僕がここで暮らす理由

僕がここで暮らす理由

アヘッド 森

色々と計画を立てることが嫌いではない僕だけれど、しかし計画通りにコトが運んだ経験はほとんどない。それでも想像力より実行力の方が少し勝っていたのか、とりあえず行動してみると何となくではあるけれど、道が開けてきた。

いつもそんな体たらくだったので、12年間務めた自動車雑誌の編集部を辞め、以前から漠然と憧れていたカントリーサイドに引っ込むという計画を実現に移そうと決めた時も、フリーのライターとしてやっていける確証などどこにもなかった。しかも会社に辞表を出した翌日に妻の妊娠がわかったのだから、不安な気持ちがなかったと言ったら噓になる。

けれどそんなネガティブな感情より「もし原稿書きの依頼がなければ、海で魚や貝を獲って、畑を耕して自給自足の生活をすればいいさ」という楽観的な気持ちの方が強かった。

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2005年4月、僕は独立した。当時自分の中でひとつだけ好機だと思えたのは、インターネットが急速に普及していたことだった。

僕がこの世界に入った20数年前、原稿を書き終えたライターはすぐさま編集部にフロッピーディスクを持って馳せ参じることが通例だった。「先生」と呼ばれるベテランになれば編集者がフロッピーを引き取りに来てくれたが、それだって書斎が編集部の近くにあることが前提である。

原稿や写真を瞬時にやり取りできることで、パソコンは雑誌作りのワークフローに大きな変化をもたらした。これなら編集部から少し離れた片田舎に住んでいてもライター稼業が成立するかも知れない。'90年代には想像できなかったことである。

ちょうどその頃雑誌の取材でイギリスに赴き、ニック・アシュレイのコッテージを訪ねたことも大きな転機となった。かつて自らの名を冠したバイカーズ・ファッション・ブランドで一斉を風靡した彼は、ウェールズの片田舎に家族と住んでいた。

築1000年!にもなるというその家屋は、小川が流れる広大な山間にポツンと一軒だけ建っていた。ニックの奥さんは馬に跨って学校帰りの娘を迎えに行き、納屋の奥の樽では自家製アップルサイダー(リンゴ酒)の発酵が進んでいたのである。

普段は自宅のアトリエでデザインに没頭し、空いた時間は野良仕事に精を出しているニックだが、時折バイクを飛ばしてロンドンに駆けつけるのだと言っていた。普段はスローで、しかし必要とあらば急加速する、そんなカントリー・ジェントルマン特有のメリハリのあるライフスタイルが僕の田舎暮らしの夢をはっきりとしたビジョンに変えた。

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まず海が見渡せる丘の上にある借家に住んだのは、都会で育った僕ら夫婦の肩慣らしのようなものだった。借家の近くの海には、20代の終わり頃、自動車レースの趣味が一段落ついた時に手に入れた小さなヨットがあった。だから土地探しのエリアは最初から海辺に限られていた。

土地探しは簡単ではなかった。低予算で100坪オーバーの土地を希望したため不動産屋に煙たがられた。やっと理想的で辺鄙な、森の中にポツンとある土地を見つけて銀行に赴くと、今度はフリーライターの社会的信用のなさを思い知らされ、また大いに煙たがられた。

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薪ストーブを中心に据えた山小屋風の家、庭にクルミの木があることから「ウォルナット・マナー」と名付けた自宅が紆余曲折の末に完成して住みはじめると、少しずつこの土地ならではのコミュニティが形成されはじめた。

薪にする原木を探していると「切った木の処理に困っているから是非持って行って欲しい」という人を紹介され、その関係は今日まで続いている。ありがたいことに我が家の暖房は、だから、僕が玉切りして斧で割って、1年間乾かしたマテバシイの薪だけで賄えている。

また自宅の庭以外に、もっと広い畑で野菜が作りたいと思っていたら、人づてに50坪ほどの畑を2ヵ所も無料で借りられることになった。こうして家の庭は葉物がメインのキッチンガーデンとして、一方、海の畑、山の畑と呼んでいる2ヵ所の菜園では保存の効くジャガイモやサツマイモ、それにネギ類などを栽培するパターンができあがった。

薪も菜園も、とりあえず行動してみると道が開けた、というかたちである。こちらからのお返しは、採れた野菜を度々届け、定期的に家の近所や畑の周りの草刈りをするくらいしかできないのだが、それでもギブ&テイクは成立しているようだ。

独立してから今年で11年目。森の中の家で薪ストーブを焚きはじめてから7回目の冬を数えた。職業を聞かれたら「モータージャーナリスト」と言ってしまうのが手っ取り早い。けれど田舎で年月を重ねる度に、現金収入が発生するコトのみを「職業」、もしくは「仕事」とする風潮に疑問を感じるようになった。

森の木を薪にして1年ほど乾かして暖をとるという行為は、稼いだ現金で灯油を手に入れることと本質的には変わらない。育てた野菜を近所に配り、もしくは物々交換することも同じだろう。

この森に根を下ろし、原稿書き以外の時間を外仕事に費やすことで、僕の体脂肪率はすぐに3%ほど減った。またリスやタヌキが庭を闊歩し、湧き水にサワガニやホタルが棲み、フクロウの鳴き声が響く森の中に暮らすことが、人間の感覚に変化をもたらさないはずはない。

それは風や気温や湿度、天気や季節の変化を肌感覚として理解することであり、雨の前に種まきと収穫を終え、雨の後に雑草を抜くといった菜園家であれば当たり前に備わるであろう「物事のタイミング」にも通じている。とどのつまり、風がなければヨットは進まないという自然本位の哲学をより深く理解したということである。

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自然の流れに身を任せるという人生の中にあって、雨の日はワイパーで窓を拭い、夜はライトで前方を照らして自分本位に突き進むクルマは異物のように思える。

だがもちろん、僕の人生から、この異物を除外することはできない。モータージャーナリスト稼業でいくばくかの収入を得ていなければ、私はちょっとした田舎に30代で引っ込んだ風変わりな世捨て人の誹りを免れないだろう。

クルマ選びは他のモノ選びと同様にロングライフが基準となる。21年落ちのW124メルセデスは多くの人が「最高のメルセデス」と称する1台と暮らしてみたくて乗り続けているし、MGBは「世界一補修部品が揃うヒストリックカー」なので、一生持ち続けるつもりで手に入れた。

MGミジェットのレーサーは23年も持ち続けているが、現在は不動のオモチャだ。スバル・サンバー・トラックはネットオークションで落としたシロモノだが、カントリーライフには欠かせない。田舎ではメルセデスに乗っているなんて吹聴するより、日々軽トラを使いこなしている方がはるかに信用を得られるものだ。

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自らの生活の備志録としてブログを記しているのだけれど、過去を紐解けば毎年同じ時期にほぼ同じことをしている事実に気づかされる。年末の30日に近所の餅つきに招かれ、大晦日は家族で山に登り、そして新年は大汗をかいてダイコンの初出荷を手伝う。自分でも呆れるくらい平凡に、毎年同じことを繰り返しているのである。だがこの平凡な暮らしの延長線上に「人間らしい人生がある」と信じている自分もいる。

独立した10年前には現在の暮らしを想像することなど到底できなかった。森の湧水のほとりでスマホを取り出して、ワサビの育て方を調べているなんて、自分で言うのもなんだけれど21世紀的ですごくクールだ。

今になってみれば「住めば都」という諺は本当だと思うし、都会の喧騒を離れて、少し静かに自分の生活と向き合ってみれば、新たな世界が確かに見えてくると確信している。

これまでもこれから先も、人生には進むべきか、留まるべきかという岐路が度々現れるはずだ。そんな時、自信を持って背中を押してくれる空気に満ち溢れた場所。それこそ僕がここで暮らす理由なのだと思う。

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text:吉田拓生/Takuo Yoshida
1972年生まれのモータリングライター。自動車専門誌に12年在籍した後、2005年にフリーライターとして独立。新旧あらゆるスポーツカーのドライビングインプレッションを得意としている。東京から1時間ほどの海に近い森の中に住み、畑を耕し薪で暖をとるカントリーライフの実践者でもある。

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