クラウンVSセドグロ。バブル前夜から繰り広げられた熾烈な戦い!
更新日:2019.12.17

日本という国が豊かになってきた昭和50年代後半から平成にかけて数年間。富の象徴とも言えるハイオーナーカーの人気が高まり、その開発、販売合戦も熾烈を極めました。特にクラウンとセドリック・グロリアは国内二大メーカーを代表する高級乗用車として常にライバル同士でした。新技術をぶつけ合い、デザインを磨き・・・それはしかし今から見れば切磋琢磨、お互いを高め合っているようにも見えたりします。
V6ターボで押すセドリックの走り
1983年6月登場のY30型セドリック・グロリアは重厚な印象で四角張ったデザイン。ひとつ前の430型がややスポーティな印象を持っていたことに対し、より高い年齢層に向けた仕立てになっていたように思います。
Y30のトピックはこの代から採用されたVG型V6エンジンとそのターボ仕様。特に3リッターのVG30ET(SOHCターボ)はグロスで230PSという当時の国内最高スペックを保持。後年のグランツーリスモやシーマでハイパワーな高級車という印象が定着する前から、セドグロはハイパワーで押していたわけですね。
しかし、あまりに重厚感を押し出しすぎて430型で評判の良かった軽快感が後退しやや人気を下げました。
Y30のトピックはこの代から採用されたVG型V6エンジンとそのターボ仕様。特に3リッターのVG30ET(SOHCターボ)はグロスで230PSという当時の国内最高スペックを保持。後年のグランツーリスモやシーマでハイパワーな高級車という印象が定着する前から、セドグロはハイパワーで押していたわけですね。
しかし、あまりに重厚感を押し出しすぎて430型で評判の良かった軽快感が後退しやや人気を下げました。
石畳で鍛えた四輪独立式サスペンション
1983年9月登場、7代目クラウンのキャッチフレーズは今でも有名、「いつかはクラウン」。このクルマを目指して昭和のお父さんたちは頑張ってきました。
ただ格調が高いというだけでなく、技術的なブラッシュアップも怠らないというのがクラウンというクルマで、4輪独立式サスペンションやツインカムエンジン、スーパーチャージャーの搭載に今で言うABS、当時はESCとトヨタは呼んでいましたが、そんな先進装備も盛り込まれたのです。
コマーシャルではヨーロッパの石畳の道でロケーションをおこない、なめらかに走るサスペンションの熟成を強調した映像になっていました。ライバル、というより、国内ではまだ4輪独立式サスペンションが主流ではなかったのですね。
ただ格調が高いというだけでなく、技術的なブラッシュアップも怠らないというのがクラウンというクルマで、4輪独立式サスペンションやツインカムエンジン、スーパーチャージャーの搭載に今で言うABS、当時はESCとトヨタは呼んでいましたが、そんな先進装備も盛り込まれたのです。
コマーシャルではヨーロッパの石畳の道でロケーションをおこない、なめらかに走るサスペンションの熟成を強調した映像になっていました。ライバル、というより、国内ではまだ4輪独立式サスペンションが主流ではなかったのですね。
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