トヨタがセルシオというクルマを作った3つの理由とは?
更新日:2024.09.09
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今でも根強い人気と名声を保っているトヨタ・セルシオ。
販売終了後10年という時間が経過しながらもその地位は揺るぎないものがあります。
そこには初代セルシオという名車が築き上げた信頼というものが小さくないように思います。そんな初代セルシオとはどんな経緯や背景を持ったクルマなのか・・・。
今回はそのあたりについて注目してみます。
販売終了後10年という時間が経過しながらもその地位は揺るぎないものがあります。
そこには初代セルシオという名車が築き上げた信頼というものが小さくないように思います。そんな初代セルシオとはどんな経緯や背景を持ったクルマなのか・・・。
今回はそのあたりについて注目してみます。
急激な円高傾向で輸出競争力の強化を
80年代中盤から後半にかけて世界の経済事情から日本は円高による輸出産業における競争力低下の問題に直面していました。
それまで日本は輸出産業で堅調に経済成長を成し遂げ国を豊かにしてきた反面、特にアメリカからは貿易摩擦の解消を迫られ、簡単に言うと、出る杭が打たれたという格好となったわけです。
それまでの日本車は、安くて品質がよく壊れない、という評価の元アメリカを始めとして高い人気を築き上げていましたが、それも安さで勝負することが難しい時代に突入することが目に見えていたのです。
そこで、輸出競争力の強化策として、より収益力の高い高級乗用車の分野に参入を決めた、というのがセルシオ=レクサス誕生の背景の一つとして挙げられると思います。
しかし高級乗用車の分野にはすでに歴史と名声を築き上げているメルセデス・ベンツやBMW、ジャガーといった「老舗」が軒を連ねているという状態。そこに新参者のトヨタ=レクサスが割って入っていくことには大きな困難があると、トヨタ自身も認識していたはずです。
そこでトヨタはやはり日本車の本分たる、品質、静粛性、同時にライバルより廉価であるというところをコンセプトに、しかし妥協なき高級車像の追求という強い理念もと、セルシオ=レクサスLS400というクルマを世に送り出していくのです。
それまで日本は輸出産業で堅調に経済成長を成し遂げ国を豊かにしてきた反面、特にアメリカからは貿易摩擦の解消を迫られ、簡単に言うと、出る杭が打たれたという格好となったわけです。
それまでの日本車は、安くて品質がよく壊れない、という評価の元アメリカを始めとして高い人気を築き上げていましたが、それも安さで勝負することが難しい時代に突入することが目に見えていたのです。
そこで、輸出競争力の強化策として、より収益力の高い高級乗用車の分野に参入を決めた、というのがセルシオ=レクサス誕生の背景の一つとして挙げられると思います。
しかし高級乗用車の分野にはすでに歴史と名声を築き上げているメルセデス・ベンツやBMW、ジャガーといった「老舗」が軒を連ねているという状態。そこに新参者のトヨタ=レクサスが割って入っていくことには大きな困難があると、トヨタ自身も認識していたはずです。
そこでトヨタはやはり日本車の本分たる、品質、静粛性、同時にライバルより廉価であるというところをコンセプトに、しかし妥協なき高級車像の追求という強い理念もと、セルシオ=レクサスLS400というクルマを世に送り出していくのです。
トヨタの歴史と技術の結晶、また高いモチベーション
当時トヨタは創業50年を経過し企業としても成熟期に達していました。しかしあくまでも日本車のウリは安くて品質がいい「大衆車」にあった。
もちろんトヨタとしてもクラウンやセンチュリーといった高級乗用車を手がけていたわけですが、それはあくまで国内向けのドメスティックカー。先の円高基調による輸出競争力強化の側面もあり、世界で通用する高級乗用車へのチャレンジに機が熟していたということは大きくあると思います。
初代セルシオは「源流主義」をひとつのスローガンに、振動や騒音を事後対処ではなく、その発生源を厳しく追求、特定し、原因を元から絶つというきわめて高い「意思」のもとに開発が進められました。開発責任者の鈴木一郎氏はちょっとした名物エンジニア。
折からの好景気のおかげもあったのでしょうが、妥協なき開発へのあくなき挑戦と執念、また改良と改善への高いモチベーションを持った人で、彼の目的意識の高さが、そのままセルシオというクルマのクォリティの高さに結びついたと言ってもいいほど。
高い工作精度のための加工品質の向上、十全に性能を発揮させるための製造品質の向上や工員の徹底した教育に至るまで、セルシオは開発側のみならず、トヨタが全社、あるいはサプライヤーをも巻き込んで、日本が世界に自信を持って送り出す「ホンモノ」の高級乗用車を製造する、というプライオリティを共有できたことが、成功のひとつの鍵となっていたように思います。
結果として、ヨーロッパのライバルはこぞってセルシオ=レクサスLSを買い込んで、徹底的に研究したといいます。
その成果として現代に至るメルセデス・ベンツやBMW、ジャガー、あるいはアウディなどの品質や静粛性に多大な影響を及ぼしていくことになるのです。
もちろんトヨタとしてもクラウンやセンチュリーといった高級乗用車を手がけていたわけですが、それはあくまで国内向けのドメスティックカー。先の円高基調による輸出競争力強化の側面もあり、世界で通用する高級乗用車へのチャレンジに機が熟していたということは大きくあると思います。
初代セルシオは「源流主義」をひとつのスローガンに、振動や騒音を事後対処ではなく、その発生源を厳しく追求、特定し、原因を元から絶つというきわめて高い「意思」のもとに開発が進められました。開発責任者の鈴木一郎氏はちょっとした名物エンジニア。
折からの好景気のおかげもあったのでしょうが、妥協なき開発へのあくなき挑戦と執念、また改良と改善への高いモチベーションを持った人で、彼の目的意識の高さが、そのままセルシオというクルマのクォリティの高さに結びついたと言ってもいいほど。
高い工作精度のための加工品質の向上、十全に性能を発揮させるための製造品質の向上や工員の徹底した教育に至るまで、セルシオは開発側のみならず、トヨタが全社、あるいはサプライヤーをも巻き込んで、日本が世界に自信を持って送り出す「ホンモノ」の高級乗用車を製造する、というプライオリティを共有できたことが、成功のひとつの鍵となっていたように思います。
結果として、ヨーロッパのライバルはこぞってセルシオ=レクサスLSを買い込んで、徹底的に研究したといいます。
その成果として現代に至るメルセデス・ベンツやBMW、ジャガー、あるいはアウディなどの品質や静粛性に多大な影響を及ぼしていくことになるのです。
世界と肩を並べるブランド力の強化
筆者は初代セルシオ=レクサスLS400デビュー当時の自動車番組で、アウトバーンを海外の強豪メルセデスSクラスやBMW7シリーズらと肩を並べてセルシオが堂々と走る姿を今でも忘れることができません。
あれはまさしくトヨタ自動車が日本という島国の大衆車メーカーから、ステータスのある高級乗用車の世界に足を踏み入れた第一歩、その瞬間だったと思います。「日本車もいよいよここまで来たか」という感慨が深かった。
事実、レクサスLS400は主に北米で高い人気と名声を得ることに成功し、メルセデス・ベンツやBMW、ジャガーと並んでお金持ちのためのプレミアムカーとしての地位を不動のものとしました。レクサスLS400は元々日本市場には投入する予定がなかったクルマでした。
しかし折からの高級車ブーム、シーマ現象などを鑑みて、トヨタはこの世界に通用する高級乗用車を日本でも世に問う決断をするのです。
後席に乗るためのセンチュリーでもない、国内市場しか見ていなかったクラウンでもない、トヨタが作った世界が認める高級車、トヨタブランドにおける国内最上級機種「セルシオ」として投入。
その後の日本における人気の高さ、待たされた納期、プレミアのついた中古車価格などを見ても、国内での反響がいかに高かったかを裏付けています。
セルシオ=レクサスLS400はトヨタという会社の地位を上げたと思います。極めて高い完成度で世界中の高級車メーカーや高級車ユーザーを唸らせ、国内でも「日本車がここまでやれる」というある意味日本人にとっての大きな自身のようなものを与えてくれたのもこのクルマの功績だったはずです。
現代に至るまでの、セルシオの残した功績や遺産は極めて大きい。
今のレクサスがあるのも、トヨタがその後さらに品質や価格の高いバランスで世界中から高く評価されることになったのも、また、プリウスやミライなどのエコカーで先端を行き自動車業界やユーザーを牽引する役割が成せる、その「意識の高さ」も、すべてセルシオの成功に起源があるように筆者は感じています。
その意味でセルシオ=レクサスLS400はトヨタにとって、または日本の自動車産業にとって大きな歴史の転換点だったと言えるかもしれません。
時代背景が求め、高級乗用車への機運が高まり、またその結果ブランド力が強化され業界やユーザーも巻き込んでセルシオは全てを牽引していた。
自動車という商品はなにも思いつきだけで生まれるものではなく、社会的意義のある商品ですから、作り手だけの意思では決まらないし、社会情勢やユーザーのニーズ、市場の受容性など多岐にわたる「マーケティング」によって決定づけられるところがある。そう考えたときに、セルシオ=レクサスLS400にはまさしく、あらゆる意味で「追い風」が吹いていた、生まれるべくして生まれた、ということができると思うのです。
その「追い風」をうまくキャッチできるか、あるいはキャッチして即応できる企業体力が十全に整っているかが、いかに自動車の命運を左右しうるものであるかを、このクルマを見ていると強く感じさせられます。
あれはまさしくトヨタ自動車が日本という島国の大衆車メーカーから、ステータスのある高級乗用車の世界に足を踏み入れた第一歩、その瞬間だったと思います。「日本車もいよいよここまで来たか」という感慨が深かった。
事実、レクサスLS400は主に北米で高い人気と名声を得ることに成功し、メルセデス・ベンツやBMW、ジャガーと並んでお金持ちのためのプレミアムカーとしての地位を不動のものとしました。レクサスLS400は元々日本市場には投入する予定がなかったクルマでした。
しかし折からの高級車ブーム、シーマ現象などを鑑みて、トヨタはこの世界に通用する高級乗用車を日本でも世に問う決断をするのです。
後席に乗るためのセンチュリーでもない、国内市場しか見ていなかったクラウンでもない、トヨタが作った世界が認める高級車、トヨタブランドにおける国内最上級機種「セルシオ」として投入。
その後の日本における人気の高さ、待たされた納期、プレミアのついた中古車価格などを見ても、国内での反響がいかに高かったかを裏付けています。
セルシオ=レクサスLS400はトヨタという会社の地位を上げたと思います。極めて高い完成度で世界中の高級車メーカーや高級車ユーザーを唸らせ、国内でも「日本車がここまでやれる」というある意味日本人にとっての大きな自身のようなものを与えてくれたのもこのクルマの功績だったはずです。
現代に至るまでの、セルシオの残した功績や遺産は極めて大きい。
今のレクサスがあるのも、トヨタがその後さらに品質や価格の高いバランスで世界中から高く評価されることになったのも、また、プリウスやミライなどのエコカーで先端を行き自動車業界やユーザーを牽引する役割が成せる、その「意識の高さ」も、すべてセルシオの成功に起源があるように筆者は感じています。
その意味でセルシオ=レクサスLS400はトヨタにとって、または日本の自動車産業にとって大きな歴史の転換点だったと言えるかもしれません。
時代背景が求め、高級乗用車への機運が高まり、またその結果ブランド力が強化され業界やユーザーも巻き込んでセルシオは全てを牽引していた。
自動車という商品はなにも思いつきだけで生まれるものではなく、社会的意義のある商品ですから、作り手だけの意思では決まらないし、社会情勢やユーザーのニーズ、市場の受容性など多岐にわたる「マーケティング」によって決定づけられるところがある。そう考えたときに、セルシオ=レクサスLS400にはまさしく、あらゆる意味で「追い風」が吹いていた、生まれるべくして生まれた、ということができると思うのです。
その「追い風」をうまくキャッチできるか、あるいはキャッチして即応できる企業体力が十全に整っているかが、いかに自動車の命運を左右しうるものであるかを、このクルマを見ていると強く感じさせられます。