなたは口で説明できますか? なんでもいいんです、箸の持ち方とかでも。簡単にいうと繰り返すしかない。繰り返すことによって神経と脳との回路をつくっていく。だけど、それだけじゃ説明できないなにかがある。

で、その『クルマ運転秘術』を書いて得たのが、「ドライビングというのはクリエーション、創造的行為である」ということ。それは世界を知っていくことである。ということは、人間、というか動物、生命体にしかできない。非生命体の人工知能には創造的行為は永久にできない。

若林 そうなんですか……。

館内 じゃあ自動車はどこに行くんだ。ということで、私としては第3、第4の啓示を待っている。毎日、高尾山にいって滝に打たれています。…あなたのその目は「ウソだ」といっていますよ。

若林 いやいや(笑)。

館内 いや、本当に悩んでいます。ひとつだけ考えていく方向として、そうはいっても人間は動くだろうと。鈴鹿まで歩いた時、木曽川と長良川の上にかかった橋を渡りながら、明日四日市について、四日市から鈴鹿は23㎞。今日歩いて、明日ちょっと歩いたら終わりかと思ったら、さみしくなっちゃって、涙がポロポロ出た。

俺は旅人になろうと思った。芭蕉とか西行のように。自動車だと、日本橋から鈴鹿まで走っても、そこまでは思わない。ところが、歩いた時はたった2週間でそういう状態になっちゃった。人間というのは、もともと動くものなんです。

清水 博という生命論の先生の本に、「移動するのが生命だ」とあります。情報を発信すること、移動すること、これが生命体だと。植物はあまり動きませんけど、それでも種を飛ばして移動する。動かないと生命体は絶滅しちゃう。じゃあ、今後、人間のモビリティはどうなるんだというと、パーソナルで動くことになるんだと思う。少なくとも、あんなでっかいSUVとかミニバンとかじゃなくて。

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▶︎「日本EVフェスティバル」参加者一同の記念写真。2017年の今年は23回目を迎える。年々参加者参加者車両も増え、大盛況。(写真・三浦康史)

若林 世界を知るツールとしては…。

館内 歩く、走る、自転車、バイク、こんなもんだろうと。それは環境的にもエネルギー的にも負荷が少ないし、身体を発見していくツールとして、僕らをイキイキさせる。という目で見ると、僕のまわり、EVクラブのスタッフのなかでクルマをやめて自転車になっちゃった人がゴロゴロいる。そっちのほうが気持ちいい、と。

若林 クルマが身体性から離れてしまったことが問題なんですね。

館内 自動車が全自動運転になっていくというのは、そこにいたる過程も含めて、もっと身体性を奪っていくということだから、魅力を失う。で、ひょっと思うと旧車ブームなんだよね。自動車雑誌の編集をやっていると分かるでしょ。

若林 万年筆ブームとかも、ひとつにはそういうことがあるんだと思います。

館内 自動車でいうと、20年前のクルマはまだ走る。10年前なら十分。それならそれでいい、となっている。新型車に魅力を感じようという感性がなくなっている。ちょっと古いものをじょうずに使っていくと味わいはあるし、経済的にも負担が少ない。経済的負担が少なければそんなに働かなくてもいい。

考えてみたら、新しいものを買うために私は働いてきた。それは違うんじゃないか。頭がちょっといい人、感覚がちょっと鋭い人だったら、そうなってもおかしくない。と思うんですけどね。

若林 そう思っている人もたくさんいる、と私も思います。

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まとめ:今尾直樹/Naoki Imao
1960年生まれ。雑誌『NAVI』『ENGINE』を経て、現在はフリーランスのエディター、自動車ジャーナリストとして活動。現在の愛車は60万円で購入した2002年式ルーテシアR.S.。

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