クルマやバイクのテイストとは何か

アヘッド ポルシェ911

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クルマやバイクを表現するときに、「このクルマにはテイストがある」とか「テイストに溢れたエンジンフィーリング」など、「テイスト」という言葉を用いることが多い。この場合は、まさしくクルマやバイクの乗り味や風合いのことを指しているのだが、そのひとの技術や経験、知識などによって、理解が異なることがある。クルマやバイクの「テイスト」とは、誰もが感じていながら定義することが難しい言葉でもある。その「テイスト」とは何かを探ってみたい。

text:嶋田智之、伊丹孝裕、山下敦史、 photo:長谷川徹
[aheadアーカイブス vol.148 2015年3月号]
Chapter
ポルシェ911にみる哲学に基づくテイスト
『ヴィンテージライフ』が表現するテイストのありかた

ポルシェ911にみる哲学に基づくテイスト

text:嶋田智之

テイストとは何なのか、というそのものズバリじゃないけれど、長年にわたり、クルマにちなんだ似たようなことばっかり文字にしてきたところのある僕の気持ちの中では、その問いに対する回答はあらかた固まっている。

テイストとは何か。哲学、である。そのクルマ──あるいは自らのブランド──に対して作り手たちが込めた、確固たる思想の顕在。

例えば、そう、誰もが知っているポルシェ911というクルマを例にすると解りやすいだろう。
911というスポーツカーは、1963年のフランクフルト・モーターショーで発表され、以来、今に至ってもRR=リア・エンジン+リア・ドライブという、人によっては〝黴の生えたような〟 と揶揄する基本レイアウトを変えていない。

今やポルシェのラインアップの中には、スポーツカーとしての純粋な運動性能に関しては911をもはや凌駕しているといえる、ボクスター/ケイマンというミドシップ・レイアウトのモデルがあり、キラリと輝いている。でも、改良こそ繰り返されてきたけど、911は911のままだ。しかも相変わらず、より高価でもあるのに、世界的にボクスターとケイマンより売れている。

それは一体なぜなのか。理由は明白なのだ。
ポルシェの水平対向エンジン+RRというレイアウトは本当に筋金入りだ。911の先代にあたる356の時代から70年近くも、〝スポーツRR〟 をやり続けている。

RRは後輪の車軸の真上から車体後端にかけて重量のかさむエンジンを配置するため、後ろのタイヤが路面に強く押しつけられるかたちになり、エンジンが生むパワーを路面に伝達しやすいというメリットを構造的に持っている。そしてタイヤというものは、路面に接する面積が大きく、接する力が強いほど性能を発揮しやすい。つまりRRは先天的に、強力な加速を得やすい。いわゆる〝トラクションがいい〟 というヤツだ。

もちろんデメリットもあって、後ろに重い物があることで、コーナリング中に車体にかかる横Gが強くなればなるほど、後部の方から先にコーナー外側へ飛び出そうとする動きが強くなる。簡単にいえばスピンしやすいわけだ。同じ理由で前のタイヤに重量がかかりにくいため、基本的には加速しながらだと曲がりにくいし、高速走行時には安定しにくい傾向がある。速度が高くなればなるほど、そうした逃れられない物理特性に司られる諸々の現象が顔を出す。
クルマの運動特性というのは、〝軽さ〟 を別にすればほとんど重心の低さと重心の中心性、つまり〝重心位置〟 で決まるといっていいだろう。重心の低さに関しては、911はその点で最も有利な水平対向エンジンを使っている。そして重心の中心性は、RRの宿命でかなり後ろ寄りだ。

けれど、それは静止した状態での話。クルマの重心位置は、加速、減速、旋回といった走行状況に応じて、前後方向に左右方向に斜め方向にと絶え間なく移動する。ポルシェが延々と研究し続けているのは、その動的な重心位置を状況に応じて最も適切なところへ移動させ、速さへと結びつけていくこと。

例えば911のブレーキが世界一と評されるほど効きが良く、また効き具合の調整がしやすいのも、実はその動的中心位置=動的重量配分をドライバー自身がコントロールしやすいものにするため。50年以上にわたって繰り返されてきた基礎的な改良は、全てそうしたRRのメリットを最大限活かし、デメリットをプラスの方向に作用させることに結びついている。
腰の辺りを後ろから強力に蹴り上げられるような加速、後ろから巨大な手で掴み取られたような減速、自分を中心にクルリと素早く世界が回るような旋回。それは古くも新しくも全ての911が等しく持つものであり、911乗り達は皆一様に、その気持ちよさに惹かれてきた。〝テイスト=哲学〟とは、つまりそういうことなのだ。

とはいえ、最も大切なのはクチに合うか合わないか。ストレートな濃い味を好む人もいれば、薄味の中に感じられる出汁に喜びを見出す人もいる。無味無臭を選ぶ人だっている。そしてその無味無臭であることだって、実はテイスト=哲学だったりもする。僕は50を過ぎていまだに濃厚でピリ辛で隠し味もあり、なんていうのが好きで好きで堪らないのだけど、いつか〝おかゆ+白湯〟 みたいなものが食べたくなる日が来るのだろうか。
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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。

SRのテイストは、時の積み重ねが育んできた

text:伊丹孝裕

「SRやSRのパーツのことならいくらでも話ができるんですけどね。テイストとは…ですか。テイストねぇ…」その人は少し困ったように答えを探していた。「それを言葉にするのはとても難しいのですが、エンジン形式やそのフィーリングに宿るものではなく、時間の積み重ねがそれに当たるのかもしれません。必ずしも古いモノがいいという意味ではありませんよ。あえて言うならそこに掛けられた手間やこだわりを感じられるかどうか。なにか決まった定義があるわけでもないので、人それぞれの心に左右されるものじゃないでしょうか」と、しばし思いを巡らせた後、そんな風に言葉を選びながら繋げてくれた。

弾けるようなシングルエンジンのサウンドやその時に体へ伝わるバイブレーション。そんなライブ感のある言葉がとめどなく溢れてくるのかと思ったが、そうではなかった。その人はチューナーではないからだろうか。あるいは力強さをみなぎらせるブリティッシュバイクの造形や流麗なカウルを纏うイタリアンバイクのフォルムにそれを感じているのかと思ったがそれとも違っていた。その人はデザイナーではないからだろうか。

「僕の肩書きですか? なんにもないですよ。要するにたいした者ではないってことです。それなのにこうしてお店をやっていられるのはここが御殿場だからでしょう。この土地には看板なんか掲げていなくても素晴らしい技術を持った職人さんがたくさんいて、そういう方々に支えられて今まで続けてこられたんです。僕ひとりではなにもできないんですから、本当に」

その人の名は荒木康晴さんという。ヤマハSR専門のカスタムショップとして知られる『カスタムハウス・スティンキー』の代表である。スティンキーが一風変わっているのは、SRそのものを販売せずに、シートやタンクを始めとする様々なカスタムパーツの開発と製作に徹してきたことだろう。とはいえ、単にそれらを売っているだけでもない。ユーザーの要望に合わせてパーツをあつらえ、装着し、それぞれが頭に描く理想のスタイルへとSRを創り変えていく、そのプロセスを徹底してサポートするのが現在のスタイルである。さしずめ荒木さんはそのための「SRコーディネーター」だ。肩書きを例えるならそんな役割かもしれない。

日本のレース最前線のひとつ、富士スピードウェイを臨む御殿場は、古くから内燃機関連の加工業社はもちろん、鉄やアルミ、FRP、カーボンといった素材を加工し、パーツだけに留まらずレーシングカーまでもを生み出すガレージが数多く点在する。仕事の質の高さと早さでも知られ、鈴鹿に並びモータースポーツにおける日本屈指の職人地帯として築かれてきた。当初は東京でお店を構えていた荒木さんだが、縁あって御殿場へ移転、この土地でカスタムの幅を広げてきたのである。

荒木さんに大きな転機が訪れたのはスティンキーの設立から8年ほど経った'91年のこと。「東京モーターサイクルショー」のために創り上げたオリジナルモデル「grandioso」(今号表紙)がきっかけになった。

「19歳の時に手に入れた自分のSRをベースに、〝これからはSR一本でやっていく!〟という決意を込めて作ったショーモデルでした。とはいえ僕のブースの周りはその世界ですでにメジャーになっていた方々ばかり。緊張と恥ずかしさでいっぱいだったことを覚えています」

グランディオーソとは「雄大に」、あるいは「堂々と」という意味を持つ音楽用語のひとつだ。荒木さんの心とは裏腹に、檜舞台に飾られたグランディオーソはそのネーミングにふさわしい存在感で注目を集め、その後すぐに専門誌の特集などに取り上げられたことも手伝って、 『カスタムハウススティンキー』の名も急速に広まっていったのである。そんなグランディオーソにはブリティッシュにもイタリアンにもない繊細さがあった。

フレームやフォーク、アルミタンクには微妙な頃合いの赤「ペルシアンレッドパール」が調合され、マグネシウムを連想させる藁色のトップブリッジやサンドブラストで艶を廃されたエンジン、当時極めて珍しかったブラックリムやカーボン製リヤフェンダーの色合いがそれを効果的に引き立てていた。細部に目をやるとバードケージを思わせる華奢なステーを介してヘッドライトとメーターが備えられ、それと並ぶようにほどよい高さでハンドルをクリップオンしている。

また、シートカウル後端がリヤアクスルの真上でフィニッシュするようにスイングアームとの位置関係が計られるなど、どれもこれもが絶妙な距離感に配されているのだ。捨てるところ、立たせるところ、隠すところ、見せるところ…ともかく、そうしたあらゆる部分の塩梅が見事なのである。

「塩梅仕事」。これは荒木さんが会話の中で何気なく発したものだったが、スティンキーのSRを言い表すのにこれほど最適な言葉もない。同じに見えるパーツの造形もひとつひとつが微妙に異なる手工芸品を見ているようだ。

「シートの造り方ひとつ取ってもいわゆるワンオフの造り方しているので、一般的に流通している商品よりも製作に時間が掛かっていると思います。SRは、昔のレーシングバイクをモチーフにしてマチレス風とかMVアグスタ風にスタイルを変えていくのも楽しみ方のひとつですが、本物と同じカタチや大きさでパーツを造っても、そのままくっつけると、どこか違和感があるものなんです。それを少しずつ馴染ませ、同調させていくのが勘どころ。なにかに似せたり、なにかを換えていることをことさらアピールするのではなく、最初からそうだったように仕上げる。それを常に意識しています」
磨き込まれていつの間にか艶が出てきたことと、何らかの加工を施してピカピカになっていることとは違う。使い込まれていつしか丸みを帯びたことと、機械で角を丸めたこととは違う。そういうパーツひとつひとつの馴染み感がスティンキーの製作するSRには存在している。バイクから発する空気感が単なるSRのカスタムではなく、オリジナルバイクに見せているのだ。そしてそのテイストを醸し出すのに技術やセンスと同じくらい重要なのが時間の経過なのである。

「グランディオーソを造って四半世紀近くが経ったわけですが、見れば見るほど稚拙さが目につきます。〝今ならこうするのに〟とか〝あの時もっとこうすればよかった〟と思う部分がたくさんあって、でもそのままにしています。塗装が少々剥がれてきているところも、少々サビが出てきているところもそのままなんです。今ならクレームになりそうな鋳造品ならではの鋳巣もそのまま。それもこれも含めて風合いかな、と思えるようになってきました。あの頃、自分なりに込めたこだわりに年月が加わり、これはこれでひとつの味わいかもしれない。最近ではそんな風に受け入れられるようになってきたんです」

そのままという言葉が、決してほったらかしという意味と同義でないことは車両を見ればよく分かる。なにせそこに装着されているエイボン製のタイヤ、スーパーベノムまでもが当時のままだというのにトレッドにもサイドウォールにもヒビ割れひとつ入っていないのだ。そのままを維持するために、どれほどの手間を掛けてきたのか。テイストには時間の積み重ねが必要だと語る荒木さんの言葉がより一層実感できる。
「でも、それをなにより理解し、実践してくれているのは、他ならぬヤマハさんじゃないですか。なにせ37年前に発売したバイクを今も造っているんですから。1台のモデルをこれほど長く引き継ぎ、守ってくれていることに感謝したいです」

ネットを通して見ているだけでは分からない手触りや温かみがスティンキーにはある。荒木さんは、それを感じてもらい、理想のSRを語ってもらいたいと言う。テイストが時間の積み重ねによって育まれるのなら、その会話からテイスト作りは始まる。テイストはモノをただ継承するだけでは生まれない。人の理想が生み出すものだからだ。

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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。

『ヴィンテージライフ』が表現するテイストのありかた

text:山下敦史

〝テイスト〟 というのは危険な言葉で、うっかりするとイメージだけの安易な表現として使ってしまいがちだ。テイスト、と口にするとき、いったい心の中では何を求めているのか。そこに向き合う必要がある。

そんな思いを抱きつつ、季刊誌『ヴィンテージライフ』の編集長を務める陰山惣一さんにお話をうかがうことになった。『ヴィンテージライフ』は不思議な雑誌だ。クルマやバイク、時計に自転車、多くの〝古くていいもの〟 が登場するのだが、決して飾られた古美術然としていない。今に息づいている。雑誌の名まえの通り、ライフの中で多くのヴィンテージが調和しているのだ。

「古いモノで今遊んでることが面白い、僕はそう思うんですよ。博物館なんかで、こんな古いものをいっぱい持ってるから取材してくれっていわれても全然響かないんですね。例えば持ってるのは古いカメラ1台で、ボロボロだけど毎日使ってるとか、今それを使って生活しているとか、そういう〝使ってる感〟 がないと、カッコよく見えない。ヴィンテージオークションのブックとか見れば古くていいものはいっぱい載っているけど、それだけでは興味がわかない。ロンドンで取材したオジさんが、ツイードのジャケット着てM型ライカを持ってたら、欲しくなるじゃないですか。だから誌面で使われる写真も、「そのモノがある空間や、そこにいる人を見せたい」という基準で選ばれるのだという。

例えば最新号で取り上げられたヒストリック・カーレース〝グッドウッド・リバイバル・ミーティング〟 の模様も、クルマ専門誌ならまず選ばないようなカットが多く使われているのだとか。

「例えばこの黄色いエランのページ。クルマ雑誌ならエランが隅で見切れているからNGですよね。でも、ボクの場合はオジさんの笑顔をまず見せたい。右ページではドアから彼の足が出て、テールが光ってる。『あー、暖機してんだな 』とか『手前はロータスかな?』とか、僕がファインダー越しに見ている現場の空気感をそのまま伝えたいんです。ヴィンテージライフのテイストとは、取材先の空気感であり、空気感とはいろいろな要素の組み合わせだと思いますね」

好きなモノを出したい、好きな人を出したい。そこを根底に「古い時計の雑誌とか、古いカメラの雑誌とかってのはあるけど、それを全部一度に見たいんだっ、て『ヴィンテージライフ』を始めようと思った」のだという。
「(『ヴィンテージライフ』見ると)編集長にすごく知識がありそうじゃないですか。でも全然そうじゃなくて。ボロが出るから、なるだけ僕は出ないようにして」

と謙遜する陰山氏だが、この後に続いた「雰囲気だけで作ってるんですよ」という言葉の奥には、知識自慢、ブランド自慢に陥ることなく、自分が〝いいと思った〟 その気持ちを最優先にしようという意志が見て取れる。だからこそ、「(『ヴィンテージライフ』には)自分の好きなものしか出てない。そこで統一がとれてるんじゃないですかね」と言い切れるのだろう。

そんな彼が興味を惹かれるのは「好きなものを貫いている」そして「人が作った想いを感じ取れる」ものなのだという。「ケータイだってデジカメだって、何年かしたら(陳腐化して)もう使わない。でもハッセルブラッドとかは60年経っても仕事に使えるじゃないですか。それがすごいと思うんですよね」。 

だから『ヴィンテージライフ』で紹介されるアイテムは息づいている。使っている場面が見える。そこに〝テイスト〟 を読み解く鍵がありそうだ。それは人格に似たようなものじゃないかと思う。合わないこともあるだろうし、欠点を含めて使い続けたいと思わせることもあるだろう。10年後、20年後、自分がそれを持っている姿を思い描けるのなら、きっとそれは自分にとって真に価値のあるもの、テイストを持つもののはずだ。
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